老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

私が原発を毛嫌いする理由

2019年12月13日 20時24分41秒 | 原発関係
(今日はまた、少し硬いテーマに戻ります)

 先日久しぶりに従弟と会う機会があり、一緒に食事をしながら色々な話題の話をしましたが、その時に従弟から「ブログを見ていると、根っからの原発嫌いと思われるが、その理由は?」と聞かれました。
この質問は、友人からも時々受ける事があるので、一応整理しておきたいと思います。

 まず、基本にあるのは、物心ついた時分から広島や長崎の原爆被害の様子を繰り返し聞いていたことや、第5福竜丸やビキニ環礁での被爆問題などで、原爆や水爆を通じて原子力というものに対する生理的な嫌悪感があるのは事実でしょう。

 社会人になってからは、勤務していた商社が原発に関係する分野があったり、仕事に忙しい事にかこつけて、ややこしいテーマにはある程度蓋をしていました。


 しかし、商社を退社し自分の好きな道を歩み始めると共に、今迄蓋をして思考を止めていたテーマにも目が行くようになり、色々な疑問を感じて、自分なりに理解しようと努めてきました。

 そんな中で、原発については色々なことが気になっていました。
・1979年アメリカ・ペンシルベニア州のスリーマイル島原子力発電所で発生した事故、1986年に発生したロシアのチェルノブイリ原子力発電所での爆発事故
・各国における原子力艦船の事故
・更に、日本各地の原発立地を巡る、政治家/電力会社/地元有力者が絡んだ金銭絡みの利権の噂など


 そして、福島第一原発での過酷事故の発生です。
この当時、私は園芸福祉というボランティア活動をしていた関係で、社会福祉協議会を通じて知り合った福島県富岡町から避難されている人達の支援組織と交流を始めることになり、所属していたボランティア活動の会で色々な支援活動をすると共に、私自身郡山市やいわき市に出向いて、避難されている方々との交流を深めました。

 そんな中で、原発事故を巡る電力会社や政府の対応などと共に、原発自体が持つ色々な問題点を知ることができ、原発は絶対的に不完全な産業であることを知りました。

 即ち、
◆放射線物質と言う扱い方次第では極めて危険な物質を利用するにもかかわらず、これを運用する電力会社や監督する立場にある政府は、日本が絶えず襲われる自然災害などに対して充分の考慮と対策を講じずに、原発の立地決定と設置稼働をいとも容易に行っていた。
その結果として、16万人もの人が住みなれた自宅や町に住めなくなり、避難生活を余儀なくされたのです。

 特に私の記憶に浸みこんでいるのは、下記の出来事でした。
・富岡町から避難を余儀なくされた人々は、立ち入り禁止になっている地元の状況を知らせる町役場からのビデオを時々見られている様ですが、私が訪問した時に見られていたビデオは、富岡町の桜の名所である夜の森公園の満開の桜のビデオでした。
桜は本当に綺麗に咲いているものの、人気が全く感じられない静寂の町の様子を、涙を浮かべながら見られていたこと。

・懇意になった同い年の方と食事中に、その方が呟くように洩らされた、「本当は大きな声で叫びたいが、富岡町には福島第2原発があり、町は交付金などの恩恵も受けていたので、このような状況になっても大きな声で原発反対を表明するのには気が引けるのよ・・・」と、まるで自分達が原発推進に与したとの責任を感じておられるかのような様子。

◆最大の問題は、原発稼働に伴って発生する、制御が難しい使用済み核燃料の処理について真剣な検討をすることなく、「リサイクル」という確立してもいない理論を逃げ道として前面に出すと同時に、汚染物質の処理方法を確定しないままに原発の稼働に突き進んでいったこと。(これが、良く言われる「トイレのないマンション」問題です)

◆それにも増しておかしいと思ったのは、原子力の専門家と言われる人たちの態度です。
・素人が放射性物質に関する恐怖を増やすとともに、実際は被害者の方が原発立地場所に居住していたという理由だけで原発立地に協力したという後ろめたい気持ちを感じている方もおられるというのにも拘わらず、より詳しく知識があり積極的に原発推進に関わって来られたはずの原子力の専門家が、この事故に対して明らかな反省の言葉を表明されたり、今後への対応に付いて責任ある説明される方が非常に少なかったということです。(そのような方の意見が伝わってこなかっただけかも知れませんが)

・そして、安全性が不完全な産業であることが明らかになった原発に対して、根本的な疑問を示さずに、本の少しばかりの安全基準の見直しで、この事故以後も原発の稼働再開に積極的であるという事です。
専門家と言うのは、素人が知り得ない事項への危険性を熟知し、それに対して絶対に安全な措置を講じた上で対応すべきでしょう。それが人間としてまた社会人として最低の勤めであり、義務でしょう。
それをしないで、新分野への進出欲だけで事を進めるのは、正に「専門家バカ」と呼ぶべきでしょう。


 例え原子力に対する素人としても、こんなことを知り、現実の政府や電力会社の後手後手の対応を見ていると、原発に対して反対の意思表示を積極的にすることは当然でしょう。(まさ)