ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

「古い物は直すだけ損です。第一部品がありませんよ」

2008年12月16日 | Weblog
「人はどれだけの物が必要か」鈴木孝夫著より。

電気製品などの修理をを販売店に問い合わせると上記のような答えが返ってくるが、筆者はその言葉を絶対に信じないという。要するにこちらに少しの知識があり、面倒や時間を惜しまなければ、ほとんどの製品が修理費もかけずに、再びちゃんと立派に使えるようになるものだという。これは氏自身の経験から語っている言葉なので、真実にちがいない。

しかし、実際のところ製品についての知識も乏しい場合は、メーカーや販売店に言われるままになってしまうことが多そうだ。故障した場合、その度合いにもよるだろうが、直すべきか買うべきか大いに迷うものだ。

小さいものなら、深く考えずに買った方が得な場合もあるが。単なる部品の交換で済む場合はその方が安上がりだろう。しかし、ここでやっかいなのは新製品にはそれまでなかった便利な機能がついていたり、省エネ対策で電気代が安くなるなどの場合だ。

自宅では夏あたりから屋根の上のソーラーシステムの調子がおかしいので修理をしようと思って、メーカーに問い合わせたらもうその製品の取扱いはないらしいことがわかったのだ。買ってもかなり高額にになるので、あえてソーラーは使わなくてもいかな~などとも考えている次第・・・(エコを考えれば太陽の熱はもったいないが)

仮に定価1500円の作品が2万部売れても・・・

2008年12月15日 | Weblog
「月刊現代」2009.1月号より。

これもこの月刊誌が休刊するのにともなって、この雑誌に今まで連載してきたライターの一人佐藤優氏が語っていたことだった。氏は『国家の嘘』という連載をこの雑誌で1年継続していた。そして、もしこの月刊誌がなければこの作品を仕上げることはできなかったとも述べている。

つまり、作家にとっては媒体である雑誌は作品発表の機会でもあったのだ。しかも、取材を支えてくれる元にもなったに違いない。作品がたった一人で出来上がるというわけではなく、何人もの編集者の手を経て作品へと仕上がっていく。

本格的な書き下ろし作品を作る場合、佐藤氏は次のように述べている。「構想から取材、雑誌掲載を経て単行本になるのに3~5年はかかるらしい。出版不況の中でノンフィクション作品が10万部の壁を超えることは難しい。2万部も売れればいいほうだ。

仮に定価1500円の作品が2万部売れても印税は300万円だ。作品を売るのに3年かかるとすれば、1年あたりの収益は100万円で、これでは生活を維持することはできない」と。実際は売れるかどうかわからないものに、時間と労力を割くだけでもかなりのプレッシャーがありそうだな。

プロの見物人・・・

2008年12月14日 | Weblog
「月刊現代」2009.1月号より。

多くの月刊誌が廃刊や休刊に追い込まれるなかで、この「月刊現代」もその例外ではなかったようだ。数年前から時どき読んでいただけに残念でもある。最後の特集として多くのノンフィクションライターが書いていた。二宮氏は16年間にわたってこの雑誌でノンフィクションやインタビュー記事を掲載してきていた。

上記フレーズはスポーツライターの二宮清純氏にとっては大先輩にあたる佐瀬稔氏(故人)が述べたことだった。実に聞きなれない言葉で面白いと思った次第。いったいどんな時にその言葉を使ったのか気になった。

スポーツジャーナリスト、ノンフィクション作家であった佐瀬氏は酔うと、決まって「オレたちはプロの見物人だ」と声を張り上げたという。そして、実際には野茂英雄のメジャーリーグデビュー戦、二宮氏がグラウンドに入るとピンクのジャケットが飛び込んできて、それは当時62歳の佐瀬さんだったのだ。

二宮氏が「どうしたんですか、その派手なジャケットは?」と問うと「今日は野茂の記念すべき門出なんだ、見物人がこのくらいオシャレをしなくちゃ彼に失礼だよ」と言ったそうだ。そして振り向きざまジーパン姿のTVディレクターに次のように怒鳴ったのだ。「キミたちはそれでもプロの見物人か!?」と。

二宮氏はいくつになっても、この気持ちだけは忘れないでいたいという。「プロの見物人」とは考えれば実に深い意味合いがありそうだ。ただ単なる観客なら誰にでもなれる。しかし、見物人のプロはやはり見る心構え、見る箇所、見る深さが違うのだろう・・・な。

一所懸命で書いたものには返事がある。

2008年12月13日 | Weblog
「月刊現代」2009.1月号より。

小池邦夫さんと聞けば、おそらく多くの方はすぐに絵手紙を思い浮かべることでしょう。小池さんは創始者でした。その小池さんと23年間もの間、やり取りをしていたのが緒形拳さんでした。

(ここではあまり関係ありませんが、個人的な好みでいえば、素晴らしい俳優だと思えるのは緒方さんと西田敏行さんですね。どちらの演技にもいつもうならされます。緒形さんは今年71歳で、あまりにも突然に亡くなられたので驚きました。)

たまたま小池さんの個展に立ち寄ったことが、絵手紙の交流のきっかけだったようです。毎年何度かやり取りをしているうちに23年も経ってしまったのでした。そして言葉を交わさなくても心は伝わったと小池さんは語っています。実際に会ったのはその後は一回きりで、それも会話は一切なかったといいます。

絵手紙は単なる形式的な挨拶というよりもむしろ作品の交換ともいえそうです。ですから、小池さんは「儀礼的や万年筆で書いたものには返事が来ない。緒形さんのことを考えて一所懸命でかいたものには返事がある。まさに試されているようでした・・・」と語っています。

緒形さんはまた書もされていて、それは趣味の枠を越えて書家の領域に達していたようです。密かに画家で書家の中川一政に師事していたのでした。そして個展も開いていました。やはりそんなところも、深い演技の裏付けになっていたのでしょうか。

大掃除は感謝祭!!

2008年12月12日 | Weblog
「メトロミニッツ」2008.12月号より。

なんで大掃除が感謝祭なんだろう、と気になった。つまり、一年間お世話になった仕事や家庭内の道具に感謝しつつ整理整頓しようということだった。

日頃のちょっとした掃除はするものの、よく見ると隅の方にはまだまだホコリがたくさん目立つ。ふだんからやればいいのに、それができない。本棚や本、机の周辺、テレビの周辺、薬品などの瓶の周辺、窓や手すり・・・ちょっと見回しただけで切りがないほどホコリっぽい個所は多い。

モノばかりではない、自分もきっとかなり汚れているだろう。とりあえず家の中の掃除が終わったら、庭もせねば。自分を癒すのはそのあとだろうか・・・

ニッポンのサンクスギビングデーは大掃除をした日だろうか。(勤労感謝の日とはちょっと違うな・・・)とりあえず掃除機の掃除をしてから、月末の掃除日の予定を立てねば。

日頃の道具に感謝。でもパソコンの中のファイルなどの大掃除はいつになったら・・・まだまだ時間がかかりそうだなぁ~~~

実は「お年玉」だってギフトのひとつ。

2008年12月11日 | Weblog
「メトロミニッツ」2008.12月号より。

クリスマスも来ていないのに、お年玉の話はまだちょっと気が早いかもしれない。いずれにしてもお金をあげるには違いないが、渡し方をちょっと工夫すれば面白そうだなと思った次第。

ここのには「工作編」と「入れモノ編」の紹介があった。1、工作編としては、「千円札を鑑賞したくなるお年玉」というのがあった。これは、千円札サイズの白い封筒をつくって、お札の裏側の富士山の部分をくりぬいて窓を作ってある。

そこにペンなどで額縁を描いてある。つまり白封筒の窓枠が額縁になっていて、そこに富士山が見えるというものだった。富士山だけがみえるとそれがお札だという感じもしない。しかもいかにも正月らしい感じもする。いままでじっくりお札の裏側など見たことはなかったな!

2、入れモノ編としては脱ポチ袋のアイデアがあった。実験用品のコルク栓付き試験管をシールなどで装飾し、お札を丸めて入れる。意外性があって面白そうだ。またガチャガチャのカプセルにパッキング材をつめて百円玉や五百円玉を詰め込んで渡す。幼い子供なら、重さを感じるところが喜ばれそうだ。

そういえば、今年のお年玉には既製品のお年玉袋ではなくて、ホームページからダウンロードしてプリンターで印刷したオリジナルのポチ袋を使っていたことを思い出した。ちょっとの手間暇でけっこう印象に残るお年玉ができるもの。

「同僚から好かれる、好かれない」出身県別人気ランキング。

2008年12月10日 | Weblog
「プレジデント」2008.12.1号より。

一緒に仕事をするうえで、その人の出身地を知ることも、人柄、気質を知るための材料となる、・・・とあったのでちょっと気になった次第。出身地とは、ここでは基本的に「物心がつく」思春期を過ごしていた地域をいうらしい。

「相性がいい」上司・部下と「相性が悪い」上司・部下を県別に集計し、その差をとって指数化したものがあった。

そして、気になる結果だが、「同僚から好かれる」の上位から神奈川(9)、京都(6)、福岡(5)、兵庫(5)、愛知(3)となっていた。また逆に「好かれない」の方では東京(-6)、大阪(-5)、埼玉(-3)、滋賀(-3)となっていた。

(以下原文通り)
---最も好かれている神奈川県人は、何ごとも「ストレート」でわかりやすいタイプ。仕事はキッチリこなすが、おおらかなところがあり、重箱の隅をつつくことがないのが高評価だろう。---

逆に嫌われている東京と大阪については次のようにあった。(以下原文通り)
---東京人はプライドが高くエエカッコシイの見栄っ張り、大阪人は癖が強く目立ちたがり屋のジコチュー。ともに個性的なので好き嫌いの評価も両極端になりがちだ。---

もっとも、私は神奈川出身だが、どうなんだかなぁ~~~

部下の“喜びのバロメーター”・・・

2008年12月09日 | Weblog
「プレジデント」2008.12.1号より。

『「人がついてくる人、こない人」の行動心理学』という部分で、上司がどう部下に接するかについて述べられていた。この中で上司が常に頭の中に置いておくべきフレーズというものがあった。それは「ほめる」「しかる」「指示する」「励ます」という一見すると誰もが既にやっていることにも思える。

そこで、「ほめる」を例にとってみよう。「営業成績がトップか、やったな」「すごいぞ、新規顧客を3件も獲得してくるなんて」というような抽象的な言葉で成果をほめるだけではダメらしい。結局、そこでは部下の“喜びのバロメーター”は100%に達することはないのだ。そして、次の行動にもつながることはない。

ここで大切なことは、成果に至った具体的行動のプロセスをほめることだったのだ。半年前、一年前の行動と比較して改善された点をほめることで、「いつも上司は自分を見てくれている」という信頼もできるようだ。

部下の信頼を得るための会話の例があった。部下が半期の目標を達成したとき。→「めげずに何度もクライアントのところに通った成果だね」。新規の顧客獲得に成功した部下に対して。→「考え抜いたプレゼンがよかったんだね。私も思いつかないアイデアだったよ」など。

「しかる」時には、次に何をしたらよいのか、具体的な改善行動を示すことがポイントだった。「たとえば~~」に続く具体案の引出しを数多く持っているかどうかで、人がついてくるかどうかは計れるという。(気合いだけでは信用できないということ・・・かな。)

肩の力の抜け具合が支持されて各種の好感度ランキングの常連・・・

2008年12月08日 | Weblog
「プレジデント」2008.12.1号より。

“「理想の上司」「最悪の上司」ランキング”といった、ちょっと面白い特集記事があった。勘のいい方は、上記フレーズが誰のことを指しているかもうお分かりだろう。あちこちに顔を出している所ジョージのことだった。

「理想の上司を有名人に例えると?」という質問での彼に対する意見は次のものだった。“部下任せだが、問題が起こったらきちんと責任をとってくれそう。”明るく親しみやすくて、あまりチェックが厳しくなさそうなところが評価されているようだ。2位以下には、王貞治、北野武、タモリなどが並んでいた。

また、「最悪の上司」としては福田康夫が1位でその意見としては、“めんどうくさくなったらすぐに投げ出してしまいそうなので。”となっている。2位以下は明石屋さんま、和田アキ子、島田紳助などが入っていた。

面白いのは、星野仙一が理想の方では第5位に入っていて、最悪のほうでは第3位だったことだ。以前は熱血が前面に出ていたが、北京五輪以後は言葉に責任感がないことが指摘されたからだろう。いずれにしても、理想も最悪もほんのちょっとしたキッカケでガラリと変わってしまうこともあるのかなぁ~(気をつけねば)

「継続」がイグ・ノーベル賞を呼ぶ。

2008年12月07日 | Weblog
「めざせイグ・ノーベル賞傾向と対策」久我羅内著より。

(前日のつづき)
たとえば、「カラオケ」は2004年に「平和賞」を受賞しているが、その理由が面白い。「カラオケの発明により、寛容になれる手段とカラオケ騒音公害をこの世にもたらした業績」だという。“寛容になれる手段”とは、つまり下手な歌にも耐えて聴かねばならなかったからのようだ。

受賞理由までも、なんともひねくれているのがまた笑える・・・な。前日に触れたドクター中松は2005年に「栄養学賞」を受賞しているが、「34年間、自分の食事を撮影し、食物が脳の働きや体調に与える影響を分析」というからかなり真面目くさっている。

このイグ・ノーベル賞が創設されたのは1991年でだから、中松氏はその賞の創設より20年前からやっていたことになる。実に根気がいる研究をしていたものだな~~~でも、いったい何のために?

単に長年毎日撮り続けただけではなく、食事が体や頭に影響することについても記録していたからだ。中松氏によれば、その影響は3日後だという。でも、3日前の食事など覚えていない。そこで写真を撮ったらしい。

そして、ついには頭の良くなる食材を発見している。それらは穀物、さかな、野菜、海藻などを中心とした和食のようだ。肉類は入ってはいない。

たとえ頭が良くなるとはいってもどの程度だか分かりませんがね。まあ、いずれにしても“34年間毎日”食事の写真を撮り続けること自体が並大抵の努力ではできないことは確かだ・・・な。

だれもマネできない、マネすべきでない。

2008年12月06日 | Weblog
「めざせイグ・ノーベル賞傾向と対策」久我羅内著より。

もうこの本のタイトルだけで上記フレーズがイグ・ノーベル賞のことだとお分かりいただけるだろう。外から見ると実に笑えてバカげた研究にのめり込んでしまう人がいるものだ。もろちん初めからウケねらいでやっているものは対象外で、真面目に研究している人に与えられる賞ということになっている。

かつて日本のドクター中松は34年間もの間、食事の記録をとり続けたことで受賞している。今年(2008年)にも日本人が受賞しているが、昨年(2007年)の山本麻由さんの研究には笑えましたね。「ウシのフンからバニラ香料成分の抽出に成功した」というやつ。

受賞のための公式基準としては「世間を笑わせ、考えさせた研究」をした人に与えられる賞だったのです。研究とはいってもある意味オタク的な感じもしないではないが。また非公式基準としては、「目を見張るほどのバカげているか刺激的」であることだそうだ。

本家のノーベル賞は高尚な研究や発見、発明、業績に対して与えられるが、こちらはもっと選考基準が簡単だった。日本の世間一般で知られているものとしては、カラオケ、たまごっち、バウリンガルなどが受賞している。

この本のタイトルに傾向と対策とあるのは、実際に高校生でも受賞している例があるからだった。バカバカしいものほどまじめな研究であればいいのかもしれない・・・(もし受賞したら教えてくださいね)

周りに突っ込まれるようなプレゼントがいいね。

2008年12月05日 | Weblog
「L25」2008.11.27号より。

“クリスマスのプチサプライズ!”というコーナーで見かけたもの。クリスマスはプレゼントの機会だ。そのプレゼントを両親にする場合のことについて、みうらじゅん氏が言っていたのが上記フレーズだった。

一般的には、両親に贈るとしたら年相応のものを選びがちだ。ところが氏の経験上そういう「いたわり系」のものは結局使われなかったりするらしい。

そこで、ある時、父にアルマーニの派手なジャケット、母にピンクのバッグをあげたところ、二人とも照れながらも使っていたという。

自分では決して買わない(もしかしたら買う勇気もない?)からこそ、嬉しかったのだろう。だからむしろ不自然なくらいなものでもいいようだ。

もし、周りの人に「若作りしている」と突っ込まれても、「息子からのプレゼントなもので」などと自慢でき会話も弾みそうだ。(両親がいるうちにやってみたかったなぁ~・・・)

TOKTYO招致の勝算は?

2008年12月04日 | Weblog
「R25」2008.12.4号より。

たまたま前日の日記の中で、東京オリンピックがどうのこうのと触れていたのでフリーペーパーで見かけたこのタイトルが気になった次第。

2016年の五輪開催地決定まではあと1年だった。現在まで厳しい選考を勝ち抜いているのはシカゴ、マドリード、リオデジャネイロと東京の4都市だった。

スポーツジャーナリストの玉木正之氏によると、一歩リードしているのが東京だった。第一次選考時点では警備態勢、環境などの4項目では高い評価を得てトップで通過していたのだ。

とはいってもまだまだ油断はできない。委員の好みや都市の持つイメージも決め手になるらしい。だから、スポーツとはまったく関係のない築地の市場や秋葉原など、独特の文化を紹介することも重要なイメージアップ戦略だという。

意外なところも評価されているんだな。そして、最終決定は2009年10月2日と決まっている。あと、10ヶ月後だ。まだ日本でのオリンピックを見たことのない世代に、そしてもうすっかり忘れている世代のためにも東京での開催を期待したいもの。

実際のオリンピックでの各レースの前に、厳しい招致レースはもう10か月をきっているか。気がつけば、前回(1964年)の開催から44年も経ってしまっているんだなぁ~~~~。

アポイントメントというよりはむしろコミットメント・・・

2008年12月03日 | Weblog
「プレジデント」2008.12.15日号より。

これも前日と同じ日野原先生の言葉だった。この場合アポイントは「予定」、コミットメントは「契約」、「確約」となっている。いったい何がそうなのかといえば、次の内容だった。

日野原先生は石原都知事との間で、東京オリンピック招致(2016年)が実現したら、聖路加(病院)にヘリポートをつくるという約束を交わしていた。つまりこれが、コミットメント(契約)だと述べているのだ。(東京オリンピックもまだ不確定だし、石原都知事はその時には引退しているだろうしまだ先のことは全く不明だが)

先生は現在97歳になるが、講演予定は4年先の101歳まで入っている。もちろんそれまで元気だと確信しているに違いない。さらには、オリンピックの年には105歳になることになる。

ヘリポート建設は単なる“約束事や予定”ではなく、もっと強い意味の(重い)“契約なのだ”ということが言いたかったようだ。実際に東京オリンピックが実現され、日野原先生が105歳でそのコミットメントが確認できたら素晴らしいこと・・・だな。

(関係ないが97歳になった現在も30歳の時と同じ62キロの体重を維持しているという。これもまた実にすごいことでもあるな!)

「ローカロリーで過ごした方が長寿になる」

2008年12月02日 | Weblog
「プレジデント」2008.12.15日号より。

アメリカの学者が動物を使った最近の研究によると、ローカロリーの食物を与えた方が長生きしたとい結果が出ているそうだ。そして同じことが人間にもいえるようだ。これは、「寝たきりにならない3つの習慣」というコラムのなかで日野原重明先生が書いていたなかにあったもの。

この数年はとくにメタボに注意などと言われることから、カロリーについてはやや気になるところだ。レストランに行ってもやはり注文するまえにはカロリーの比較をしてしまう。一見似たような料理でもカロリーが異なっているものが多い。

さて、上記の“3つの習慣”とは、1、ローカロリーにすること。ある意味食べ過ぎないことで、「腹7分目」がいいらしい。2、うつ伏せ寝をすることだそうだ。実際慣れないと苦しそうだが、これも訓練らしい。3、階段は4、5段なら歩いて昇ることだそうだ。足腰の強化だろう。

人間とはそもそも「病む」生き物であり、必ず欠陥を抱えて生きているものらしい。ネガティブな検査結果を知る意味があるのでしょうか、とまで述べている。要するに余計な不安は持つべきでないということのようだが。健康は気の持ちようによって左右される部分もかなり大きいし・・・

氏は若い頃結核という大病を経験したからこそ、健康を喜ぶことができるようになったようだ。だから今日の仕事を快く終えることができれば、ありがたいと語っている。何はともあれ今日が無事過ごせたことを感謝せねば・・・な。