予報よりも早く、朝から雨は降り始めた。防水工事は来週の月曜日に延期。そこで、井上ひさしさんの『日本語教室』(新潮新書)を読むことにした。2001年10月から毎月1回、母校・上智大学で4回にわたって行われた講演を完全再現したものである。“やさしい。ふかい。おもしろい。”というキャッチフレーズどおりで1日で一気に読み通すことができた。
母語 (=脳がどんどん育っていくときに、お母さんや愛情をもって世話をしてくれる人たちから聞いた言葉)と母国語をきちっと区別して考えることから講義が始まった。
『・・・母語は道具ではない、精神そのものであるということがわかってきます。母語を土台に、第二言語、第三言語を習得していくのです。ですから結局は、その母語以内でしか別の言葉は習得できません。ここのところは言い方がちょっと難しいのですが、母語より大きい外国語は覚えられないということです。つまり、英語をちゃんと書いたり話したりするためには、英語より大きい母語が必要なのです。だから、外国語が上手になるためには、日本語をしっかりーたくさん言葉を覚えるということではなくて、日本語の構造、大事なところを自然にきちっと身につけていなければなりません。』という指摘は、今の英語教育のあり方に一石を投じるものである。そして、今や水戸黄門の印籠みたいにみんながふれ伏す“グローバリゼーション”“グローバリズム”ということについても疑問を呈する。
『・・・グローバリズムというのは、世界を一つの大きな共同体にしようという主義、あるいは運動で、ある意味ではとても結構ですし、国際連合も、われわれは大事にしなければいけません。それはわかりますけども、思想や行動を、世界中に広げるときの、その主体者は誰か。国連が主体者なのか。そうではないですよね、アメリカです。
だから、グローバリゼーションというのは、アメリカ化ということです。アメリカが大事にするものを、世界中に広めようということです。・・・』 今日の毎日新聞の“経済観測”で埼玉大学大学院客員教授の水野和夫さんが同様のことを書いている『・・・グローバリゼーションの“事実”とは、ヒト、モノ、カネの国境を越える自由な移動のプロセスである。一方、その“真実”とは、帝国を構成する中心と周辺を結び付けるイデオロギーで、下から上へ富を集中させるプロセスである。・・・』 国民は成長がすべてを解決するという成長神話に頼るので、国家は国債を発行してでも成長を求め、グローバル化を図る。グローバリゼーションが加速するほど、失業率は増大し、生活保護世帯が急増している現実に直面している。大きな流れを止めることはできないかもしれないが、それでも一人ひとりがもう一度立ち止まって考える時期を迎えているのではないかと思う。
『・・・完璧な国などないわけですね。かならずどこかで間違いを犯します。その間違いを、自分で気がついて、自分の力で必死で苦しみながら乗り越えていく国民には未来があるけれども、過ちを隠し続ける国民には未来はない。つまり、過ちに自分で気がついて、それを乗り越えて苦労していく姿を、他の国民が見たときに、そこに感動が生まれて、信頼していこうという気持ちが生まれるわけです。・・・』日本語の話もさることながら、脱線した話も味わい深いものがある。
もともと私は文法が大の苦手であった。そういう私にとって、阿弥陀様のように井上さんは、講義の最後の最後で救いの手をさしのべてくれた。
『・・・文法については駆け足になってしまいました。敬語のことや動詞・形容詞の活用のことなど、お話ししなかった問題がたくさんありますが、要は、私たちひとりひとりが日本語をどう見て、どう整理し、どう再組織するかにかかっています。ですから、人それぞれの文法があっていいという結論にいたしましょう。』
母語 (=脳がどんどん育っていくときに、お母さんや愛情をもって世話をしてくれる人たちから聞いた言葉)と母国語をきちっと区別して考えることから講義が始まった。
『・・・母語は道具ではない、精神そのものであるということがわかってきます。母語を土台に、第二言語、第三言語を習得していくのです。ですから結局は、その母語以内でしか別の言葉は習得できません。ここのところは言い方がちょっと難しいのですが、母語より大きい外国語は覚えられないということです。つまり、英語をちゃんと書いたり話したりするためには、英語より大きい母語が必要なのです。だから、外国語が上手になるためには、日本語をしっかりーたくさん言葉を覚えるということではなくて、日本語の構造、大事なところを自然にきちっと身につけていなければなりません。』という指摘は、今の英語教育のあり方に一石を投じるものである。そして、今や水戸黄門の印籠みたいにみんながふれ伏す“グローバリゼーション”“グローバリズム”ということについても疑問を呈する。
『・・・グローバリズムというのは、世界を一つの大きな共同体にしようという主義、あるいは運動で、ある意味ではとても結構ですし、国際連合も、われわれは大事にしなければいけません。それはわかりますけども、思想や行動を、世界中に広げるときの、その主体者は誰か。国連が主体者なのか。そうではないですよね、アメリカです。
だから、グローバリゼーションというのは、アメリカ化ということです。アメリカが大事にするものを、世界中に広めようということです。・・・』 今日の毎日新聞の“経済観測”で埼玉大学大学院客員教授の水野和夫さんが同様のことを書いている『・・・グローバリゼーションの“事実”とは、ヒト、モノ、カネの国境を越える自由な移動のプロセスである。一方、その“真実”とは、帝国を構成する中心と周辺を結び付けるイデオロギーで、下から上へ富を集中させるプロセスである。・・・』 国民は成長がすべてを解決するという成長神話に頼るので、国家は国債を発行してでも成長を求め、グローバル化を図る。グローバリゼーションが加速するほど、失業率は増大し、生活保護世帯が急増している現実に直面している。大きな流れを止めることはできないかもしれないが、それでも一人ひとりがもう一度立ち止まって考える時期を迎えているのではないかと思う。
『・・・完璧な国などないわけですね。かならずどこかで間違いを犯します。その間違いを、自分で気がついて、自分の力で必死で苦しみながら乗り越えていく国民には未来があるけれども、過ちを隠し続ける国民には未来はない。つまり、過ちに自分で気がついて、それを乗り越えて苦労していく姿を、他の国民が見たときに、そこに感動が生まれて、信頼していこうという気持ちが生まれるわけです。・・・』日本語の話もさることながら、脱線した話も味わい深いものがある。
もともと私は文法が大の苦手であった。そういう私にとって、阿弥陀様のように井上さんは、講義の最後の最後で救いの手をさしのべてくれた。
『・・・文法については駆け足になってしまいました。敬語のことや動詞・形容詞の活用のことなど、お話ししなかった問題がたくさんありますが、要は、私たちひとりひとりが日本語をどう見て、どう整理し、どう再組織するかにかかっています。ですから、人それぞれの文法があっていいという結論にいたしましょう。』