読み進むにつれ心の底に黒い泥が溜まっていくようだった。気の重さにため息の数が増えていった。地震発生後の各地の被害の様子が克明に記録と証言に基づいて描かれているが、中でも火災による被害の増大については教訓として心に留めておかないといけないことが多くあった。しかし、本書の中で一番衝撃的であったのは“第二の悲劇~人心の錯乱”の部分である。流言飛語のこわさと集団心理による人間の残酷さがズシリと響く。特に“朝鮮人来襲説”によって結成された自警団による暴虐の限りを尽くした行為は、震災による異常心理では片付けられない深刻なものである。同様に震災の混乱に乗じた社会主義者に対する弾圧も忘れてはいけない事実である。特に、大杉栄事件とその軍法会議の部分は考え込まされた。全編を通じて新聞報道の果たす役割がいかに大きいかということも強く思った。
昨日の新聞で、東日本大震災に関連した記事の中で目を引いたものが2つあった。1つは、《時代の風》という欄での加藤陽子東京大教授の“原発事故失敗を生かすには”という話。東京電力福島第1原子力発電所の事故原因解明や安全規制のあり方を検討する事故調査・検証委員会の委員長である畑村洋太郎氏の『失敗学』を紹介しつつ畑村氏にエールを送っている。
「・・・急速に減衰化し歪曲化されやすい性質を持つ失敗情報。まことに気難しい性質に生まれついた、この失敗情報を知識化するには、失敗の事象・経過・原因・対処・総括まで、脈絡をつけて記述することが特に重要となる。そのため、第三者は当事者から情報を聞き出すとき、細心の注意を払わねばならない。・・・」 そういう点で、第一人者である畑村氏は適任であると指摘する。私も畑村氏が委員長になったということを聞いた時、「OH!」と期待感が湧いた。加藤さんの勧めに従って《畑村洋太郎のすすめ 畑村創造工学研究所》を検索して、そこの〈失敗知識データーベース〉を見た時、さらに最適任だと確信した。
新聞を始めマスメディアによる情報とは一線を画した“失敗情報”を知識化してほしいと願う。加藤さんの指摘も鋭い
「・・・我々に見えるのは常に結果だけだ。だから、わかりやすい原因を早々と見つけて留飲を下げたい衝動にかられる。だが、自然の猛威がそのまま入力された結果、今回のような事態が出力されたとは誰も思わないだろう。そこには人間の関与と、入力と出力をつなぐ仕組みやカラクリがあったはずなのだ。要因と結果をつなぐカラクリ。それを浮かび上がらせる失敗学は、タフで優れた手法だといえるであろう。・・・」
私が大阪の大正橋で見た石碑、明治や昭和に何度も大津波被害を受けた三陸にある津波石碑などは本来であれば貴重な失敗情報だが、世代が隔たれば情報の“減衰化”は免れない。関東大震災においても安政二年の江戸大地震の火災に関する知識の差によって被害の拡大に地域によって違いが出たと吉村氏は指摘している。したがって、関東大震災における、目を背けたくなる“大失敗”の知識も減衰化させてはならないのだと思う。
2つ目の記事は、大阪府の橋下知事が掲げる府庁舎の咲洲(さきしま)庁舎(大阪市住之江区・旧WTC)への全面移転構想で、府の専門家会議メンバーである河田恵昭関西大教授(巨大災害)を取材したもの。河田氏は震災前から“高潮対策が不足している”などとして 一貫して反対の立場。震災発生時、咲洲庁舎は約10分間揺れ続け、エレベーターが止まったり、天井や壁など計360ヶ所が破損したりした。それを受けて河田氏は「ますます危険ということが分かった。ますます移転したらいけない。(反対の立場は)変わらない」と強調し、さらに「府庁は社会サービスの最たる機関。(津波で壊滅状態となった岩手県)大槌町を教訓にすべきだ。」と警鐘を鳴らした。それに対して府幹部は「災害の権威である河田先生の指摘を乗り越えられない限り、移転という結論は出せない」と話しているにも関わらず、橋下知事は「移転の判断は政治の問題だ」としており8月中にも最終判断する方針みたいだ。
(知事の好きな)民意や現場の声、専門家の指摘が自分の思惑と違った時、橋下氏は〈政治の問題〉だとバッサリ切り捨てて結論を出す。こんなにあけすけな表現はしないが、原発を推進してきた論理・手法と同じではないかと思った。〈政治の問題〉という言い回しで説明を逃れることを許してはいけないのではないか。と考えた。
昨日の新聞で、東日本大震災に関連した記事の中で目を引いたものが2つあった。1つは、《時代の風》という欄での加藤陽子東京大教授の“原発事故失敗を生かすには”という話。東京電力福島第1原子力発電所の事故原因解明や安全規制のあり方を検討する事故調査・検証委員会の委員長である畑村洋太郎氏の『失敗学』を紹介しつつ畑村氏にエールを送っている。
「・・・急速に減衰化し歪曲化されやすい性質を持つ失敗情報。まことに気難しい性質に生まれついた、この失敗情報を知識化するには、失敗の事象・経過・原因・対処・総括まで、脈絡をつけて記述することが特に重要となる。そのため、第三者は当事者から情報を聞き出すとき、細心の注意を払わねばならない。・・・」 そういう点で、第一人者である畑村氏は適任であると指摘する。私も畑村氏が委員長になったということを聞いた時、「OH!」と期待感が湧いた。加藤さんの勧めに従って《畑村洋太郎のすすめ 畑村創造工学研究所》を検索して、そこの〈失敗知識データーベース〉を見た時、さらに最適任だと確信した。
新聞を始めマスメディアによる情報とは一線を画した“失敗情報”を知識化してほしいと願う。加藤さんの指摘も鋭い
「・・・我々に見えるのは常に結果だけだ。だから、わかりやすい原因を早々と見つけて留飲を下げたい衝動にかられる。だが、自然の猛威がそのまま入力された結果、今回のような事態が出力されたとは誰も思わないだろう。そこには人間の関与と、入力と出力をつなぐ仕組みやカラクリがあったはずなのだ。要因と結果をつなぐカラクリ。それを浮かび上がらせる失敗学は、タフで優れた手法だといえるであろう。・・・」
私が大阪の大正橋で見た石碑、明治や昭和に何度も大津波被害を受けた三陸にある津波石碑などは本来であれば貴重な失敗情報だが、世代が隔たれば情報の“減衰化”は免れない。関東大震災においても安政二年の江戸大地震の火災に関する知識の差によって被害の拡大に地域によって違いが出たと吉村氏は指摘している。したがって、関東大震災における、目を背けたくなる“大失敗”の知識も減衰化させてはならないのだと思う。
2つ目の記事は、大阪府の橋下知事が掲げる府庁舎の咲洲(さきしま)庁舎(大阪市住之江区・旧WTC)への全面移転構想で、府の専門家会議メンバーである河田恵昭関西大教授(巨大災害)を取材したもの。河田氏は震災前から“高潮対策が不足している”などとして 一貫して反対の立場。震災発生時、咲洲庁舎は約10分間揺れ続け、エレベーターが止まったり、天井や壁など計360ヶ所が破損したりした。それを受けて河田氏は「ますます危険ということが分かった。ますます移転したらいけない。(反対の立場は)変わらない」と強調し、さらに「府庁は社会サービスの最たる機関。(津波で壊滅状態となった岩手県)大槌町を教訓にすべきだ。」と警鐘を鳴らした。それに対して府幹部は「災害の権威である河田先生の指摘を乗り越えられない限り、移転という結論は出せない」と話しているにも関わらず、橋下知事は「移転の判断は政治の問題だ」としており8月中にも最終判断する方針みたいだ。
(知事の好きな)民意や現場の声、専門家の指摘が自分の思惑と違った時、橋下氏は〈政治の問題〉だとバッサリ切り捨てて結論を出す。こんなにあけすけな表現はしないが、原発を推進してきた論理・手法と同じではないかと思った。〈政治の問題〉という言い回しで説明を逃れることを許してはいけないのではないか。と考えた。