ジムの仲間と休館日を利用して桜巡りサイクリングをした。第二京阪道路の側道を走り大阪城を目指した。途中で門真市の超穴場スポットの砂子水路に立ち寄ってみようという提案があった。自転車は融通がきくのでありがたい。側道から外れて5分ほど走ると両岸を住宅地や高層住宅に挟まれたところに砂子水路があった。「へぇ~こんなところに!」と驚いた。

砂子水路の桜を川から見ることができる観桜船(かんおうせん)があった。。砂子水路を約500mほど往復してして乗船時間はだいたい25分程度。地元のボランティアの人が運営していて、土日の開花時期に運行しているとのこと。桜は七分咲き程度で以前行ったことがある人は少し残念そうだった。
側道に戻ると「鶴見緑地公園の中も走ってみよう」となった。
鶴見緑地公園からは寄り道なしで大阪城へと直行。寝屋川公園前を9時に出発して10時50分に大阪城に到着。ぐるっと1周する。相変わらずの混雑ぶり。人の少ないエリアで昼食。ウメの時期に大阪城の写真はたくさん撮ったので今回は昼食をとったベンチからの1枚だけ。
30分ほど談笑した後12時に出発。帰路は毛馬桜之宮公園(南天満エリア)から淀川リバーサイドサイクルラインで大川沿いに走り毛馬閘門から淀川沿いに淀川新橋まで行き、そこから寝屋川市内を抜け交野に戻るというルートに決めた。
毛馬桜之宮公園は満開でたくさんの花見客で賑わっていた。周りの景色、規模からやはり大阪の桜の名所番付なら東横綱だと意見が一致。
大川が淀川に合流する地点に毛馬閘門が待っていた。「閘門(こうもん)」とは、河川や運河の水位が異なる場所で”船のエレベーター”的に、その高さを水量で調整する仕組みの門のことである。
昔はこの大川が「淀川」と呼ばれていた主流の川で、今の川幅の広い淀川は1910年頃に開削された『シン淀川』だった。今では『シン淀川』とは呼ばれずに「淀川」と呼ばれ、大川が「旧淀川」とも呼ばれるようになった。「旧淀川」は蛇行していた為に、大雨が降った際には下流で氾濫する事がとても多く、大雨の度に毎回淀川周辺が被害を受けているのを見過ごせなく、思い切った開削工事が行われた。その際に、大川間との舟の行き来などを管理する「毛馬閘門」などが整備されたという説明があった。淀川大堰の役目は水の制御と循環。

14時30分地元の傍示川にもどる。「傍示川の桜、横綱とは言えないが将来有望な関脇ぐらいやで」と地元愛ある言葉で解散。

一人になると張りつめていた気持ちが緩み、自転車をこぐ気力が失せ桜のトンネルを押して歩いた。体が歩くことに飢えていたみたいだ。
桜三昧の一日だった。満腹。



砂子水路の桜を川から見ることができる観桜船(かんおうせん)があった。。砂子水路を約500mほど往復してして乗船時間はだいたい25分程度。地元のボランティアの人が運営していて、土日の開花時期に運行しているとのこと。桜は七分咲き程度で以前行ったことがある人は少し残念そうだった。


鶴見緑地公園からは寄り道なしで大阪城へと直行。寝屋川公園前を9時に出発して10時50分に大阪城に到着。ぐるっと1周する。相変わらずの混雑ぶり。人の少ないエリアで昼食。ウメの時期に大阪城の写真はたくさん撮ったので今回は昼食をとったベンチからの1枚だけ。

毛馬桜之宮公園は満開でたくさんの花見客で賑わっていた。周りの景色、規模からやはり大阪の桜の名所番付なら東横綱だと意見が一致。



大川が淀川に合流する地点に毛馬閘門が待っていた。「閘門(こうもん)」とは、河川や運河の水位が異なる場所で”船のエレベーター”的に、その高さを水量で調整する仕組みの門のことである。
昔はこの大川が「淀川」と呼ばれていた主流の川で、今の川幅の広い淀川は1910年頃に開削された『シン淀川』だった。今では『シン淀川』とは呼ばれずに「淀川」と呼ばれ、大川が「旧淀川」とも呼ばれるようになった。「旧淀川」は蛇行していた為に、大雨が降った際には下流で氾濫する事がとても多く、大雨の度に毎回淀川周辺が被害を受けているのを見過ごせなく、思い切った開削工事が行われた。その際に、大川間との舟の行き来などを管理する「毛馬閘門」などが整備されたという説明があった。淀川大堰の役目は水の制御と循環。



14時30分地元の傍示川にもどる。「傍示川の桜、横綱とは言えないが将来有望な関脇ぐらいやで」と地元愛ある言葉で解散。



一人になると張りつめていた気持ちが緩み、自転車をこぐ気力が失せ桜のトンネルを押して歩いた。体が歩くことに飢えていたみたいだ。


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