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素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

十勝バスのバスガイド・工藤さん

2012年09月04日 | 日記
 個人の旅行に比べて自由度も制限され、スケジュールもけっこうきついツアー旅行だがバスガイドさんとの出会いに1つの楽しみがある。

 それはちょうど新学期の始まりの担任との出会いに似たものがある。所定の集合場所に集まり受付の添乗員に氏名を告げ、ツアーバッチを受け取る。見渡せば同じバッチをつけている人がチラホラ。どこの誰だかわからないが今から2泊3日一緒に生活していく人たちやなとそれとなく観察する。添乗員はさしずめ学年主任か教務主任。

 入口に貼られた座席表を確認して席に着き、添乗員が全員そろったことを確認してバスのドアが閉められた瞬間に1つのクラスが誕生するのである。この感覚は私だけかもしれないが学級担任はバスガイドさん私は生徒という心持ちになる。バスガイドさんのガイドは授業と思い、けっこう熱心に聞いている。本物の学生であった頃に比べて素直になっている自分に驚くこともある。

 今までにたくさんのツアーに参加したが、ベテランのバスガイドさんが多かった。それぞれに個性があり「当り!」と思う人がほとんどだった。「少し外れ!」と思ったのは例外なく第一印象が「若い」と感じたガイドさんであった。

 両者の差は何だろうかと考えたことがあった。端的に言えば“客(生徒)への対応能力”である。自分がガイドしていくことになった客(生徒)に接したわずかの時間でその集団の持っている特性を見抜き接していく柔軟さといっても良い。

 知識とわかりやすさで言えば、観光船やケーブルなどで流れるようなテープでいいわけだ。授業で言えば、名人と言われる人の模範授業の映像を見せるということになる。しかし、それでは聞くものの心をとらえることはできない。

 ここに教える(ガイドする)ものと教えられる(案内される)ものの関係の妙が存在する。

 今回の道東のツアーは十勝バスであった。釧路空港のロビーで出迎えの旗を持っていたガイドの工藤さんを見た時「今回は若い。外れかな。」と覚悟したがさにあらず「大当たり!」であった。間の取り方、声質、話の組み立て方が聞く側に心地よい。

 「大当たり!」と感じるガイドさんに共通していることは、方言の使い方がうまい。当意即妙の受け答えをしながら話の本筋を離れない。さりげない心遣いが随所でなされる。自分の足ででも歩き話題の引き出しが多い。ということかなと思う。今回のガイドの工藤さんも例外ではない。

 一番聴かせたのは知床峠を超え羅臼町の海岸線を国後島を左手に見ながらの“語り”であった。知床峠をはさんである斜里町と羅臼町の因縁を枕に戸川幸夫原作の「オホーツクの老人」を映画化した「地の涯てに生きるもの」のあらすじを語ってくれたのである。この話は彼女が途中見かけた岩尾別ユースホステルに宿泊した時に聞いて感動し、原作も読み大事に暖めていたものである。

 このコースを走るのは1年ぶりなので、かんだりして自分としてはうまく語ることができなかったとおっしゃったが、“語り”とはテクニックを越えたハートの部分も重要だと思う。原作や映画にこめられた一老人の生き様に対する彼女のさまざまな思いが抑制されたトーンの中からしっかり伝わってきた。

 この映画の打ち上げの時に主演の森繁久弥が町民の人に♪さらば羅臼よ♪という曲名で歌唱し、後に♪知床旅情♪となって大ヒットしたこともあり、この“語り”の締めは♪知床旅情♪だろうと誰しも思っていたが見事にはずれた。

 “語り”を仕入れた岩尾別ユースホステルで、ずっと歌い継がれているさとう宗幸が無名の頃につくった♪岩尾別旅情♪を締めに紹介してくれた。

 私たちの20代の頃はホテル、旅館を使っての旅行は考えられなかった。カニ族と言われたテントをしょっての野宿やユースホステルなどをベースにしたものが主流であった。当時の空気を思い出させてくれる歌であった。
  
さとう宗幸  岩尾別旅情


 おそらく彼女はそういう空気をリアルには体験していないが、それらをイマジネーションできる感性を持ち合わせているのだろう。

 イマジネーションの豊かさも教える(ガイドする)ものにとって大切な要素ではないかと思う。

 
コメント
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