素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

「論争」の戦後70年:第6回は「俳句の第二芸術論 挑発効果?表現の深化」

2014年09月11日 | 日記
 4月から毎日新聞で月1回、 「論争」の戦後70年というシリーズが始まった。趣旨は『2014年。歴史認識をめぐる国家間の論争が地域の安定を揺るがしている。来年は戦後70年。時代の課題と空気を担って戦わされたさまざまな「論争」を切り口に戦後を顧み、未来を構想したい。』とあった。

 ちなみに、
 第1回:「地名とは何か 末の松山は知っていた」(2014.4.8)
 第2回:鎖国はなかった? 明治日本が物語拡散(2014.5.13)
 第3回:反戦フォーク・ゲリラ 未来は市民の視点から(2014.6.10)
 第4回:都市の美観 誰が景観を決めるのか(2014.7.8)
 第5回:原爆を語り継ぐ絵 立場超える「ノーモア」(2014.8.12)  である。

 切り口がユニークで、興味深く読んできた。私を含め多分多くの人に忘れられている「論争」をあらためて思いがけない方向から光を当てられると決して過去の出来事にとどまらないということに気づく。振り子のように過去に振れたぶんだけ未来に深く振れてゆく。

 今、gaccoで「俳句~十七字の世界~」の講座によって、 俳句というたった17字の言葉の切れ端が、なぜ深く多彩な意味を生むのか。和歌、和歌から連歌へ、連歌から俳諧連歌へという流れの中で、俳句が獲得した独自の詩的特徴がわかり、芭蕉や子規の句を例に俳句の二重構造と写生について理解が深まった。

 それらをベースに置き、今は芭蕉の名句を読んでいるところである。そこに、9月9日(火)に掲載された「論争」の戦後70年の第6回「俳句の第二芸術論 挑発効果?表現の深化」だったのでいつも以上に惹きつかれた。

 始まりは、1946(昭和21)年、仏文学者の桑原武夫さんが雑誌「世界」11月号に発表した論文の「第二芸術――現代俳句について」である。

 手近の15句を並べて同僚らに評価を求めた結果、無記名の作品自体では句の優劣も、作者が大家か素人かの区別もつかず、句の価値は俳壇での勢力で決まると述べ、解説なしでは意味もわからないようでは芸術品として未完結で、仲間うちで楽しむ芸事にすぎないと酷評。
 そのうえで、現代俳句に人生を盛り込むのは困難で、「しいて芸術の名を要求するならば、私は現代俳句を『第二芸術』と呼んで、他と区別するがよいと断言した。

 その後、大論争があったみたいだが、私は生まれていなかったので実感としてはない。高校生の時に授業で知識として得たぐらいですでに過去のものだと思っていた。しかし、新聞によれば論争は明白な白黒がつくことはなく今でも時折俳誌上をにぎわせているという。

 新聞では論争勃発から70年になる今、坪内稔典さんと長谷川櫂さんの見解を紹介しているが、私は長谷川さんの言っていることに共感する。

「実にたわいのない、相手にする必要のない論理です」「桑原さんのいう芸術は、明治維新で取り入れられた西洋の芸術概念。でも、日本文化がそれ以前からもっている西洋のまねごとではないもの。それこそが俳句にとって大事でしょう」

 私も若い時は桑原さん的な思いが強かったが、最近はそうではないと思っている。万葉集以来五七調のリズムで自然や心情を表現してきた綿々たる歴史の中で生まれてきた俳句を考えると芸術にランクをつけ第一とか第二と論じること自体陳腐なことである。川本さんの講義を聞きながらさらに考えていきたい。温故知新の精神である。
 
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