海上撮影家が見た上海2

上海で撮影活動をしている海原修平のBlog。「海上」とは上海の逆で、新しい上海という意味。更新は不定期。

上海から札幌に飛び東京へ

2017-06-30 | 写真日記

6月13日に、上海浦東空港から札幌へ向かい一泊し東京へ向かった。上海から札幌へ直行した理由はカメラ本の著者に会うのと、今世紀に入って北海道へ足を踏み入れてない事を思い出したから。約20年ぶりの札幌だが、街は整然とし過ぎていてほとんどカメラを構える事もなく散策。夕方5時に札幌時計台前の居酒屋で著者と会い夕飯をいただき、その後ひとりですすきのに徒歩で向かった。

 

 

 

 すすきので一人呑み

 

すすきのを野良犬のようにうろつくも、入ってみたいと思うような店が見つからず、やっと見つけた店はちょぴり屋台風。たまたま横に座った演劇をやっているネーチャンや、店の常連の人達と話をしながら一杯。翌日は昼に札幌場外市場へ行き海鮮丼を食い、蟹を大人買いして宅急便で送った。

 

 札幌場外市場で昼飯

 

毛ガニとアブラガニを大人買いし東京へ宅急便で送った 

 

今回の帰国は、フォトネクスト(カメラ関係の機材ショー)の為に、私の看板商品である撮影用LED電球(039ブランド)のお披露目が目的。

 

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消逝的老街1996-2000 Panorama 72 豫園付近

2017-06-29 | 消逝的老街1996-2000 panorama

1996年 豫園付近

 

レンズ回転式のパノラマカメラは大昔から数種類あったが、これらが好きになれなかった理由はレンズが回転する事による歪だった。もちろん当時は120フィルムを使い4x5用レンズを使ったアートパノラマやリンホフやフジなども含め数種のパノラマカメラが存在したので色々とテストしたが、結局この上海の古い街並みの路地を路地らしく記録出来るカメラはレンズ回転式のパノラマカメラNoblex135Uが一番適したカメラだった。当時は上海の路地裏に雰囲気が似ている月島でテスト。

レンズ回転式のパノラマカメラは1996年当時、日本製のWideluxF8やロシア製のHORIZONTがあったが、いずれもレンズの焦点距離が短すぎて広角レンズ特有の歪が目立ち過ぎ使いにくいのが難点。その点、Noblex135Uの焦点距離は29mmと他社のカメラより焦点距離が長ったのと、わずかだが5mmほどレンズをライズ出来たのも選択肢のひとつ。また、シャッタースピードが1秒から1/500まで選べる事が最大の売りだった。ただ、このNoblex135Uの最大の欠点は、レンズを回転させるモーターのトルク不足やフィルム傷など様々な問題あり過ぎのカメラだったので、輸入元には大変お世話になった。その後、この上海の撮影後には手放した経緯ある。そんな中、サブで使っていたWideluxF8は、南極でも使われていた実績があり、一番安定して使えるカメラだと断言出来るが、欠点はシャッタースピードが三種類しか選べない事。

画像は、上海に来たら誰でも必ず一度は行く豫園商城。

Noblex135U

 

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消逝的老街1996-2000 Panorama 71 東門路

2017-06-28 | 消逝的老街1996-2000 panorama

1999年撮影 東門路

 

前世紀の上海の解体現場では、高価な重機を使えば楽に解体出来るのだが、経費が安く済むので農民工を雇い人海戦術で家屋を解体していた時代。今の解体現場では壁を作ってから家屋の解体が始まるが、当時はそんな事お構いなしだったので結構自由に撮影出来た。家屋の解体現場は、湿度の高い上海独特のカビ臭い埃が辺り一面に立込めたのを今でも覚えている。

Noblex135U

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消逝的老街1996-2000 Panorama 70 ◯珠街

2017-06-27 | 消逝的老街1996-2000 panorama

1996年撮影 ◯珠街弄

 

◯は日本の漢字無し。画面の左は廃墟で右はまだ現状のままだが、廃墟になるのは時間の問題。96年当時の移転補償金がどのくらい政府から出たのか忘れてしまったが、当然補償金だけでは上海中心部に家を買う事は出来ないのと、例え買えたとしても相当不便な地域でしか買えなかった時代。

96年に知り合った私の上海人の友人達は、日本のバブル時期に日本へ語学留学しバイトで稼ぎまくって上海に家を買った人や上海で商売を始めた人が結構多かった。当時の留学時代の話を聞くと、日本で一日バイトすると上海で一月分の給料と同額かそれ以上稼げたので夢のようだったと教えてくれた。

Noblex135U

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消逝的老街1996-2000 Panorama 69 場所不明

2017-06-20 | 消逝的老街1996-2000 panorama

1996年撮影 場所不明

 

地方から出て来た農民工の家族が、廃材を利用して取り壊した跡の廃墟に家を建て住み着いていた。ここからは左右にビニールシートが二つ見えるが、それが彼らの棲家。

 

Nobles 135U 

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