海上撮影家が見た上海2

上海で撮影活動をしている海原修平のBlog。「海上」とは上海の逆で、新しい上海という意味。更新は不定期。

昔の別府温泉は、おもてなしの街だったようだ

2015-09-02 | 写真日記

 

別府駅前にあるオッサン銅像が別府温泉の父である「油屋熊八」だと知ったのはつい最近の話。

 

油屋熊八

このオッサンを調べてみるととんでもなくオモロイオッサンだという事がよく分かる。今、東京オリンピック招致で言われている海外の客に対しての「おもてなし」の原型を私財を投げ売ってまで実践した人だとも言える。

 

別府タワー 

別府と言えば湯の街と言い切る事が出来るくらい温泉で有名な街なのだが、今の別府の街は相当衰退しているとしか思えない。別府だけでなく、時代はどんどんと変わっているのに過去の繁栄にあぐらをかいて衰退した温泉地はたくさんあり、私が行った事のある温泉地だと九州は嬉野だったり関東だと熱海が良い例。温泉場に人が来なければ、それと連動して地元の商店街も衰退するのは当然の話。この別府には日本で最初にアーケード街が作られた「竹瓦小路」があるのだが、今は一応存在しているだけの状態だった。

 

 

 

では、別府温泉旅館すべてが衰退しているのかと言うとそうではない。今回泊まった別府の鉄輪(かんなわ)にある柳屋 (経営者は女性)がそれだ。

 

 柳屋の階段は黒光りするほど磨き上げられていて、とても美しい

前世紀にヨーロッパを二ヶ月間レンタカーで周り毎日違うホテルに泊まったり、ロケで国内外の様々なホテルに泊まった経験があるが、宿というのは一歩入口を入るとだいたいその宿がどんなレベルか想像がつくものだ。そんな中、今回は鉄輪の柳屋の入口を入った瞬間に、もしかしたらと思わせるたたずまいが漂っていたのを今でも思い出す。ここの良さは泊まってみなければ伝わらない事なのでクドクドと書かないが、もしかしたらここの柳屋の旅館のサービスは、今日本で求められている現代の正しいおもてなしなのかもしれない。この旅館の建物の歴史は長いが柳屋としてオープンしたのは2014年なのでまだ知名度は低いが、将来きっと超人気の宿になると私は思っている。もう一度泊まりたいと思える宿は日本にはあまりないが、珍しくもう一度泊まりたいと私が思ったくらい。

ここ数年上海から日本の地方空港に降り数泊して東京に戻っているのだが、今の日本の地方都市を外から見ると衰退という言葉が一番ぴったり。少子高齢化も含め各地方都市は、今後どうしたら良いのか分からず迷走している風にしか見えない。役人に知恵は無いし市民も思考停止している人が多いので、何かを誘致すれば街を活性化出来ると他力に頼り物事を安易に考えている人が多すぎるのも一因。そして、けっこうガンなのが、その街の利権を握っている長老達とそれにぶら下がっている奴ら。だいたいそういう奴らは、自分の事と自分の家の商売の事しか考えてない。

今後は、大手代理店や机上の理論でしか物事を語れない偉そうなコンサルタントなどに頼らず、各都市の役所は悪しき規制をあっさり捨て去り異業種や他府県の人や若い人(特に女性)の現場進出がやりやすい環境を作る事が大事で、それが出来るとかなり諸々の問題は解消されると私は思っている。地元の市民はまずは個人でもよいので小さな事からやってみるという行動力だ大事で、それが良ければ賛同者は自然と増える。これは、日本の農業も同じ事が言える。

そういえば、油屋熊八も愛媛の宇和島生まれで大阪で商売をやり事業に失敗しアメリカ放浪の後に別府へ来た人。ずっと地元に住んでいると頭が飽和状態になり物事が見えなくなり世の中の流れが分からなくなって、井の中の蛙状態になる事は皆わかっているはず。別府には温泉という自然の恵みがあるので、日本の他都市よりも相当恵まれている事を地元民は再認識すべきだ。そういう意味でも油屋熊八の「旅人を懇ろにせよ」という言葉を再び別府再建のテーマにして物事を考えてみるべきだろうな。

☆余談だが、中国では絶対に女性の方が優秀だと断言出来る。日本はといえば女の人に優秀な人は多いが、先進国の中でも働ける環境が整ってないので社会進出しにくいのが日本の現状だ。また、日本人の女性は日本独特の社会への甘えがあるのも問題だ。

☆柳屋の関連記事→コレ

☆Summrit50mm f1.5 X-T1

コメント
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