素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

映画[再会の食卓]を枚方市民会館で

2012年01月26日 | 日記
招待券をもらったので行って来ました。インフルエンザも流行ってきているみたいなので予防のほうも怠らずですが、マスクはメガネがくもってきてわずらわしいがいたしかたない。

 抗日戦争を戦った中国は、戦後まもなく国民政府と中国共産党との対立が再燃し、内戦へと進んだ。結果は中国共産党の勝利となり、1949年10月に北京で毛沢東を主席とする中華人民共和国が成立し、蒋介石の中華民国政府は台湾に逃れた。

 国民政府軍の兵士であったイェンションの子供を身籠っていたユィアーは台湾に逃れる夫と上海の港で落ち合う約束をしていたが、台湾へ向かう船に殺到する群集の中で生き別れとなる。わずか1年の新婚生活であった。

 中国と台湾に引き裂かれた夫婦はお互いの消息を知るすべもなく、それぞれの地で新しい妻、夫を持ち40年の歳月が流れた。中国と台湾の関係にも変化が出てきて、台湾にいる老兵の中国への渡航が許可された。ユィアーの現在の夫シャンミンは共産党の兵士であったが、将来の出世を棒に振って国民政府軍の兵士の妻であったユィアーと一緒になり、イェンシャンの息子である長男のジュングオ、二人の娘、娘婿と二人の孫と一緒に慎ましやかな生活を営んでいた。

 イェンシャンが40年ぶりに上海に新しい家族を持つ妻のもとを訪ねたことから、家族それぞれの思いが浮き彫りになっていく。シリアスな内容であるが、現在の急速に都市化を進める上海を舞台にドライな演出で時にはユーモラスに戦争、文革など政治に翻弄されて来た3人の人生を語っている。

 かみしめるほど味の出る映画である。

http://youtu.be/oLbGXCM1s5o
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明鏡国語辞典の編者・北原保雄先生

2012年01月25日 | 日記
 北原保雄先生の“問題な日本語”シリーズとその番外編である“かなり役立つ日本語ドリル”“かなり役立つ日本語クロスワード”などにはまった時期がある。そのことがきっかけとなり「明鏡国語辞典」(携帯版)を買ったのである。最初にある「編者のことば」も背筋の通ったものである。

 国際化が急速に進展し、国際会話能力の重要性が強調されているが、こういう時代に第一に大切なことは、自国の文化について理解を深め、自国語で正確に表現する能力を身につけることである。英語がどんなに上手に話せても日本人として外国の人に伝える内容を持っていなければ、真の国際人とは言えないし、日本語を正しく使うことのできない人が英語が上手になるはずもない。そういうことで、国際化の時代であるからこそ、日本文化、日本語の重要性が再認識されはじめている。

 私は、これまでにいろいろの辞典の編纂に携わってきた。その数は二十種を越える。その最初から一貫して変わらない私の信念は、既にある多数の辞典にもう一冊を加えるのではなく、今までにはないただ一つの辞典を創るということである。大した特徴もない辞典をもう一冊増やしても世の中を混乱させるだけである。今回の辞典編集にあたっても、この信念のもとに、これまでには存在しない最良・最高の辞典を創るべく、百回を越える検討会議を重ね、編集方針を練った。そして種々の新しい特長を創出することができた。

 人はなぜ辞典を引くか。どういう時に辞典を必要とするか。いろいろな理由があり、さまざまな場合がある。一冊の辞典でその全ての要請に応えることはできない。しかし、大切なことは、自分の調べたい項目が採録されていて、知りたい内容が十分に説明されていることである。そういう観点から、この辞典では、まず採録項目を需要度を重視して慎重に選定した。そして、一つ一つの項目に従来の辞典にはない種々の解説を施した。(後略)    平成十四年十月


 簡潔にして明瞭。心に深く刻んでおきたい。加えて「日本語 語感の辞典」の中村明先生のまえがきを読むとさらに“言葉”に対する認識が深まる。あえて引用はしない。以前途中で挫折した大野晋著「日本語練習帳」(岩波新書)をもう一度トライしてみようかなどと思っている。

 
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『広辞苑』の編者・新村 出(しんむら いずる)先生

2012年01月24日 | 日記
 「舟を編む」の余韻から家にある辞書のまえがき(序)やあとがき(後記)を初めて読んだが、中でも『広辞苑』の後記は心に留まった。昭和10年に刊行された新村出先生の『辞苑』から昭和30年5月25日に発行された『広辞苑』第一版から昭和44年5月16日に発行された第二版までのあらましが記されていた。その最後は「編者新村出先生が業半ばにして不帰の客となられたことは痛恨の極みであるが、謹んでここに本書をその霊前に献げ、先生の御遺業の今後永く生きつづけることを証し得ることは、私どものせめてもの喜びである。」と結ばれていた。

 この後記を読んでいるとなぜか物語の松本先生と新村出先生が重なってきたのである。物心ついた時から私の前には『新村出編 広辞苑』があった。なのに新村出先生のこと何も知らなかったと思い、Wikipediaで調べた。


新村 出(しんむら いずる、1876年(明治9年)10月4日 - 1967年(昭和42年)8月17日)は、日本の言語学者、文献学者。京都大学教授・名誉教授で、ソシュールの言語学の受容やキリシタン語の資料研究などを行った日本人の草分けである。
 (中略)
 静岡尋常中学、一高を経て、1899年(明治32年)、東京帝国大学文科大学博言学科卒業。在学中、上田萬年の指導を受けた。国語研究室助手を経て、1902年(明治35年)、東京高等師範学校教授。1904年(明治37年)、東京帝国大学助教授を兼任。

 1906年(明治38年)から1909年(同41年)までイギリス・ドイツ・フランスに留学し、言語学研究に従事。その間、1907年(明治39年)に京都帝国大学助教授、帰朝後に同教授。言語学講座を担当し、1919年(大正8年)には文学博士。1928年(昭和3年)帝国学士院会員。1936年(昭和10年)に定年。

 終生京都に在住し、辞書編纂に専念し、戦後に発刊された『広辞苑』の編纂・著者(息子の新村猛が共同作業に当たった、初版1955年)として知られる。新仮名遣いには反対し、当初予定の『廣辭苑』が『広辞苑』に変更になったとき、一晩泣き明かしたという。そのため「広辞苑」の前文は、新仮名遣いでも旧仮名遣いでも同じになるように書いた。また形容動詞を認めないため、「広辞苑」には形容動詞の概念がない。(後略)


 青色の部分のこだわりが興味を引いたので第二版の一ページから四ページにある新村出先生の書かれた“自序[第一版]”をじっくり読んだ。格調高い文章である。第二版の序は息子の新村猛さんが書かれている。「舟を編む」を読んだ後では、この2つの序から伝わってくるものが全然違う。何といっても本を読まなければ“序”そのものを読むことはなかったであろう。

 6日の小寒から21日の大寒を経て3日の節分までは“寒の内”と呼ばれる。今週はそれにふさわしい大寒波が居座るようだ。今朝、遠くの山なみは雪で覆われていた。外は厳しい寒さだが、「舟を編む」のおかげで“言葉”というものに火をつけられ、部屋にあるその類の本を引っ張り出しては読み返しているので心の内はホットである。 
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三浦しをん「舟を編む」を読み終わる

2012年01月23日 | 日記
 主人公の馬締(まじめ)の妻である料理人の香具矢の言葉「料理の感想に、複雑な言葉は必要ありません。『おいしい』の一言や、召しあがったときの表情だけで、私たち板前は報われたと感じるのです。でも、・・・・・・」と同じように本の感想にも複雑な言葉は必要ない。読み進んでいるときの高揚感とか表情を言葉で表現することは不可能に近い。

 よく学校で、読書や映画、ビデオ、劇鑑賞などの後に感想文を書かされたが、とても嫌だった。これさえなかったらといつも思っていた。皮肉にも教師になってからは書かせる立場になるのだが、「でも」と香具矢は続ける。

 「・・・・。でも、修行のためには言葉が必要です。」「私は十代から板前修業の道に入りましたが、馬締と会ってようやく、言葉の重要性に気づきました。馬締が言うには、記憶とは言葉なのだそうです。香りや味や音をきっかけに、古い記憶が呼び起こされることがありますが、それはすなわち、曖昧なまま眠っていたものを言語化するということです。」「おいしい料理を食べたとき、いかに味を言語化して記憶しておけるか。板前にとって大事な能力とは、そういうことなのだと、辞書づくりに没頭する馬締を見て気づかされました。」

 自分にとって心地よい高まりを与えてくれる本というのは、登場する人々が語る言葉が心の琴線に触れながら展開していくのである。言葉を活かす構想力も大事なものである。料理でいえば一品一品(=語る言葉)をどういう順番にどのタイミング(=構想力)で出していくかである。「舟を編む」の中で心の琴線に触れた言葉。

 日本語研究に人生を捧げ、その集大成としての新しい辞書『大渡海』の完成を目指す老学者の松本先生の言葉「我々は、辞書にすべてを捧げねばなりません。時間も、お金も。生活するために必要な最小限を残し、あとはすべて辞書に傾注せねばならない。家族旅行。遊園地。言葉は知っていますが、わたしは実際を知らない。そういう生きかたを理解してくれる相手かどうかは、きみ、大変重要なことですよ」

 その松本先生を支えながら辞書づくりに会社人生を捧げてきた、定年間近のベテラン編集者荒木の言葉「辞書は、言葉の海を渡る舟だ」「ひとは辞書という舟に乗り、暗い海面に浮かびあがる小さな光を集める。もっともふさわしい言葉で、正確に、思いをだれかに届けるために。もし辞書がなかったら、俺たちは茫漠とした大海原をまえにたたずむほかないだろう」

 だれかの情熱に、情熱で応えることを気恥ずかしくてずっと避けてきた西岡。『大渡海』発行の方針を会社に継続させるために出された編集部の人員削減の条件のために広告宣伝部への配置換えが決まった。見かけチャラ男の西岡が辞書編集部員として最後の仕事、原稿依頼をしている大学教授を訪問した時の述懐『俺は名よりも実を取ろう。荒木はしばしば、「辞書はチームワークの結晶だ」と言う。その意味がいまになって本当にわかった。教授のように、いいかげんな仕事をして辞書に形だけ名を刻むのではなく、俺はどの部署へ行っても、『大渡海』編纂のために全力で尽くそう。名前など残らなくていい。編集部に在籍した痕跡すら消え去って、「西岡さん?そういえば、そんなひともいましたっけ」と馬締に言われるとしても、かまわない。  大切なのは、いい辞書ができあがることだ。すべてをかけて辞書を作ろうとするひとたちを、会社の同僚として、渾身の力でサポートできるかどうかだ。』

 『大渡海』の最終段階に入った辞書編集部に、女性向けファッション誌“ノーザン・ブラック”編集部という花形部署から不本意にも配属された入社三年目の岸辺の述懐『辞書づくりに取り組み、言葉と本気で向きあうようになって、私は少し変わった気がする。言葉の持つ力。傷つけるためではなく、だれかを守り、だれかに伝え、だれかとつながりあうための力に自覚的になってから、自分の心を探り、周囲のひとの気持ちや考えを注意深く汲み取ろうとするようになった。』

 辞書にもっともふさわしい紙をという馬締の厳しい注文に応えるために、辞書編集部と製紙会社開発部との間で奮闘して来た、あけぼの製紙営業部の宮本の言葉「おっしゃること、なんとなくわかる気がします。俺は製紙会社に勤めているんですが、紙の色味や触感を言語化して開発担当者に伝えるのは、とても難しい。だけど話しあいを重ね、お互いの認識がぴたりと一致して、思い描いたとおりの紙が漉きあがったときの喜びは、なににも替えがたいです」

 資金難のため、何度も中断を余儀なくされ、企画から完成まで気の遠くなるような年月をかけていることを振り返り、もっと公金が投入されれば・・・と愚痴る馬締に、静かに言った松本先生の言葉「ですから、たとえ資金に乏しくとも、国家ではなく出版社が、私人であるあなたやわたしが、こつこつと辞書を編纂する現状に誇りを持とう。半生という言葉ではたりない年月、辞書づくりに取り組んできましたが、いま改めてそう思うのです」「言葉は、言葉を生みだす心は、権威や権力とはまったく無縁な、自由なものです。またそうあらねばならない。自由な航海をするすべてのひとのために編まれた舟『大渡海』がそういう辞書になるよう、ひきつづき気を引き締めてやっていきましょう」

 編纂作業の終盤にいたってもじりじりとしか進まない中での馬締の述懐『どんなに少しずつでも進みつづければ、いつかは光が見える。玄奘三蔵がはるばる天竺まで旅をし、持ち帰った大部の経典を中国語訳するという偉業を成し遂げたように。禅海和尚がこつこつと岩を掘り抜き、三十年かけて断崖にトンネルを通したように。辞書もまた、言葉の集積した書物であるという意味だけでなく、長年にわたる不屈の精神のみが真の希望をもたらすと体現する書物であるがゆえに、ひとの叡智の結晶と呼ばれるにふさわしい。』

 読後、家にある“広辞苑”“明鏡国語辞典”“角川漢和中辞典”“日本語 語感の辞典”のまえがきとあとがきを初めてゆっくり読んだ。そこにはフィクションではない、辞書をつくったひとたちの声があった。
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三浦しをん「舟を編む」

2012年01月22日 | 日記
 本棚でしばらく温めていた本である。辞書 言葉という大海原を航海するための舟。
【辞書編集部】 言葉の海を照らす灯台の明かり。
【辞書編集者】 普通の人間食べて、泣いて、笑って、恋をして。ただ少し人より言葉の海で遊ぶのがすき。 と帯にある。新しい辞書『大渡海』を編む玄武書房辞書編集部を軸に物語は進む。

 “和時計”“浮世絵”と細かな職人の世界に浸ることの多い昨今、違う意味での職人技とも言える辞書編纂の世界を描いた三浦さんの本を昨夜無性に読みたくなった。読み始めたら止まらない。編集者と一緒に“言葉の海”で遊ばせてもらっている。何かの雑誌で金田一秀穂さんが言葉の説明のむずかしさを書かれている中で、新しい辞書では必ず真っ先に【間(あいだ)】を引くのだとあった。よく使う簡単な言葉なのだが、辞書での語釈となると最難関な言葉だそうだ。

 手持ちの“広辞苑”“明鏡国語辞典”“角川漢和中辞典”で引いてみても確かに語釈に苦労が見える。そういうことも頭に入れながら興味津々読んでいる。

 今日は久々に晴れたので午前中はゆっくり読書というわけにはいかなかった。こういう時は雨だったらと願う。まことに勝手なものである。午後は四条畷吹奏楽団の定期演奏会に誘われていたので出かけた。開場時間を開演時間と勘違いして行ったので、1時間以上待つことになった。妻は「時間までウォーキングしてくるわ」と言って外に出て行ったが、ここ3日間私の思考には“運動”はない。これ幸いと「舟を編む」の続きをロビーで読んだ。
   3枚の写真の中に、辞書編集者であれば、赤エンピツで訂正を入れるであろう間違いがあります。わかりますか?
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