海上撮影家が見た上海2

上海で撮影活動をしている海原修平のBlog。「海上」とは上海の逆で、新しい上海という意味。更新は不定期。

上海の飯屋で景気の話

2023-10-31 | 写真日記

大連路付近の安いローカルの飯屋で一杯 (一元20円)

 

最近外食の回数が減ったのは景気が悪いからで、節約ムードが漂っているのが今の上海。コロナの影響もあり閉店した店も多いが、しぶとく生き残った店もあり様々。結局生き残った会社は資金的に体力があるか、ごく少人数でのみ運営している会社で、その中間が無いという事になる。この日は古い友人と二人で一杯やったのだが、彼の仕事もコロナとサプライヤー倒産などの影響を受け昨年店舗を閉鎖し、今も受注はゼロを更新中。以前であれば、前金無しで商品を発注出来た時代が長かったが、最近は前金受け取り後に部品を発注し製造するスタイルに変わったので、納品もそれに伴い時間がかかるようになった。そして、製造単価も時価という事で、価格はその都度変わるようになり製造単価が下がったなんて話は絶対に今後はない。

日本のカメラメーカーも半導体不足などの影響で供給不足になり受注を中止しているメーカーもあるようだが、これは海外の訪日外国人がカメラを日本で購入する人が多いのも理由の一つ。そして、中古カメラも盛況らしいよ。

☆上海に戻り約2ヶ月が経過。日本の安くて旨い飯がすでに恋しい。

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テッサータイプレンズの話

2023-10-29 | GFX+オールドレンズ

Elmar50mm f2.8・Elmar90mm f4 ・Hektor135mm f4.5 全部テッサータイプの古いレンズ

 

日本で活動していた頃の話だが、4x5カメラの常用レンズ一部をAPOタイプに変えた事があった。で、何か大きな変化があったかというと、ほとんど変わらないかった。まぁ、しいて言えばコントラストが上がりヌケが良いかなぁという程度。毎日のように夜空や地図の複写や建物の壁を撮るならAPOタイプのレンズが必要だろうが、通常は全く必要性を感じないと当時思った。4x5カメラはビュータイプ以外に、CAMBO TWR54(4x5の二眼レフ)を人物専用として使っていた。このカメラをほとんどの人は知らないと思うが、上下同じ焦点距離の4x5レンズが付いていて、4x5フィルムホルダーを入れてもピント合わせが出来るという優れものだったのだ。オリジナルレンズは、Schneider製のSymmarがカム連動して付いているが、210mmのみRodenstock製のSironar210mmに調整してもらい使っていた。このSironarは、とても軟らかい描写なので人物撮影に最適でタレントなどの撮影では活躍したレンズだった。その後ずっと、Rodenstock製"Sironar"とKodak製の"Commercial Ektar"が、私のベスト大判レンズだと思っていた時期が長かった。

上海に事務所を移転した後に日本へ一時帰国する度に、今は亡きVH・PICTURESの角田善彦さんには恵比寿の喫茶店で毎回会っていたのだが、ある日彼から見せられた大全紙サイズのネガカラープリントは、しっとりとした湿度を感じるような描写に驚愕した。その写真の作家名は忘れたが、その撮影に使ったレンズは日本の山崎光学のCongoレンズだったのだ。この光学会社とレンズのブランド名は知っていたが、一度も手に取った事もなく試写した事もないのは、私の周りのカメラマンでも使っている人が誰一人としていなかったからだ。でも、すでに後の祭り。すでに世の中はデジタル一直線に向かっていたので、大判カメラは必要ない時代へ。

それ以来レンズの事を冷静に考えてみると、私が一番好きな描写のコマーシャルエクターと山崎光学のコンゴーレンズのレンズ構成をみると両社ともテッサータイプだと気付いた。なんだ、高額で複雑なレンズ構成のレンズより単純な3群4枚構成のレンズで十分だと思ったのは、随分と後の事だったのだ。それを思うと、現在単純な3群レンズ構成を一番理解して製造しているのは、フォクレンダーブランドのコシナだろうな。特に先代の小林博文社長は、日本ではシンプルな3群タイプのレンズを一番理解している人だと思うよ。

☆現在のデジタル用レンズの構成は、AFの機能もあり複雑になりレンズ枚数も相当増えて高価になり過ぎている。写真がフィルムからデジタルになり様々なレンズ収差を取り除く為には必要なのかも知れないが、大き過ぎて重過ぎるレンズなんてまっぴらごめんの私。そして、APOタイプのレンズなんて、私の撮影スタイルでは一番必要のない部類のレンズだ。レンズの描写と人を同列に比べるのは間違っているが、生真面目で勉強も運動も出来て性格も良い学校の先生が褒める優等生タイプの人って、一緒に遊びに行くと意外と面白くない人が多かったような気がするのと似ている。まぁ、何をどう撮るかでカメラもレンズも決まるのだけれど、私は昔のゆるいレンズ描写の方が好き。写真がデジタルになった今、レンズ描写で不満な部分はある程度ソフトウェアで解決出来る時代だしね。

☆現在はボケ至上主義のような時代で、レンズのf値が明るいレンズが好まれているが、感度設定を自由に選べる事を思うと開放f値ってf2もあれば十分だと思っているけどね。

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醍醐寺で蓮の花を

2023-10-27 | 写真日記

醍醐寺で

 

13年前に醍醐寺で撮影しに蓮の花をHDの中から発掘したので、RAWデータから再現像。この頃のカメラはCanonのデジカメがメインだった時代で、レンズは古いCanon FD 50mm f1.4に補正レンズ付きアダプターで撮影していた時期。この補正レンズ付きアダプターは、フランジバック調整用にレンズが使われていて、様々な収差が誇張されるので人気が無かったが、なぜかアメリカでは売れていたそうだ。これは、f値の明るいキヤノンFDレンズを使い開放付近の絞りを使うと独特の描写をするので、一時期は夜上海の写真はこれをメインに使っていた。

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中国初のデジカメ海鴎を中古屋で発見

2023-10-25 | 写真日記

海鸥初のコンデジ

 

 

 

 

数日前に知り合いの中古カメラ屋へ行くと、ショーウィンドウの中に中国初のデジタルカメラ海鴎が埋もれているのを発見。確か9年ほど前に、海鴎が二眼レフデジカメと同時に販売したデジカメのコンパクトタイプだ。ちょっと見せてもらったが、バッテリー切れで作動はしなかったので試写は出来なかった。このコンパクトデジカメの中身は、パナソニック製と聞いている。で、売れたかというと、初号機は上海のカメラ博物館がお買い上げで、次はカメラコレクターが購入したと聞いているが、果たして何台製造し何台を売ったのかはわからない。発売当時、二眼レフタイプのデジカメはショーウィンドウの外からしか見てないので性能のほどはわからないが、正方形センサーではなくフルサイズでもなかったようだ。この二眼レフのデジカメを海鴎が作るというニュースは、2014年に新聞発表したのだが、当時の中国人誰もが無反応だったのを今も覚えている。その後、どこかの中国メーカーが「愛国」というデジカメを販売したと聞いているが、その中身も日本製だったようだが誰も本物を見た事がない。

☆伊万里湾の鷹島沖で、また元寇船が見つかった記事。この船も江南船(中国)だったようで、高麗船ではない。それにしても、13世紀に沈んだ船の木片が今も残っている事がすごい。私も博多の箱崎に3年住んでいたので、とても興味ある話。これに付随する話だが、過去の遺跡は地球の歴史を知る事が出来るので、私にとっては興味がある分野でもある。

 

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上海大厦の16階スィートルームから2005年の上海

2023-10-23 | 写真日記

上海大厦(ブロードウェイマンション)16階スィートルームのベランダから虹口を2005年撮影

 

上海大厦(ブロードウェイマンション)16階スィートルームのベランダから2005年撮影

 

上海ユダヤ難民記念館で

 

上海ゲットーに居留した全員の名簿が10mほど延々と刻まれている壁の一部(上海ユダヤ難民記念館)

 

アメリカユダヤ難民救済委員会の建物は現在地元民の住居に

 

イスラエル関係のニュースが流れるたびに思い出すのが、先の大戦中の上海ゲットーの話。トップの画像は、2005年に上海で制作した日本映画「上海恋香」の映画ロケで借りた部屋から見える虹口区の街並だ。この画像の右側には旧日本領事館跡があるが、2005年当時はビルに遮られて見えない。このロケで借りた上海大厦(ブロードウェイマンション)16階のスィートルームは、先の大戦中に旧日本海軍大佐「犬塚惟重」が住居権事務所として借りていた部屋。犬塚惟重は、旧日本陸軍安江仙弘と共に当時「ユダヤ問題研究家」として、避難民のユダヤ人を上海で保護した事で知られている。その、上海ゲットーがあった場所は、このホテルからも歩いて行ける場所にあったが、現在はユダヤ難民記念館とその周辺に痕跡が残っていて、今でもその街並みを残すために世界中のユダヤ人から寄付が寄せられているそうだ。

昔の上海は、世界で唯一ビザ無しで入国出来た都市だったので、ユダヤ難民の前はロシア革命から逃れて来た白系ロシア人も難民として逃れ住み着いた都市だった。当時の歴史に詳しい上海人に聞くと、避難民だったロシア人は一時期3万人を超えていたそうで、主に淮海路付近に住み地元民に溶け込み、絵画や音楽など幅広い芸術や西洋料理など多くの西洋文化を伝承し、当時の上海の文化に様々な影響を与えたそうだ。もし上海に来る機会がある人は、上海ユダヤ難民記念館を是非訪れてほしいな。

☆イスラエルとパレスチナ、ウクライナとロシア問題など、なんとか停戦にならないだろうかと思うが、我々にはどうする事も出来ない。ただ、これらの紛争がなぜ起きたのか、これは過去の両国の歴史から理解しないと今だけを見て判断する事は出来ない難しさがある。

☆この画像の一部は、2021年にNHKの「まいにち中国語」の連載でも使用した画像

☆日本のライドシェア問題、ホント日本は何事にも新しい事に否定から入る国。

 

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