●今日は仕事はじめ。正月三が日も終わりましたが、正直正月気分は抜けきれません。朝のテレビでは、正月U-タンの混雑を伝えています。自分も若いころ、夏は北海道からの帰りで東北自動車道那須高原から館林インターまでノロノロ運転しました。もう体力はありませんし、そういう気もなりませんが、四輪クドウ!今年も頑張ります。
●今年はついに後期高齢者の仲間入りです。自分は「幸喜高齢者」といっています。人生これからよ。若いもんにも負けやしねえ。知らないことは調べる、忘れたことは思い出す。自分は「ブログ」を書いたり、「議会レポート」を作るのも「頭の体操」です。議会報告会をしなければと思うと、議案についても、政策についても、おろそかにしないようにしています。
●自分は大した学歴(北海道の片田舎の高校卒)もないし、学校時代も勉強の出来は悪かった。小学校の時の通信簿は、良いので「アヒル」といわれ、普通以下でした。アヒルとは、「乙」のことです。自分のころは、「大変よい」、「よい」、「ふつう」、「わるい」、「大変わるい」の五段階だったと記憶していますが・・・。図工と音楽はよかった。あとは「・・・」就職してから、企画部に配属され、函館出身の部長に鍛えられました。
●毎週月曜日の朝に部長室に呼ばれ、1冊の本を渡されます。その本を次の月曜日までに読み、部長から感想を聞かれ、意見交換をします。1時間ぐらいでした。2年間ぐらいでしたら100冊ぐらい読んだと思います。いろいろなジャンルでしたが、自分が今あるのは、「佐藤羊昭部長」のおかげです。私のこれまでの人生は、このように節目節目で人に巡り合いました。営業では「山崎兄弟」と言って、この二人の後にはぺんぺん草もはえないと言われた「営業の達人」伝説の人です。
●出版社時代には、文部省の高官や大学教授、その中で俵谷正樹さん、岡本包治さん、朝比奈博さんには社会教育や生涯教育を教えていただいた。北本市に来て、社会教育委員になり、岡本松治さん、平田正昭さん、新井馨さんと巡り合い観光協会や青少年育成に。出版社で借金作り、苦労したとき、大東京火災の鴻巣支店長だった佐藤茂さんには助けられた。日高市の涌井さんや当時の町長の駒野さん。思い出したらきりがない。この人たちはすべて自分の師です。そして議員になり、今私の「師」は市民です。
●年賀状に書きました。「私は今年、いよいよ晴れの幸喜高齢者になります。人生90年時代の中では、青年部の一員と思い、『アクティブシニア』として、老骨を『鬼骨』に変えて頑張ります。『願えば叶う』と、今は亡き恩師朝比奈博の教えを思い起こし、幸喜高齢者一揆を巻き起こしてやるぞと、気を引き締めた新年です。」と。四輪クドウ、やってやる!
四輪クドウ、前輪も、後輪もフル回転させ、大暴れしてください。
酉年生まれの善輝高齢者より
若いもんには負けません。だてに正月の餅を75回食ったわけではありませんから。
こっちは75、ナナハンでぶっ飛ばします。