前期の時は14時までに帰らないといけないという制約があったので電車を利用したが、今日は用事が何も入っていないので自転車で行くことにした。妻に言ったら「何考えているの!?」とあきれられたが、なぜ自転車で行くかを説明することは不可能。「前と同じやったらおもしろくないやろ」とだけ言って、9時40分に家を出る。“二代目”の走り心地を確かめたかったし、早く慣れたいということもあった。それに、天候も“自転車日和”である。2時間~3時間で到着できると皮算用。
第二京阪道路につくられた自転車道を走る。松井山手まではアップダウンが何度もあり結構きつい。“一代目”は3段変速で車体も重かったが、“二代目”は七段変速で車体も軽いので上りがぐっと楽で、スピードも出る。
新木津川大橋には10時40分。宇治川大橋11時。京都南大橋で鴨川を11時20分を渡る。
鴨川を渡ると市街地に入る。自転車道は整備されていて快調に走ることができる。京都駅を過ぎてから右折し烏丸通に入り北へ走る。ちょうど烏丸五条の交差点に11時40分過ぎ、2時間で着いた。京都文化博物館はそこから10分余り。腹ごしらえをしてから北斎展に。
北斎展については日を改めて書くことにする。帰りは前々から興味のあった鴨川沿いに下って行くことにする。自転車で細い通りを抜けながら市内を走るのもなかなかいい。三条駅を目指して適当に行くと寺町商店街に出た。自転車で走ることは禁止されているので押していくと、本能寺があった。これも縁と立ち寄る。ビルに囲まれているが門を入るとここだけ別空間。
御池通りに出て少し走ると、鴨川に出る。三条大橋のふもとに駅伝発祥の碑があり、“二代目”とともに記念撮影。13時01分。川べりに遊歩道が整備されているので気持ちよく走ることができる。四条大橋の対岸には東華菜館の趣きあるビル。
遊歩道は七条までである。上にあがって鴨川と琵琶湖疏水にはさまれた道を走っていると東福寺の標識が見えた。いつも素通りしていたと思い「寄ってみるか」と鴨川から少し離れる。東福寺の境内は思っていたより広かった。霊雲院(不二庵)の庭園の標識板があり、雑誌で紹介されていたことを思い出し拝観することにした。
面積は広くないが2つの庭がある。書院前庭が“九山八海の庭”中央にあるのが細川家からおくられた「遺愛石」。小書院の西にあるのが“臥雲の庭”またここは日露戦争の時はロシア人捕虜収容所にもなったみたいで、当時の写真と残された品物が展示されていた。
霊雲院からしばらく行くと三門がある。もともと奈良東大寺や興福寺の規模にしようと字を一字ずつとって東福寺と名づけただけあって堂々とした造りである。
本殿は1881(明治14)年焼失後、1934(昭和9)年再建。起工から竣工まで17年を要し復興させた昭和の木造建築中最大の建物である。入母屋、裳階(もこし)付単層本瓦葺、正面七間・側面五間。三門にならった大仏様の組物と角扇垂木。禅宗唐様の桟唐戸・礎盤・鏡天井。裳階の窓は和様の連子窓、破風の妻飾りは法隆寺南大門風と、多様に様式が組み合わされている。
内部は禅式床瓦敷とし、正面須弥壇上に本尊釈迦立像、脇に摩訶迦葉尊者 阿南尊者、四天王を安置。天井の画龍は堂本印象氏の作、龍の大きさは体長54m・胴廻り6.2mに及ぶ。
東福寺で思いのほか時間を取ったので鴨川から桂川に出て、淀川、天野川に沿って帰るという予定を変更して第二京阪の自転車道を使うことにする。東福寺を14時前に出て家に着いたのが15時45分。さすがに最後の坂道は足にこたえた。
第二京阪道路につくられた自転車道を走る。松井山手まではアップダウンが何度もあり結構きつい。“一代目”は3段変速で車体も重かったが、“二代目”は七段変速で車体も軽いので上りがぐっと楽で、スピードも出る。
新木津川大橋には10時40分。宇治川大橋11時。京都南大橋で鴨川を11時20分を渡る。
鴨川を渡ると市街地に入る。自転車道は整備されていて快調に走ることができる。京都駅を過ぎてから右折し烏丸通に入り北へ走る。ちょうど烏丸五条の交差点に11時40分過ぎ、2時間で着いた。京都文化博物館はそこから10分余り。腹ごしらえをしてから北斎展に。
北斎展については日を改めて書くことにする。帰りは前々から興味のあった鴨川沿いに下って行くことにする。自転車で細い通りを抜けながら市内を走るのもなかなかいい。三条駅を目指して適当に行くと寺町商店街に出た。自転車で走ることは禁止されているので押していくと、本能寺があった。これも縁と立ち寄る。ビルに囲まれているが門を入るとここだけ別空間。
御池通りに出て少し走ると、鴨川に出る。三条大橋のふもとに駅伝発祥の碑があり、“二代目”とともに記念撮影。13時01分。川べりに遊歩道が整備されているので気持ちよく走ることができる。四条大橋の対岸には東華菜館の趣きあるビル。
遊歩道は七条までである。上にあがって鴨川と琵琶湖疏水にはさまれた道を走っていると東福寺の標識が見えた。いつも素通りしていたと思い「寄ってみるか」と鴨川から少し離れる。東福寺の境内は思っていたより広かった。霊雲院(不二庵)の庭園の標識板があり、雑誌で紹介されていたことを思い出し拝観することにした。
面積は広くないが2つの庭がある。書院前庭が“九山八海の庭”中央にあるのが細川家からおくられた「遺愛石」。小書院の西にあるのが“臥雲の庭”またここは日露戦争の時はロシア人捕虜収容所にもなったみたいで、当時の写真と残された品物が展示されていた。
霊雲院からしばらく行くと三門がある。もともと奈良東大寺や興福寺の規模にしようと字を一字ずつとって東福寺と名づけただけあって堂々とした造りである。
本殿は1881(明治14)年焼失後、1934(昭和9)年再建。起工から竣工まで17年を要し復興させた昭和の木造建築中最大の建物である。入母屋、裳階(もこし)付単層本瓦葺、正面七間・側面五間。三門にならった大仏様の組物と角扇垂木。禅宗唐様の桟唐戸・礎盤・鏡天井。裳階の窓は和様の連子窓、破風の妻飾りは法隆寺南大門風と、多様に様式が組み合わされている。
内部は禅式床瓦敷とし、正面須弥壇上に本尊釈迦立像、脇に摩訶迦葉尊者 阿南尊者、四天王を安置。天井の画龍は堂本印象氏の作、龍の大きさは体長54m・胴廻り6.2mに及ぶ。
東福寺で思いのほか時間を取ったので鴨川から桂川に出て、淀川、天野川に沿って帰るという予定を変更して第二京阪の自転車道を使うことにする。東福寺を14時前に出て家に着いたのが15時45分。さすがに最後の坂道は足にこたえた。