素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

“かさのいらつめ”

2012年01月06日 | 日記
 万葉集を編纂した大伴家持はたいそうもてたという話から、家持に恋した女性の一人“笠女郎(かさのいらつめ)”のことを教えてもらった。家持一筋に恋心をしたため贈った歌が二十九首万葉集に収められていて、そのうちの二十四首がずらりと並んでいてなかなかのものである。百聞は一見に如かず、是非とのこと。

 万葉集で恋の歌なら、桜川ちはやさんの『女と男の万葉集』だろうと、さっそくひらいてみた。あるある。“第6章切ない心受け止めて”に
夕(ゆふ)されば 物思(ものもひ)増さる 見し人の 言問(ことと)ふ姿 面影にして(巻四・六0二 笠女郎)があり、そのメモ欄に

 笠女郎が、大伴家持に贈る歌二十四首が巻四にまとめられており、恋の始まりから終わりまでを繊細に、また激しく表現している。・・・とあったので中西進さんの『万葉集・全訳注原文付(一)』(講談社文庫)をひらいた。あるある。五八七から六一0まで、そして家持の返歌は六一一と六一二の二首のみ。

 私の読解力では二十四首を短時間で読みこなすことはできないので、水垣久さんのサイト「和歌雑記“家持と人々”笠女郎」(http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/column11.html)を参考にさせてもらった。

 面白かった。万葉集は資料が少ないだけに、謎解きのようにいろいろなことがイメージできる。魅力再発見である。また、語り合いたいものである。

 『女と男の万葉集』の終章“恋心よ永遠に”には大伴家持の歌(巻四・七六四)がある。

百歳(ももとせ)に 老い舌出(したい)でて よよむとも 我はいとはじ 恋(こひ)は増すとも

 (舌が出て腰の曲がった百歳の老婆にあなたがなっても わたしは気にしませんよ 恋しさが募ることはあっても)

 この歌は、紀女郎(きのいらつめ)が、十歳以上も年下の家持との恋人関係に悩み、贈った二首への返歌である。

 神(かむ)さぶと 否(いな)とにはあらね はたやはたかくして 後(のち)にさぶしけむかも
(恋をするには年をとりすぎているとか、いないとかいうのではないですが、やはりこのように老いの身を恋に焦がして、後でさびしく思うこともありましょうか)

 玉の緒を 沫緒(あわを)によりて 結べらば ありて後にも あはざらめやも
(玉の緒といわれる命を水沫の緒で結ぶことができたとしたら、ずっと後後にはお逢いできないことなどありませんね)

 「家持よ 汝こそ真の“女たらし”なるぞ!」と言うほかはない。脱帽!
コメント
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