素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

梅原純子さんの「新・心のサプリ~“回復力”を養う~」

2012年09月16日 | 日記
 自分の中にある言葉にうまくできない思いをスパッと表現してくれた文章に出会うとうれしくなる。今日の日曜クラブにある梅原さんの「“回復力”を養う」と題するエッセイがそれだ。要約すると文章のパワーが落ちるので長くなるが全文を

 『記憶に残る学生がいる。 シングルマザーの家庭で育った彼女は、経済学部の4年生で私の女性学の講義をとっていた。女性と仕事をめぐる一連のグループディスカッションの発表の時、おおかたの学生が「やはり子供が3歳になるまでは女性は家にいて仕事を休むのがいい」「子供を保育園にあずけて働くのは子供がかわいそう」「母親が働いてさみしかったから同じ思いはさせたくない」という意見で流れが「女性は家庭に」という方向に傾いた時、しっかりと自分の意見を述べた。

 自分の母はシングルマザーで働いて自分を育ててくれた。保育園にあずけられていたが、働く母を立派だと感じていた。大事なことは子どもをあずけるか、家にいるかということではなく、短い時間でもコミュニケーションをしっかりとることではないか、お互いに信頼できる母子関係をもったことを、自分は誇りに思う。

 聞いている学生たちは息をのみ静まり返った後、発表が終わったときどこからともなく拍手がわき上がった。彼女は総代で卒業し一流会社に就職した。数年前のこの討論会を私はしっかり覚えている。

 さて、今年、私はやはりシングルマザーの家庭で育った男子学生のリポートに心を打たれた。私は貧しい家庭の出身です、という一行で始まるそのリポートには、母の帰りを弟と2人で支え合って待ったこと、中・高校と新聞配達から野球場の弁当売りまで何でもして大学に入ったこと、お金があれば幸せになれると考えていたことが書かれていた。しかし、大学に入学し、豊かな家庭でほしいものは何でも手に入る仲間がバイト先や学内で人間関係がうまくいかず苦しんでいるのをみて、彼は、自分が子供のころからさまざまな人間関係を経験してきたから人とのコミュニケーションがうまくいくことを発見したという。お金があり恵まれていると常に強者であることで、相手の気持ちを想像する必要がなく、それが問題点になっていることに彼は気づいたのだ。

 今、「傷つかない」ことに焦点があてられている。しかし生きているということは傷つく、ということだ。大切なのは、傷ついても回復する力を養うことではないか。回復力の高いこの学生たちに共通するのは人を羨まないこと、そしてもう1つ「傷ついた」という言葉を使わないことだろうか。つらかった、大変だった、とは言うけれど彼らは回復することを知っている。

 使わなければ傷はつかない。しかし、使わなければ機械だってサビてしまう。大事なのは傷つかないことでなく回復力。若者は大人が考えるほどやわではない。』


 昨今、学力のことからいじめの問題が取りざたされている。いずれも古くて新しい問題である。その都度その都度さまざまな対応がされてきたがうまくいっていないということがはっきりした。そのことをしっかり見据えないといけないと考えるが、また小手先の対応策に走っているような気がする。

 もっとどっしりと構えられないものかと思うのである。

 人間社会の中で生きていく以上、ままならぬこと、利害関係の衝突、理不尽なことなどを避けて通るわけにはいかない。荒波にもまれてもなかなか沈まない船のように“復原力”は人間にも内包されているように思う。その力が弱まってきているのではないかと思えるような現象が起こっている。なぜだと考える毎日である。







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