素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

行幸の思い出

2022年02月18日 | 日記
 記憶はかなり曖昧になっているが、昭和天皇の行幸に合わせて沿道に動員された記憶がある。多分小学校6年生の時だったと思う。学校から歩いて伊勢方面から来た時の鵜方の入口にあたる横山口の長い坂道に整列させられた。随分長い間待ったように思う。

 その間繰り返し注意されたことは車が見えたら深々と頭を下げ「よし1」という号令がかかるまで頭を上げてジロジロ車の中を覗かないようにということだった。

 忠実に守ったので、どんな車でどんな様子だったかの記憶が全くない。あるのは今まで土埃のたっていた道路がきれいに舗装されて道が黒かったということである。

 学校に帰った後、担任の谷口先生が興奮気味に語ったのは、車の性能の良さ。あんな低速で走りつづけたら普通の車だったらエンジンがオーバーヒートして焼けてしまう。みんなの姿が車体に映っていた。鏡のようにピカピカに磨かれていた。という内容だったと思う。

 もう一つは、天皇陛下が来てくれたおかげで道が舗装されて美しくなった。ということ。

 ♪田舎のバスは おんぼろ車♪を地で行く世界で暮らしていた私にとっては「そんなもんか」とピンとこなかったが、担任の熱い口調だけは印象に残っている。
【田舎のバスは おんぼろ車】


 大正天皇を読んでいても、巡啓、行幸が地方のインフラ整備に果たした役割は大きかったと感じる。こういう記述がある(P187)
「皇太子を迎えた人々にとって、巡啓の記憶はまさに電話の開通や電気の点灯と一体のものであった。電話や電気は、「皇恩」の有り難さを身をもって実感させる装置としての役割を果たすことになる。」

 この部分を深く考えることが大切かなと今、思っている。
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