素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

鶴見緑地でウォーキング  

2012年01月03日 | 日記
「食べてばかりで運動不足やな」ということで意見が一致した。歩くのだったらどこでも良かったのだが、なぜか鶴見緑地になった。新年にふさわしい花飾りは期待はずれであった。メインの花壇はすべて春に備えてチューリップの球根を養生中。葉牡丹の寄せ植えだけがせめてもの救いであった。
 歩いたりジョギングしている人の多さに驚いてはいけない。私たちも同類項だから。芝生広場に来るとタコを揚げている人達が結構いた。今朝「凧揚げの風景を見かけなくなった」という話をしていただけに少し嬉しくなった。
 タコから少し目を離すと上弦の月の名残りのある月がうっすら浮かんでいた。こんなささいなことで幸せな気分になれた。1時間30分ほどの歩きであったが年末年始の胃もたれ感は少々ましになった。

 “和時計づくり”の第一歩は文字盤の表面を真鍮磨き布で磨き墨を入れること。和時計に興味を持ったのは、現在の定時法と異なる不定時法とよばれる時刻法に合うように改良されていることを知ったからである。

 不定時法とよばれる江戸時代の時刻法は、日の出と日の入りを基準につくられていたので夏と冬とでは一刻(いっとき:約2時間)の長さが異なる。鉄砲と同じように西洋から伝来した定時法の時計は当時の日本人にとっては役に立たない無用の長物であった。それを日本の実情に沿うように改良していった職人の技にふれてみたいという思いがある。

 西洋式の機械時計を模倣して、日本で最初に和時計をつくったのは、江戸時代初期に、尾張・徳川家のお抱え時計師であった初代津田助左衛門である。幕府は各藩に銃をつくることは禁じたが、和時計の製作は奨励したこともあり260年の間に時計の技術や種類が発展していった。和算同様見直されても良いものである。

 『二挺天符式』という1日の昼夜の時間調整を自動化するからくりや、『割駒式文字盤』という季節による昼夜の長短を文字盤で調整するしくみなどを体感してみたいものである。

 仕事をやめた今の暮らしは、日の出・日の入りに合わせた江戸時代の時間の流れに近いものになっている。1年は月の満ち欠けをベースにした暮らしと同様に現代では過去のものとなってしまった“時”の流れをもう一度考えなおすきっかけにもしたい。 
コメント (1)
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