海上撮影家が見た上海2

上海で撮影活動をしている海原修平のBlog。「海上」とは上海の逆で、新しい上海という意味。更新は不定期。

真夏の冷感3点セット

2024-07-28 | 写真日記

夏の必需品3点

 

夏は上海から避難し日本で過ごすのが年中行事になっているが、最近は日本も上海も気温は似たようなもの。ただ、湿度は上海の方が高いので夏は日本より不快。私の夏用冷感三点セットは、水に浸した日本手拭いを帽子の中に入れる事とモバイルバッテリー駆動のネッククーラー、そして色の一番薄いサングラス。今年は帽子の中に入れる日本手拭いを新調しラーメンとタコ焼きに。

私のネッククーラーは3年以上使っているが、これのおかげで脳が沸騰するのを防いでくれる。そして、水に浸した日本手拭いを帽子の中に入れると打ち水効果でとても頭がすっきり。

☆冷蔵庫で冷やして使うネッククーラーが売れているようだが、はっきり言って外で使うと10分も持たない。それと、携帯扇風機も売れているようだが、気温が高い時は熱風を顔の当てるようなもの。

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真作か贋作かコピーか

2024-07-26 | 写真日記

贋作が真作で問題になっているのは、”ヴォルフガング・ベルトラッキ”が描いた絵画。見分けがつかないほど本物に近すぎるという意味では、彼は天才贋作師と言っても良い。この件はまだ結果が出てないが、あれは俺が描いたよと本人が言っているので贋作だろうね。

 

深圳の大芬村で

 

 

写真があれば何でも油絵で描ける

 

世界には贋作や幼稚なコピーが多く出回っているが、コピーの多くは中国の深圳で描かれている。それが、深圳の絵画村と言われている大芬村だ。この絵画村のすぐ近くには本物の深圳美術館があるのが笑える。この村へは2013年に製造業の社長に紹介されて行った事がある。ここで絵を描いている人達は、美大を出たが職がない若い人が圧倒的に多い。値段は、絵のサイズと絵の具の量で決まる。つまり、サイズが大きく絵の具の使用量が多いと値段が高いって事。もうこれは、完全に絵の製造業とも言える。この時、二十歳代の女性がドガの絵のコピーを描いている写真を撮ろうとしたら阻止された。

一方で謎だった唐三彩を復活させた男もいる。→コレこのエピソードはとても面白い良い例

☆深圳の絵画村→コレ

☆深圳の絵画村が舞台のドキュメンタリー映画「世界一ゴッホを描いた男」→コレAmazonプライムで無料(これもお勧めドキュメント映画)

☆鑑定士が騙されるとても面白い映画→「鑑定士と顔のない依頼人」はお勧めのイタリア映画

☆私が2015年に鑑定現場を見たブログ→コレ

☆昨日の夕方に日本人カメラマンの訃報が上海から届いた。と言っても、私は数回会った事がある人で私より9歳も若い人だが、彼は日本で撮影中に倒れて帰らぬ人となったとの事。詳しい事は分からないが、多分ストレスもあったと思うよ。

 

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中国のサクメシは麺

2024-07-24 | 遠い記憶-上海 オールドレンズ

温州市楽清の海鮮麺は過去中国で食った中で一番好き

 

蘇州麺は日本人向きのあっさり醤油系で細麺+搾菜がお勧め

 

蘭州の牛肉刀削麺はたまに食いたくなる

 

新華路にあった南京麺は醤油ベースで細麺

 

 

ネギ油そば+ピリ辛ひき肉がとても合う

 

葱油そば+搾菜などトッピングが6種類もあり自分流にアレンジ

 

潮州の麺は米麺で薄塩味は日本人好み

 

四川省成都の生椒牛肉麺は唐辛子と花山椒たっぷりで病みつきになる

 

四川省重慶の生椒牛肉麺はスープ多め

 

日本の出前一丁専門店は香港では定番

 

イカ墨炒飯

 

ピーマンと卵鶏肉炒飯

 

黒金蛋炒飯は炒飯専門店だったが3ヶ月で撤退

 

過去の画像から

中国のサクメシはやっぱり麺料理が多い。過去のブログで掲載した画像からサクメシを選んだが、写真を撮ってない麺料理も多い。過去に食った麺料理で一番美味しかったのは、温州の楽清市で食った海鮮麺でスープも残さず楽しめた。

新華路に住んでいた頃は、近所に楽しめる麺屋が3件あったが、一年も経たずに撤退した店やコロナで撤退した店も多い。蘇州や南京の麺は細麺で醤油味なので日本人の舌にも合い飽きない。そして、私が勝手にヒィヒィ麺と名付けた四川料理専門店の生椒牛肉麺は、花山椒多めで唐辛子もたっぷりの激辛麺。この生椒牛肉麺を食う時は、タオル持参で行き必ずビールも一緒にオーダーしないと完食出来ないのだ。この四川人経営の店には週に2回も行っていた時期があり、汗びっしょりになりながら食っている私を見てスタッフ一同がニヤニヤしていたのを思い出す。店のネーチャンに聞くと私が食った激辛の麺は、辛さ控えめだったそうだ。

広東省の潮州の麺は、塩味の米麺で地元では朝飯に食う人も多い。この地域は海に近く海鮮も美味い地域なので日本人も合う味だ。

香港では日本のインスタントラーメン"出前一丁"を出す店が多いが、私は初めて上海で食った。でもね、この麺が40元(当時約600円)もするなら自分で作った方が数倍美味い。

最後に日本人が好きな炒飯専門店の”黒金蛋炒飯”が新華路にあった。この店のメニューは炒飯のみで8種類ほどあり、過去に私が中国で食った炒飯の中ではピカイチだった。ただ、営業開始から2ヶ月後に手抜きが始まり、作り置きした炒飯を炒め直して出すようになり客が激減し閉店。

日本に戻り3ヶ月経過したが、ラーメン屋に行ったのは2回のみ。家から近い場所に私が好きな醤油ベースのラーメン屋がないのも理由だが、この暑い日が続く今はやっぱり冷やし中華だな。

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Meyer-Optik Lydith 30mm f3.5

2024-07-22 | 写真日記

Meyer-Optik Lydith 30mm f3.5 M42マウント

 

 

Meyer-Optik Lydith 30mm f3.5 M42マウント

 

次のテーマでGFX50SII(65x24と1x1専用)を使いオールドレンズの50mmと40mmは決まったが、それよりワイドとテレ側のレンズが決まらないと以前のブログで書いた。で、使うと決めている50mmの一本がMeyerのOrestonなので、期待してメイヤーのLydith 30mm f3.5 M42マウントを買ってみた。このメイヤーブランドのLydithもOrestonと同様人気がなく今も一万円前後で販売されている。買ったこのレンズは、f3.5の開放から画面の中心部分がシャープ過ぎる描写に驚いてしまった。まだ、外が暑過ぎるのでまともに外でテストしてないので何とも言えないが、バランスの良い描写のMC Rokkor 28mm f2.8にした方が良いのかどうか迷っている。

☆Meyer-Optik社は、ドイツで1896年創業の伝統ある光学メーカーで、戦後悲劇のレンズメーカーでもある。本家ツァイスは29mmや30mmなどワイド系は馴染みのない焦点距離があるが、理由は不明。前世紀に回転式パノラマカメラを使っていたNoblex135Uは、ドレスデン製でレンズは29mmだった。

☆現在機材整理で、増え過ぎた古いレンズをヤフオクに出品中。

 

 

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私のX100Fは問題があるが今も何とか作動中

2024-07-20 | 写真日記

 

GFX50SII+MD Rokkor 50mm f1.4  トリミング

 

私のデジカメブランドはフジ一色。理由は私にとって35mmフルサイズデジカメは中途半端なセンサーサイズなのでAPS-Cを選び、GFXを選んだ理由は65x24画面サイズが選べるからだ。私が現在も使用しているデジカメで最も古いのがX100Fだが、ストロボが発光しない、カメラ内でフィルムシュミレーションが機能しない、時々リセットしないと色が大きく乱れるが、とりあえず写る。ただ、これを修理するにはあまりにも金がかかり過ぎるので使い潰す事に。先月X-E4のブラックボディをオークションに出したら19万円で落札された。ありがたい事だが、ちょっともう異常な値段。

世間ではYouTubeなどでカメラやレンズを紹介している動画が出回っているが、これらを冷静に観て正しい事を言っている動画もあれば勘違いして発信している動画も多い。これから写真を始める人達やあまりカメラの事を知らない人にとっては、多分参考になるのかも知れないけどねぇー。カメラを変えて写真が大きく変わるのは、ごく一部の特殊な条件の場合のみ。カメラに金をかけるより、何をどう撮るかという自分を磨く方に金を使った方が良いと思うよ。つまり超高価なカメラ一台を買うより、撮りたい事や撮影に行く場所や時間に金をかける方が将来の為でもあり有意義。

☆パリオリンピックが始まるが、今回もスポーツカメラマンが使うカメラの縮図がどうなっているか興味がある。私がF1の撮影に関わっていたのは1990年代のフィルム時代。当時スポーツ撮影に関しては圧倒的にキヤノンが多かった。それは、キヤノンのプロサービスがニコンのそれより手厚く、キヤノンのサポートバスが現場に来ていて、現場でカメラにトラブルあると翌日までに修理してくれ代替え機をその場で貸してくれるという手厚いサービスがあった。また、カメラのAF性能がニコンのそれより一歩先をいっていたのも理由。もちろんニコンも同じようなサービスがあったが、サポートの場所がサーキット内か外かという違いも大きい。当時のF1の現場では二大メーカー以外に、ミノルタのαが一人(日本人)とライカRを使っているカメラマンが2人いたが、ライカ使いの人は当然MFレンズ。ライカの300mm f2.8を使っている人を見たのは、この現場が最初で最後。デジカメになっても、キヤノンが圧倒的に多かったが、数年前から二大メーカーにSONYが加わり、今では三大メーカーがシェアを競うようになるなんて、当時は誰も予測出来なかった事。

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