素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

『皇恩』変じて『五輪恩』?

2022年02月20日 | 日記
 樋口恵子さんの『老~い、どん!』の中に次のような記述がある。
「冬季夏季のオリンピック・パラリンピックが日本で開催されるたびに、何らかの不自由を伴う人の交通手段が目に見えてよくなります。私がオリンピック・パラリンピックファンである理由の一つです。」

 1964年の東京オリンピックの時、東海道新幹線の開通や首都高速道路の建設で様変わりした日本橋付近の様子を写真で見た時、中学生の私の中にオリンピックのもたらすものはすごいなという思いを持った。以来、明治、私の中には大正、昭和前期の人々が行幸によって地域のインフラが整備されるのを『皇恩』と感じたように『五輪恩』のようなものが存在してきた。

しかし、光には影があるようにオリンピックの施設整備や再開発のために半ば強制的に立ち退きを強いられた人や街路樹や公園の木々が伐採されるということが「五輪のために」という名目のもとに強行されるという事実がある。ということを見聞するようになり単純に『五輪恩』と考えてはいけないのではと思うようになった。

 樋口さんのいう社会インフラの改善は、五輪があるからではなく、五輪があっても無くてもと考えるべきではないか。逆に、五輪を招致し、開催するために使われた巨額の資金を回せばもっと充実したのではとも考える。

 もっと大切なのは五輪後の施設の使われ方、維持管理費だろう。長野冬季オリンピックではその後の施設の管理運営に自治体が苦慮してきたと報じられていた。「恩」ではなく「禍」である。

 経済の活性化に五輪を利用する時代は終わったと思う。
 
コメント
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