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素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

人間の権利

2011年06月08日 | 日記
 人間の権利ということについて考えさせられた本との出会いは10代の後半であったことはまちがいないが、はっきりしない。家の本棚の隅にあった村井実著『人間の権利』(講談社新書)である。“権利”という単語を簡単に使っていた私に、権利の問題を深く考えていくと“人間とは何か”“人間はなんのために生きているか”“幸福とはなにか”“正義とはなにか”“道徳とはなにか”など無数の大問題に発展してしまうということを教えてくれた。

 さまざまな事例をひきながら『権利というものは人間に自然に備わったものではなくて、人間が道徳的につくり出したものである。』という結論は当時の私にはインパクトのあるものだった。

 そして、権利の問題で「日本とは違うな」と強く思ったのが“良心的兵役拒否”のことを岩波新書で読んだ時。大学に入学して間もない頃である。集団の規則、規律と個人の思いとのギャップに悩んでいた時に書店で目に飛び込んできた単語であった。

 集団と個人との関係においては、常につきまとうわずらわしい問題の究極のものであると思う。長くなるがWikipediaから抜粋、引用したい。
 
良心的兵役拒否は強制的な兵役を導入した時から存在しているが、初めて合法的に認められるようになったのは、21世紀の直前のことであった。

 良心的兵役拒否者は、かつて、国賊、売国奴、非国民、脱走兵、反逆者、臆病者、のろま等々、屈辱的な言葉で罵倒・侮蔑され、死刑に処されるなど、ありとあらゆる差別・抑圧・迫害を受けてきた。「死にたくない」という自然で素朴な本能的欲求に従って軍務を離脱した数多くの人間が軍法会議で死を宣告された。第二次世界大戦時に後方部隊への異動を願い出たものの、却下されて脱走を図ったアメリカ兵エドワード・スロヴィクが銃殺刑に処された事件はその例のひとつである。

 しかし、欧米においては、ここ数十年のうちに急激な変化がみられる。現在良心的兵役拒否権は国際連合やヨーロッパ評議会 のような国際機関では基本的人権として認知され、推奨されている。その理論的支柱となったのが基本的人権の「良心の自由」の思想であった。

 良心的兵役拒否者が代替条件で市民労役を命じられている国では、徴集兵と同様、労役は社会貢献をしていると解釈されている。同時に、兵役拒否者数に上昇もみられている。ドイツでは良心を理由に兵役は拒否出来ることが法律で定められており、その代わり13ヶ月間の社会福祉活動が義務づけられる。同国では、「良心的兵役拒否者」数が2003年には兵役につく者の数を上まわり、老人介護等の社会福祉事業は、これらの民間奉仕義務 なしには成立し得ないと言われている。

 一方、多くの国々で良心的兵役拒否権に法的基盤がないのも事実である。外務省や CIA World Fact Book の資料によると、現在の地球上では、軍隊または国防のための武装組織を保有する約170か国のうち約67か国に徴兵制度が存在するが、そのうちの30カ国しか法的な対策を取っておらず、そのうちの25カ国はヨーロッパ諸国が占めている。ギリシャ、キプロス、トルコ、フィンランド、ロシアを除くヨーロッパの徴兵制度を持つ国は、多かれ少なかれ良心的兵役拒否に関する国際的指針を満たしている。

 ヨーロッパ以外の多くの国、とりわけ戦闘激化地域(イスラエル / パレスチナ、コンゴ)では、現在でも良心的兵役拒否は死刑など厳罰となる(ただし、イスラエルでは女性のみ良心的兵役拒否が可能)。

アメリカ合衆国ではもともと、南北戦争 (1860年 - 1865年) の時代から良心的兵役拒否を認めており、第一次世界大戦では宗教的兵役拒否という言葉も生まれた。これらの背景には、教理上、戦争を否定するブレズレン(フレンド派)、メノナイト、クエーカー(友会)など「平和教会」と呼ばれる教派の存在がある。キリスト教の中では少数派の「平和教会」は、非暴力と非戦主義に関して社会に大きな貢献をした。

 第二次世界大戦中、全米で1万2千人が兵役を拒否し、兵役の代替業務である市民公共サービス(CPS) に従事した。そして「平和教会」を中心に、拒否者を支える全国支援会議が組織され、経費や業務の面で政府と協力して CPS の制度が実施されていた。

良心的兵役拒否の現代における思想は、「すべての者は神の御前で個々の行動に対して責任を負う」というプロテスタントのキリスト教信仰に起源を有している。それゆえに最初の拒否法の規定が、1900年にキリスト教のプロテスタント教国のノルウェーで紹介されたことは驚くべきことではない(デンマークとスウェーデンが1917年と1921年に後に続いた)。続く20数年の間に、ヨーロッパの他のプロテスタント教国も徐々に信者が良心的兵役拒否をする権利を認めるようになった。カトリック教国では個人の罪や国家に対する忠誠に関わる、異なる見解ゆえに、50年を経て1963年にフランスやルクセンブルクで始まった。

冷戦下の欧州で、西側諸国での良心的兵役拒否者の立場は認められたが、多くの東側諸国はレーニンの意見を無視し良心的兵役拒否を認めなかった(東ドイツやソビエト連邦では事実上、良心的兵役拒否が認められていたが、良心的兵役拒否者は就職や進学などで差別を受けた)。冷戦終結後には、多くの東欧諸国が良心的兵役拒否を認めるようになった。

特殊なケースとして挙げられるのが正教会の伝統を持つギリシャである。ギリシャには伝統的に道徳的義務として国家に対する国民の不滅の忠誠と「正当防衛」がある。ギリシャは良心的兵役拒否と代替労役に関する法を有するヨーロッパの数少ない国の一つである。最近のヨーロッパで良心的兵役拒否の権利を認めたのは2003年のセルビア・モンテネグロが挙げられる。

第二次世界大戦中、良心的兵役拒否は、とりわけナチス・ドイツ占領下のヨーロッパにおいて反戦とレジスタンス運動の危険な形態の一つであった。 日本においても、日露戦争時の牧師・矢部喜好を嚆矢として、その後、灯台社(ヱホバの証者)の明石順三が兵役を拒否して、特別高等警察に逮捕・収監された。


 なぜ古くて新しい“人間の権利”について思いを馳せるようになったかといえば、大阪府の公立学校の教職員に君が代の起立斉唱を義務付ける全国初の条例を、維新の会以外の党、教育長、教育委員の懸念、疑問を無視する形で単独強行採決で成立させたことがある。夕方の会見のニュースで、橋下知事は、9月議会で不起立を繰り返す教職員の懲戒免職も含めた処分基準を定める条例案を提出する方針を示した。さらに、「これが(知事選、大阪市長選の)ダブル選で争点化するだろう」と記者会見で話したそうだが、私には争点を大阪都構想というものからそらして票を獲得するための手段として使いたいという意図を感じた。年2回の行事で、しかもきわめて少数の教師の行動をとらえて“知事選、市長選”の争点にすること事態に無理がある。知事は明確な数字を示さず『普通の組織にするため』とよく発言する。聞くものは、“教育現場は各教師が自由勝手にふるまっている異常な組織”というイメージを勝手につくらされてしまう。非常に巧妙な言葉のマジックである。」全教職員の中で、不起立であった数を年度別に出すべきである。教育委員会は管理職に調査報告をさせているのだから実態をとらえているはずである。したがって、教育委員会レベルでは“条例は必要ない”という見解が出たのだろう。あえて、それを無視して強行したのは政治的意図としか思えない。

 それよりも、講師不足で条例、法令で決められている職員が確保できず、欠員のまま放置されている学校が多く存在することのほうが大阪の教育にとって大切で、深刻なしかも早急に解決すべき問題である。私をふくめ多くの退職者のところへ学校長が講師依頼を悲痛な調子で電話をしてくるということこそ教育行政の異常事態である。早く正常にしてもらいたいものだ。
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