ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

木は木立のうちの命と、材になってからの命と、二度の命をもつもの。

2007年11月02日 | Weblog
「木」幸田文著より。

普通なら、木は緑の葉をもって地面にしっかりと根を張って立っているものだけが生きていると思ってしまう。まして、材木が生きているとは考えていない。しかし、堂塔古建築にたずさわる高度の特殊技能をもつ棟梁たちからみれば、立木としての生命を終わったあとの“材”もまた生きていたのだ。

それについては次のように表現されていた。・・・法隆寺千二百年の昔の材に、ひと鉋(かんな)あてれば、いきいきとしたきめと光沢のある肌を現し、芳香をたてる。湿気を吸えばふくよかに、乾燥すればしかむ。これは生きている証ではないか。・・・と。

幸田さんは、棟梁からこのことを聞かされ、わかったような気もしたという。もちろん材を生かすことができるほどの腕前をもった専門家がいればこそのことでもあろうが。また寿命を使いつくして死んだ木というのもあるという。それはまた、別の貴さ、安らかさがあるという。同じものを見てもその道の専門家は実にいろいろな見方ができるものだ。

コンクリートのビルから出てアスファルトの道を歩く。そして鉄とコンクリートの駅舎に入り鉄の電車に乗ってまた駅舎をくぐる。今度は鉄のバスに乗る。そしてようやく木造の自宅に入るとなんだかほっとする。無言の木のぬくもりだろうか・・・

(この随筆集は13年間にわたって書かれたものだった。粘り強く木について取材し、15の話にまとめ上げている。また実に細やかに人の気持ちまでも表現されている。たまにはこんな随筆をじっくりと味わうのもいいものだ。)