海上撮影家が見た上海2

上海で撮影活動をしている海原修平のBlog。「海上」とは上海の逆で、新しい上海という意味。更新は不定期。

ヒューデックが設計した孫科の私邸

2021-10-30 | 遠い記憶 現代のレンズ

 

 

 

 

 

 

天候不順とメンテナンスなどで、ずっと入れなかった上生新所内にある孫科(孫文の長男)の私邸に行ってきた。この建築は、ラズロ・ヒューデックが設計し本来は自分の為の私邸にするつもりだったが、金銭的なトラブルに巻き込まれて、それを解決してくれた孫科に格安で譲ったそうだ。

ヒューディックはスロバキア系ハンガリー人で、軍隊時代にロシアに捕虜としてシベリアへ送られる途中で脱走し、上海に逃れて建築家として成功した経緯がある。昨年まで私が住んでいた新華路や番禺路にその建築は今も残っていて、ヒューディック記念館も番禺路にある。他に有名な建築は、今はインスタグラムのメッカとなっている武康大楼(ノルマンディアパート)や国際飯店(パークホテル)などがあり、上海の租界時代を代表する建築家だったので今もファンは多い。

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深圳の絵画村へ初めて行ったのは2013年

2021-10-24 | 写真日記

深圳油画村

 

深圳油画村

 

この絵画村の幹線道路を挟んだ向には深圳美術館があるのだが、コピー絵画でお腹一杯になり行く気にはなれなかった。深圳に行く機会があれば、この絵画村は深圳の他の観光地よりずっと面白い場所だ。

以下、映画からのキャプチャー画像。↓

 

映画からキャプチャー

 

映画からキャプチャー

 

映画からキャプチャー

 

初めて深圳に行ったのは1995年で、香港から鉄道で入ったが、まだ深圳駅は工事中だったと記憶している。この時は、アジアを6カ国ほど取材中にバンコクで阪神大震災を知った年で、一度帰国した後に上海に取材に行った年なのでよく覚えている。その後、2度目の深圳行きは、1998年に再び取材で訪れたので、3度目に訪れたのが2013年の1月でちょうど春節の頃だった。油画村(絵画村)知ったのは、深圳の取引会社のボスの紹介だった。当時、この村で写真を撮っていると注意されたのでほとんど写真を撮ってないが、こんな世界があるのかとニヤニヤしながらも唖然とした。

上海で自宅隔離中にAmazonで映画をチェックしていると、この油画村のドキュメント映画があったので早速観た。タイトルは、「世界で一番ゴッホを描いた男」だ。私が2013年に実際に見た工房はもっときれいで、当日はモネやドガなど印象派の絵を専門に描く工房だった。絵の値段を聞くと絵の大きさと絵の具の色数と絵の具の量で決まると聞いて、描くテクニックではなく完全な製造業だなと思って苦笑。当時もそうだが、美大を出ても絵で食える人は稀なので、美大生の雇用に貢献していると聞きなんとなく納得。写真さえあれば、何でも油絵具で描けると工房の女社長が自慢していた。当時、顧客は欧米を中心に全世界いたそうだが、日本からの顧客はないので、やったらどうだと誘われた。

この映画の中の主人公は実在する人物で、その後にオランダのアムステルダムで本物のゴッホを見る事になる。興味のある人は、Amazonで検索するとプライムで観る事が出来るお勧め映画。コレお勧めです。

 

 

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2006年にラリー車の練習走行を砂漠で撮影

2021-10-21 | 写真日記

元アシスタントのモンゴル人は、見張り役

 

昨日は、元アシスタントのモンゴル人と、夕方5時から11時まで日本料理屋で呑んだ。私の隔離終了後に、車で迎えに来てくれたのでお礼の意味で一杯。上の画像は、そのアシスタントとパリダカに出場する前の練習走行を、内モンゴルの砂漠の中で撮影した時の一枚。アシスタントがなぜ遠くにいるのかというと、砂漠の中では車が何処を走っているのか分からないので、砂山の一番高い位置からラリー車を発見しトランシーバーで知らせるのが彼の役目。当時の彼は確か日本の大学留学から戻って1年目だったと記憶しているが、元々カメラマン志望ではなかった。今ではけっこう売れっ子カメラマンとして自立。普通に話ても日本人と間違う人がいるくらい日本語はうまい。

 

私の後ろ姿は彼が撮影

 

ホテルの奥には現地に住む人達の家が見える

 

奥がホテルのフロントとレストラン

 

宿はパオ風で結構広く一人ひとパオ

 

これが、いつの画像か調べてみると、2006年になっているので15年も前だ。夕方に内モンゴルのフフホトから車に分乗し夜中に走り昼頃到着するという過酷な旅だった。途中、何度か小川を渡るために人は車を降りて歩いて渡るほど小さな橋だった。その時に見た夜空の星の美しさと星の数の多さは、今でもはっきりと覚えているほど美しかった。

この時はビデオクルーと一緒だったので、ほとんどホテルを貸し切り状態だった。飯は塩分多めで肉は羊のみで、冷えたビールが一番うまかった事くらいしか覚えていない。監督がベットの中でサソリに刺されたが、大した事にならず夜は毎日爆睡状態。確か、このロケの前後はとても忙しく、この撮影の後に上海へ戻り数日後には、カップ麺のCMでウルムチへ。

ここ最近天気が悪いのとやらなければならない事が多いので、しばらくは過去の画像に頼るしかない。それにしても、寒くなったね。

 

 

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厳し過ぎる中国の新型コロナ隔離措置

2021-10-19 | 写真日記

私が隔離解除後に行ったモール

 

私と偶然同じ便で中国へ戻ってきた中国人の友人は、上海で28日間の隔離後に無錫に戻れると思っていた。が、よく調べてみると、さらに28日間も上海に滞在しないと無錫に戻れない事が発覚した。つまり、海外から上海経由で地方都市へ向かうには、56日間も目的地へ行けない都市があるという事。中国のすべての地方都市が同じ隔離措置だと思わないが、もうこれは異常としか言いようがない。

現在、日本から上海の往復チケットは日系のエアラインで約30万円で、日本でPCR検査とIgM検査とその証明書の発行で4.5万円。そして、上海での2週間のホテル隔離費用が約9万円なので、これだけでも435000円となってしまう。私の場合は上海に住んでいるので、2週間のホテル隔離後+1週間の自宅隔離を経て10月17日に自由の身になれた。でも、その友人の場合は、合計56日間も上海でホテル暮らしになるので、相当の出費になってしまう。もう、これは気の毒としか言いようがない。

中国へ入国する際の国際線が飛んでいる都市は限られていて、運行停止の便がほとんどなのと、各エアラインは週に一便しか飛ばせないのは今も同じだ。こんな状況で、中国人も含め海外旅行に行く人も来る人もいないので、航空機を利用する人達のほとんどはビジネス客か帰省客しかいないのが今の状況だ。

隔離解除後に近くのモールへ行ってみると、関所で検温とマスク着用と健康コードの提示がないとモール内に入れないようになっていたが、一度モール内に入ると顎マスクで買物をしている人も多いのは変わっていない。現在の上海市内は感染者がいないにも関わらずコロナ対策が厳しいのは、他国と大きな違いだ。私のこちらでの友人のほとんどは、国内でワクチン接種をしてない人がほとんど。こちらでの感染者の多くは、海外から入境した人や空港で貨物の仕分けをする人、そして航空機の機内清掃員がほとんどだ。

数日前の上海のとある区での話で、その病院に通院している友人から聞いた話。とある国から上海に入国した外国人は、隔離も指定通り終えた数日後、熱が出たのでコロナ指定病院ではない近所の病院に行ったそうだ。その場で、PCR検査を受けたのだが、その結果が出る前なのに、その病院はパニック状態。つまり、その病院から仮に新型コロナ感染者が通院したと判明した場合、その病院はロックダウン措置が取られるからだ。幸い、PCR検査で彼は陰性だったので事なきを得たが、それほど中国ではコロナに対する対策は厳しい。この措置に対して私は反論はするつもりはないが、ゼロコロナを目指している中国はある意味正しい措置とも言える。

ゼロコロナを目指す中国の隔離政策がいつまで続くのか分からないが、とりあえず北京オリンピック終了後を見守るしかないな。

☆昨日の午前中に、水道水のフィルター交換と、公安へ行き住居登録を延長しすべての申請終了。

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上海入国後に最後のPCR検査を

2021-10-17 | 写真日記

長寧区の同仁病院前(スマホで撮影)

 

スマホでQRコードをスキャン後登録(スマホで撮影)

 

チャットに送られてくる検査結果

 

20日に受けたPCR検査の結果が出て健康コードが緑になった

 

上海に入国し隔離中最後のPCR検査を受けた。このPCR検査は、日本滞在中も含めると12回は検査している事になる。この隔離後21日目の検査報告をするためには、入国当日を含めた20日目に検査し翌日21日にチャットで報告しなければならない。これを怠るとちょっと面倒な事になるとの事。どこでPCR検査を受けるかによって、登録方法が違うようで一律ではないので、2回目の検査も同じ場所で受ける方が無難だ。

日本と違って中国は完全にデジタル化されているので、PCR検査結果もスマホに結果が届く。それを、私の地区の担当医にチャットで送信すればすべてが終わる。そして、入国後21日目に健康QRコードが緑になれば晴れて自由の身になれる。

自宅隔離になって初めて体重計に乗って驚いた。上海出国前は68kgだった体重が3ヶ月後に71kgになっていたのは、運動不足もあるが日本での食事が美味かったので食い過ぎも影響していると推測。ただ、体が少し重いが体調はすこぶる良い。

隔離終了後の一杯は、何処でやるかな。

☆追記  昨日受けたPCR検査の結果が出た。そして、健康コードが晴れて緑に。これで、何処へでも自由に行ける!!! これは、中国ではワクチンパスポートのような物だ。地区の保健担当者から、電話とSNSで連絡をくれる親切さに感謝。

 

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