ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

ホメるときは、できるだけ元気よく、ハキハキと、大きな声で。

2016年06月15日 | Weblog
ホメるときは、できるだけ元気よく、ハキハキと、大きな声で。

「もっとすごい!ホメ方」内藤 誼人著より。

もし、ホメるときに弱々しい声でやったら、せっかくの褒め言葉もなんとなく自信のない言葉に聞こえてしまうだろう。

むしろ、やや大げさに、強めに勢いよく伝えるべきだったのだ。それでこそ、相手の心に響くのだろう。

そういえば、元プロテニス選手の松岡修造さんは、バイタリティあふれた言葉で、ダメなものはダメとはっきり言うが、その分良ければ十分相手をホメてやる気を出させている。

それも彼の言葉が元気で、はっきりしているからだろう。これが相手に信用してもらえるコツでもありそうだ。

刺激にシャワーを浴びる機会を増やす。

2016年06月15日 | Weblog
刺激にシャワーを浴びる機会を増やす。

「齋藤孝の30分散歩術」齋藤孝著より。

個人的にも、何かをするときに部屋に閉じこもっているだけでは刺激もなく、飽きがきてしまうものだ。そんな時には庭に出るというのもちょっとした気分転換になる。

できれば、散歩をして汗を流すというのがいいのだろう。外歩きをすれば、日光、風、風景、すれ違う人、周囲の音や声などいろいろな刺激がある。そんなものに触れると、心身が軽くなるように思えるものだ。

できるだけ意識的に五感への刺激を与えるようにしたいものだ。この章のタイトルは「歩いて心のエネルギーを蓄える」となっていた。歩くだけでそんな効果があるなら積極的に歩いてみたい。

歩きながらの会話はプレッシャーが少ない。

2016年06月13日 | Weblog
歩きながらの会話はプレッシャーが少ない。

「齋藤孝の30分散歩術」齋藤孝著より。

たとえば、面と向かっていれば口に出しにくいことでも、歩きながらの場合だとお互いの顔を見ていないので、話しやすいというメリットもあるようだ。

歩くことが目的であるために、たとえ会話が途切れても比較的気まずいということも少ないのだった。これはありがたい。

歩きながらだと、沈黙も許されるということでもあった。それもまたコミュニケーションととらえている。あわてて話題を見つけなくても、気持ちにゆとりが出るのだろう。

歩きながらの会話は、ネガティブな方向にいきづらい。

2016年06月12日 | Weblog
歩きながらの会話は、ネガティブな方向にいきづらい。

「齋藤孝の30分散歩術」齋藤孝著より。

これは筆者の長年の経験からいえることらしい。つまり、歩きながら話すことで、前向きになれるということだった。

むしろネガティブな話はしにくくなってしまうという。歩いて話していると、どんどん話が前向きになっていくといくのは新しい気づきのようにも思える。

人の批判などのネガティブな話題は出にくいらしい。これはいいことだ。散歩がコミュニケーションに大変よい影響をもたらしているようだ。

むしろネガティブな話題で盛り上がるのは、座って一か所にとどまっている状態の時だそうだ。それも容易に想像はできそうだ。また気をつけねばな。

アイデアは記録をつけることによって、より湧いてきやすくなる。

2016年06月11日 | Weblog
アイデアは記録をつけることによって、より湧いてきやすくなる。

「齋藤孝の30分散歩術」齋藤孝著より。

たとえ、歩いている時に名案が浮かんだとしても、また思い出したことでも、その場でサッとメモを取っておかなければ、永遠に思い出せないことも多い。

そして、その場で記録することで、さらに別の関連するアイデアも浮かんでくるものだ。やはり大事なことは、その場でのちょっとしたメモだろう。

ここには、クリエイティブウォーキングという言葉があった。初めて聞く言葉だが気持ちがいい響きだ。そして、その基本は記録することだったのだ。

筆者は、記録することで、いつもは意識しないことに注意が向くようになるという。それは散歩中でも、戻ってきて散歩ノートをつけるのでもよかったのだ。これは習慣づけるしかないのだろう。

自ら求めたひとりのリッチな空間をもつ。

2016年06月10日 | Weblog
自ら求めたひとりのリッチな空間をもつ。

「齋藤孝の30分散歩術」齋藤孝著より。

このリッチな空間とは散歩によって得られる時間のことだった。ひとりで歩くというところが、ポイントだろう。誰にも邪魔されずに積極的な空間がキープできるのはありがたい。

ひとりは寂しいと考えられがちだが、そうでもなかった。自由な発想ができる機会でもあるのだ。ひとりだからこそ楽しいと感じられることも多い。

また、人と一緒だからこそ楽しいというのも当然ある。どちらの時間も楽しめるのが最高だろう。ランチも気の合う知人がるからこそ楽しめるものだが、時には気ままにひとりで好きなものを好きな格好で食べてみるのも開放感がある。

この章のタイトルは「発想力・思考力を高める散歩術」となっていた。ひとりだからこそ浮かんでくる発想も大事にしたいものだ。

些細なことにこそ、きちんとお礼を言おう。

2016年06月09日 | Weblog
些細なことにこそ、きちんとお礼を言おう。

「もっとすごい!ホメ方」内藤 誼人著より。

大きなことをしてくれたときには自然とお礼を言うものだが、ちょっとしたことではお礼を忘れてしまいがちだ。

しかし、大事なことは小さなことこそお礼を言うことが大事だった。机の上を片づけてもらったり、ゴミを捨ててくれたらきちっとお礼を言うべきことだった。

些細なことなら相手も期待してないから、きちっとお礼を言えば伝わりやすいものだ。ちょっとしたサプライズは効果があるのだった。

お礼は相手が期待していないくらい小さなことのほうが良かった。逆にこちらがちょっとしたことをしてやっても、なんの反応もないとがっかりするものだ。たとえば、お土産をあげても、ありがとうの一言もないと、その程度の人間だと評価してしまうだろう。

ほかの人をホメている人は、それだけで好印象を与える。

2016年06月08日 | Weblog
ほかの人をホメている人は、それだけで好印象を与える。

「もっとすごい!ホメ方」内藤 誼人著より。

ほかの人をホメると、それを聞かされた相手は、ホメている人をいい人だと思うらしい。それは逆のことを考えればわかりやすい。人の悪口を言っている人は、やはりその人のことはいい人だとは思わないだろう。

また、愚痴ばかり言っている人は、周囲の人に嫌われるというのも頷ける。確かに人をホメることは難しい。

悪口やグチならすぐに出てくるのに、褒め言葉はなかなか思いつかないものだ。部下のことをホメられる上司はきっと好かれるに違いない。

「全体」ではなく「限定」をホメろ。

2016年06月07日 | Weblog
「全体」ではなく「限定」をホメろ。

「もっとすごい!ホメ方」内藤 誼人著より。

ホメるといても、コツがあった。それはできるだけ「限定的」に、「部分的」にやるということだった。確かに、すべてがパーフェクトといっても、ウソくさくなってしまうようだ。

具体的に、何が、どこがどうだ、というふうにするといいのだろう。たとえば顔が小さい、髪がつやつや、指が細いなどだった。

マラソンの高橋尚子選手をシドニーオリンピックの金メダリストに育て上げた、小出義雄監督は「キミの土踏まずは世界一だ!」と繰り返していたという。ふつう誰もそんなところはホメたりしないものだ。しかし、ピンポイントでホメるというところがスゴイ。

確かに漠然としたホメ方だと、嬉しくもなんともないだろうな。ホメる部分を絞るというのがポイントだった。

「相手のいいところ探し」の達人になる。

2016年06月06日 | Weblog
「相手のいいところ探し」の達人になる。

「もっとすごい!ホメ方」内藤 誼人著より。

まず、相手を上手にホメるためには、いいところ探しの達人になることが必要だった。たとえば、意外にやさしいところもある、意外に面白い、思ったよりずっと博学だったなどだった。

相手に関心を持ってつき合えば、いいところ探しもできるということのようだ。まあ、関心がなければいいところなど見つかるはずもないか。

しかも、ホメ上手になるには、ほかの誰も気づかないような相手のいいところを探せなければならないのだ。とにかく、相手を好きになるように努力することがポイントのようだ。

技術を学ぶときには、何事もまず「形」から入ることが大切。

2016年06月05日 | Weblog
技術を学ぶときには、何事もまず「形」から入ることが大切。

「もっとすごい!ホメ方」内藤 誼人著より。

「感謝の気持ちを伝える」というよりむしろ「ありがとうございます」という言葉を発すればよかったのだ。

レストランでの食事の後では、「おいしかったです、ありがとう。また来ますね」を必ず口にする習慣を身につければいいという。

こんな形を実践すると、「感謝の気持ち」は後からついてくるようだ。それで良かったのだ。ここには「とにかく、人に会ったら、必ずひとつはホメるんだ!ということを自分の課題しましょう」とあった。

「いいところを探すクセ」がつくといいのだ。それはイコール「ホメる力」がつくことでもあった。強制的に人をホメるルールを課してしまえばいいというが、これはやや疲れることでもありそうだな。

ケチをつけるのが人間の習性。

2016年06月04日 | Weblog
ケチをつけるのが人間の習性。

「もっとすごい!ホメ方」内藤 誼人著より。

ここには、「よほど意識していないと、ほかの人のやること、言うことにケチをつけてしまいます」とあった。確かに、ほめるよりケチをつける方が簡単だ。

よほど感心したことでないと、ほめたりはできない。しかし、人に好かれようとするなら、それではダメだった。

もし意見を求められたら、批判よりまずは「いい感想」だけと告げればよかったのだ。会議などで意見を求められたら、その時は批評家になってはいけなかった。

そういえば、ブレーンストーミングで意見を出しあう際には、「他人のアイデアにケチをつけない」というルールがあった。それは、ついつい批判したくなってしまうからだろう。

ほめる前に、まず人の意見を批判したりしないということが大事だったのだ。

歩いた疲れは、ほどよく頭を新鮮にしてくれる。

2016年06月03日 | Weblog
歩いた疲れは、ほどよく頭を新鮮にしてくれる。

「齋藤孝の30分散歩術」齋藤孝著より。

ここには、「即興的なアイデアは、歩くリズムと適度な身体の疲労感によって刺激される」とあった。

単に机の前に座ってなにかアイデアをひねり出そうとしても、難しい。むしろ体を動かして、新しい刺激があったほうがインスピレーションがわいてきそうだ。

場所を移動するだけでも、ある程度は効果があるらしい。齋藤氏も、室内から抜け出すことでよい発想が生まれ、話がまとまったという実体験があるという。

そういえば、こんなブログを書くときも、ある程度違うことをやって体をつかった後の方が、スムースに書けたりする。

心にスペースをつくると思考力が高まる。

2016年06月02日 | Weblog
心にスペースをつくると思考力が高まる。

「齋藤孝の30分散歩術」齋藤孝著より。

将棋棋士の羽生善治さんは、対局の休憩時間時は必ず20~30分歩くようだ。歩くことで将棋のことはいったん忘れることにしているそうだ。つまり、リフレッシュしているのだった。

歩いて気分転換をすることは実に有益なことらしい。それは埋まってしまったスペースを空けることになるのだった。そのスペースができることで、新しいものが入る余裕生まれるらしい。

それでインスピレーションやアイデアが生まれればもうけものだろう。歩くことで脳も活性化するというからありがたいものだ。

偉人も歩いてひらめいた。

2016年06月01日 | Weblog
偉人も歩いてひらめいた。

「齋藤孝の30分散歩術」齋藤孝著より。

偉人や賢人の伝記には、歩いてひらめきを得たというエピソードがある。哲学者のカントは規則正しく散歩をしていたことは有名だ。歩いて考えるという行動習慣は珍しいことではなかったのだ。

アリストテレスは古代ギリシャの哲学者で逍遥学派だったが、逍遥とは気ままに歩くという意味だった。弟子たちと歩きながら思索し、議論を交わしたという。

西田幾多郎も京都の銀閣寺周辺を思索しながら歩いたことから、「哲学の道」という有名な道ができている。

エジソンも散歩しながら考える習慣があったようだ。アインシュタインも歩いてひらめきを得たという。結局目的を持って歩くことは有益だということだろう。