「メトロポリターナ」2009.2.16号より。
こう言っているのは脚本家でヒットを飛ばしている宮藤官九郎だった。先ごろはオリジナル脚本を書き監督までやっていた。先週その映画『少年メリケンサック』を見てきたが、実に生き生きとして笑える作品になっていた。
一般には脚本は何稿にも及ぶ書き直しが必要だと言われるが、この作品では3稿で仕上がったという。それは自分で映画を撮るということもあり、その場で直していけるという自信もあったのかもしれない。
また、あまりにも書き直しを重ねるともとのよさや面白さがなくなってくるとも感じていたようだ。要するに手を入れすぎてカドが取れてしまうのを恐れたのだ。むしろ映画のなかでは言葉はその場のノリでほとんど自由に叫びまくっているようにも感じられた。
それが、パンクというものなのかもしれない。主役の宮崎あおいのノー天気OLぶりは実によかった。泣き、笑い、話す、怒る、走る、どれも体全体で表現していた。
佐藤浩市、木村祐一などが真面目に演じるほど笑えてきた。ここには、宮藤監督からは次々とアイデアが飛び出して、笑いの絶えない現場だったともある。映画を観てもそんな雰囲気は伝わってくる。
「パンクには何かをしたい、せずにはいられない、という“衝動”と“欲求”がある。そして、それは誰の中にもあるはずだ。」とも宮藤は語っていた。彼自身それを実践するかのように、脚本家、映画監督、俳優、ミュージシャンといろいろとチャレンジしている。荒削りだからこそよりリアルに面白さが伝わってくることもあるのだろう・・・な。
こう言っているのは脚本家でヒットを飛ばしている宮藤官九郎だった。先ごろはオリジナル脚本を書き監督までやっていた。先週その映画『少年メリケンサック』を見てきたが、実に生き生きとして笑える作品になっていた。
一般には脚本は何稿にも及ぶ書き直しが必要だと言われるが、この作品では3稿で仕上がったという。それは自分で映画を撮るということもあり、その場で直していけるという自信もあったのかもしれない。
また、あまりにも書き直しを重ねるともとのよさや面白さがなくなってくるとも感じていたようだ。要するに手を入れすぎてカドが取れてしまうのを恐れたのだ。むしろ映画のなかでは言葉はその場のノリでほとんど自由に叫びまくっているようにも感じられた。
それが、パンクというものなのかもしれない。主役の宮崎あおいのノー天気OLぶりは実によかった。泣き、笑い、話す、怒る、走る、どれも体全体で表現していた。
佐藤浩市、木村祐一などが真面目に演じるほど笑えてきた。ここには、宮藤監督からは次々とアイデアが飛び出して、笑いの絶えない現場だったともある。映画を観てもそんな雰囲気は伝わってくる。
「パンクには何かをしたい、せずにはいられない、という“衝動”と“欲求”がある。そして、それは誰の中にもあるはずだ。」とも宮藤は語っていた。彼自身それを実践するかのように、脚本家、映画監督、俳優、ミュージシャンといろいろとチャレンジしている。荒削りだからこそよりリアルに面白さが伝わってくることもあるのだろう・・・な。