素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

富士の姿

2012年01月21日 | 日記
 新幹線でも飛行機でも富士山の姿が見えると空気が変わる。古よりその立ち姿に人々は魅了されて来たのである。私が一番印象に残っているのは西伊豆の海岸からの姿である。関東・甲信越・東海の各地に“富士見~”という地名が数多くあるように現在よりもはるか多い地点から富士の姿を仰ぎ見ながら人々は暮らしてきたのであろう。そのベースがあっての北斎の富士の浮世絵がある。

 私のふるさとである志摩半島からも富士の姿を見ることができる。
 昨年末、鳥羽市の相差(おうさつ)の一井というホテルに一泊した時に部屋から撮った朝日の写真だが、条件が良いとこの方向に富士を見ることができると係の人が教えてくれた。歩いて20分ほどのところには“富士見岡”という展望台もあった。この日は春のような陽気でかすみがかかり見ることはできなかった。

 。展覧会で父の絵を気に入ったある会社の社長に二見の夫婦岩の間に出る朝日と富士の入った絵を是非描いてほしいと頼まれて苦労して描いた“夏至の頃の二見ヶ浦・夫婦岩”の絵の下書きである。本物は社長室に飾られ拝まれているようである。下書きはもったいないので私の部屋に貼ってある。

 この話は3,4年前の話だが、その時は「世の中には酔狂な人がいるものだ」ぐらいにしか思っていなかったが、今となると社長さんの気持ちが何となくわかる。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北斎の富士~冨嶽三十六景と富嶽百景~を美術館「えき」KYOTOで

2012年01月20日 | 日記
 昨日行きそびれたので今日は最優先して行って来た。美術館開館15周年と生誕250年記念展である。江戸の浮世絵師、葛飾北斎(1760~1849)は浮世絵師として活躍した約70年の間に「浮世絵」における多くの題材を手がけ、西洋の美術家にも多大な影響を与えた。

 その中で、全作品に富士をあしらった北斎の二大連作「冨嶽三十六景」46図と「富嶽百景」のすべてが展示されるとあっては見逃すことはできない。また新しく発見された保存状態の良い4点の作品も並べて展示され、今までの作品と見比べることができるというおまけつきである。

   会場は満員であった。北斎の描いた富士を数枚単位で見ることはあったが、今回のように全155点を一挙に見ると作品の持つ力に圧倒されてしまった。

「すごい! すごい!」と叫びだしたくなる衝動を抑えながら見ていると体の中が熱くなってくるのがわかった。こういう時、連れがいればはけ口ができるのにとつい思ってしまった。ここまでの迫力とは予想できなかった。

 「冨嶽三十六景」は名所絵(風景画)のジャンルを定着させた代表作で今までいろいろな機会に見たことがある作品が数多くあったが「富嶽百景」は新鮮で面白かった。半紙本3冊によって構成された絵本で、故事説話や風俗、花鳥画的性格の図などありとあらゆる題材があつかわれていて見るものを飽きさせない。時々、意表をつくものもあり唸ってしまった。特に印象に印象に残ったのは次の4つ。
 富士の「静」に対して近景の人や自然の「動」の対比がいいのだが、職人がいきいき動いて見えるのである。
  “和時計をつくる”のマガジンで、浅草鳥越には幕府の頒歴御用屋敷が置かれ、天文方という役人が天文・編歴・測量・地誌・洋書の翻訳などをつかさどっていて、天体を観測するものとして“渾天儀(こんてんぎ)”が使用されていたという話を読んだばかりだった。多くの情報を仕入れていなければこんなに多彩な題材を描くことはできなかっただろうと感心した。  
 水に映る“逆さ富士”はよくあるが、これは「節穴の富士」。富士にあたる光が、節穴を通ることで、ピンホールカメラと同じ原理で室内の障子に逆立ちした富士を映し出している。着眼点には恐れ入った。住人の驚いているさまが伝わってくる。  

 これを見た時、「富士はどこにあるんだ?」という素朴な疑問が湧いた。意表をつかれた感じで、解説をすぐ読んだ。

 「赤沢は現在の静岡県伊東市赤沢付近。この赤沢山で河津三郎と俣野五郎が相撲を取る話は“曽我物語”の冒頭にある。これを北斎は三編の始まりとした。さて取組は、形勢不利の河津の足が俣野の足の内側にかかる、ここから体を反って後に倒す“河津掛け”の一手で、見事逆転勝ちとなる場面。肝心の富士は、河津の背後に稜線のみを見せている」 とあった。稜線のみという大胆さに感心したこともあったが、それ以上に“河津掛け”という相撲の決まり手への思い出がよみがえってきて絵の前でにやけてしまったのである。

 高校の時、同じクラスで気の合ったMくんは勝負好きで、休み時間になると人を集めては自分の得意な勝負をしかける。先ず“連珠”基本的には“五目並べ”なのだが競技用として先手有利にハンディをつけるために細かい規則が決められていた。彼はそれらを熟知していたが私たちは当然知らない。そのルールの罠にはめては勝利してとくとくと解説してくれるというのがお決まりであった。次が腕相撲。彼に言わせると力ではない。必勝のコツがあると豪語して、柔道部の猛者に細身の体で勝っては得意満面であった。そして、相撲。彼の得意技が“河津掛け”であった。中学の時から相撲好きであった私はその決まり手は知らなかった。

 足技はふつう外掛け・内掛けで相手と対面の状態で足をかけて倒すのだが、“河津掛け”は後に回られた相手に足を掛け背面とびのようにして相手を倒す。場合によっては危険の伴う奇策である。初めて彼と相撲を取った時、わざと私が背中に回るようにしかけ、「勝負あり」と思って送り出そうとした瞬間に、足をからまれひっくり返された。私は瞬間何が起こったかわからなかった。これまた得々と解説してくれた。知らない人間をつかまえては、巧みに後に回らせて技をかけていた。一度痛い目にあった私たちは彼の巧みな誘導を楽しんだ。

 彼の勝負にはどこかペテン師的な要素がつきまとうのだが、明るくカラッとしていているのでみんな“だまされること”を楽しんでいた。今日の解説を読むまで“河津”を蛙の“かわず”と思い込んでいた。Mくんは鳥獣戯画に出てくる蛙の感じとそっくりなのである。

 2月1日からは京都文化博物館で“ホノルル美術館所蔵北斎展”が開催される。楽しみである。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

42日ぶりの本格的な雨

2012年01月19日 | 日記
 前線の通過で一時的にパラつくことはあったが本格的な雨は12月8日以来だそうだ。しとしとと降り続く典型的な冬の雨である。底冷えのする一日であった。Joshin東香里店が売場改装のために“売りつくし”セールを始めたので、古くなった私と息子の部屋の照明器具を取り替えるために在庫品処分を目当てに出かけた。どちらも30年近く使ってきた三又のシャンデリアタイプのものである。姿ばかりで性能は限界寸前。特に、私の部屋のものは3つの蛍光灯がつくまでの時間がまだらで、最後の1つは忘れた頃に点くという始末。最初は蛍光管か点灯管に問題があると思い取り替えたが改善せず、結局本体内部の劣化に起因していた。無理に使っていて火災でも起こしたら話しにならない。
 取替えより、粗大ゴミとして出せるように可燃部分と不燃部分に仕分けるのに手間取った。夜に点けた時今までの部屋がいかに暗かったかを再認識した。部屋の中のものがはっきりと見えるのである。ちょうど高校入学時にメガネをかけた時のくっきり感を思い出した。あの時も視力が極端に落ちた中3時代の生活が霧のかかった状態やったんやと素直に驚いた。

 午後からは、雨も降っているので、“和時計”の今までチマチマと作ってきた5つの歯車を本体に組み合わせる作業をサッサと済ませて、ジェイアール京都伊勢丹で開催中の「北斎の富士」でも観に行こうと思っていたが甘かった。

 うまく組み合わせて、スムーズに連動して動くようにするには骨の折れる細かい作業となり、どんどん時間が過ぎていった。おまけに、こういう時に限って宅配便が4つ、業者の訪問セールスが2件、電話勧誘が3回と作業の腰を折られたりして結局完成したのは夕方になってしまった。

   60回シリーズなのでまだ三分の一ではあるが、何となく器械らしくなってきた。これらを一から設計して、部品を作り、穴をあけて組んでいくということをやってのけた職人の技量には毎度のことながら驚嘆する。あと10ヶ月余り職人の世界を楽しめるのである。

 ♪雨の御堂筋♪のテンポでやっていた作業が、いつしか♪大きな古時計♪になり、やがて♪氷雨♪となり最後は♪柔♪で終わった。 

 



 

 



 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

交野の歌碑Part2

2012年01月18日 | 日記
 1月14日に星の里いわふねの近くにある在原業平の歌碑の写真を撮っている時に後から来て同じようにカメラを構えた人がいた。市制施行40周年で交野をPRすることに力を入れてきたという話になり、歌碑のことも話題になった。

 第二京阪の高架下に新しくできた“天の川 遠き渡りになりにけり 交野の御野の 五月雨の頃”という藤原為家の歌碑の写真を今撮ってきたばかりだと話したら、消防署の近くに同じ歌の古い歌碑があるということを教えてくれた。何度も通っているが気づかなかった。どうでもいいのだが確かめずにはいられないのが困った性分である。

 ジムに行く前のウォーミングアップのつもりで、妙見宮、機物神社にも歌碑が建立されたと聞いていたので合わせて3ヶ所、自転車でまわってくることにした。

 まず、家から一番近い所にある妙見宮。参道の入り口に真新しい歌碑が建立されていた。いつも裏山から入って参拝しているので初めてお目にかかった。
  そこから下って天野川に出て土手の上の道を走り消防署を目ざした。消防署の横の橋の上から上流、下流方向の土手を見てみたがそれらしき歌碑は見当たらなかった。いつもよく走っているところなので見落とすはずはないと思っていたが、一箇所だけ入ったことがない木で囲まれた小公園があった。ここかもしれないと入ってみたらありました。
 平成2年に建立されたもので字も読み辛くなっていました。為家の説明は詳しくされていました。そこから交野久御山線を走り機物神社へ。境内の隅にありました。
  とりあえず目的は果たせたので気分良くジムで汗を流すことができた。

 やっとこさ、体重も11月レベルにもどり、ひさびさにランニングマシーンで60分で10kmを走ることができた。


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

喫茶・ボン リーブへ

2012年01月17日 | 日記
 私がランニングマシーンで歩きながら旅の雑誌「ノジュール」を読んでいたら、隣で歩いていたKさんが写真を見て「そこは良かったですね」とつぶやいた。「行ったことあるんですか?」「もう5年ぐらい前ですけどね」ということから旅の思い出を聞かせてもらった。

 それから時々隣り合わせになるとよもやま話をするようになった。Kさんの奥さんも妻と同じ香川県出身ということで讃岐うどんの話で盛り上がったり、ツアーで大山に行った話しをしたら「私は松江出身なんですよ」ということでさらに話がはずんだりした。

 先日久しぶりにお目にかかった時、佛像展に行って来たという話しをすると「一緒に絵を描きませんかと」という誘いを受けた。ジムも奥さんと一緒に通っているKさんだが、絵の教室にも一緒に行っているとのこと。「親父は70歳から油絵を始めたが、私はまだ体を動かすほうが性に合っているので」と話すと「少人数でのんびりやってますから是非、この前私たちの作品を喫茶店に展示してきましたから一度見てください」と“喫茶ボン・リーブ”の場所を教えてくれた。

 成田不動尊の近くなので、“和時計をつくる”を受け取りに行くついでに少し足をのばして立ち寄ってみた。TSUTAYAの入っているVIVA HOME寝屋川から三井団地を抜けて三井の変則三叉路を右折したすぐ右手に店はあった。
  店に入ると正面に60号ぐらいの立派な作品が目に入った。後で聞けば店のご主人の作品で、尼崎の工場群を描いたもので賞をいただいたとのこと。10年ほど前に脳梗塞で体が少し不自由になって思うように描けなくなったのが歯がゆいということであった。

 Kさんたちの作品は側面の壁に飾られていた。Kさんは静物画と上高地の2つの作品を展示していた。
 

Kさんの奥さんは水彩画で愛宕神社と白川郷を描いた作品であった。
 最近はカラオケ喫茶になっている所が多いが、昔ながらの喫茶店という雰囲気で落ち着く。10mほど成田不動尊寄りの所に“ジャルダン”という喫茶店があり、娘のピアノの先生が末広町であったことから週に1回の送迎の間、そこでよく時間をつぶしていた。上と下の娘合わせてかれこれ10年は通ったからこのあたりはなじみがある。

 「ジャルダンさんも3年ぐらい前にやめてしまって、奥さんが大病患ったから。この店のことはご存知でした?」「ちょうど下の娘の送迎の最後が19年前ぐらいやから開店前後の微妙な時かな」「あっという間です。あの頃は主人もピンピン元気で、スポーツ万能だったんですよ。まさかでした。」と軽食を食べながら店をきりもりされているご夫婦と話が弾んだ。

 今日、誕生日を迎えた大正13年(1924)生まれの父が絵やゴルフを楽しんでいるという話には「やっぱり前向きに生きるって大切ですね」とご主人も元気が出たとのこと。今度来る時は父の画集“明日への飛翔”を持ってくることを約束して店を出た。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする