フリージア工房 国道723号店

ハロプロメンバーを応援してアイドル音楽を愛するエッセイブログ

夏の旅エッセイ 5 ~下北の花火~

2006-08-29 23:06:33 | 町と旅

 2000年7月、下北半島を旅した。出発前の準備がバタバタして、今回の旅カメラはコンパクトカメラを用意出来ず、一眼レフカメラ「キヤノンEOS-630」となった。泊まり有りの旅に一眼レフを持って行くのは、この時が初めてだった。

 東北新幹線と在来線特急を乗り継いで、下北半島の付け根にある港町野辺地(のへじ)に昼頃やってきた。空は曇ってどんよりとしている。狭い跨線橋を上って、小湊線というローカル線のディーゼルカーに乗り換えた。小湊線は下北半島を砂丘地帯を進みながら北上していく線。野辺地の港を見下ろすと、やがて人家のまばらな砂丘地帯に入っていく。当然、駅と駅の間も長いため、列車はローカル線の鈍行とは思えないスピードで快走する。

 途中、陸奥横浜(むつよこはま)という小さな港町があった他は、一番線しかない無人駅の連続だった。

 一時間近く乗って終点の一つ手前の下北で降りた。ここからは、下北交通大畑線というローカル線に乗り換える。ホームに停まっていた古びたディーゼルカーの姿に旅情を感じ、わくわくしながら車内に入ると、そこには鉄道ファンの集団の姿があった。皆、手には一眼レフ。今日の私も手にはEOS(一眼レフ)。

 大畑線に鉄道ファンが大勢やって来ているのも訳があった。この路線が廃止になるという話が出ているのだ。車内をよく見渡せば、地元の乗客は二桁いるかどうかだった。
 海を眺めながら走った大湊線と異なり、大畑線は緩やかな峠のような所を走った。車両は古びていたが、各駅とも、建物は国鉄時代からの古いものでありながら綺麗に塗り直されていた。峠を進むにつれて空は青空になり、終点大畑駅は夏の空気に包まれていた。

 大畑駅で降りた私は、駅付近の港まで散歩。人のいない昼下がりの津軽海峡に面した港は静かで、青々とした波だけが音を立てていた。
 再び駅舎に戻ると、鉄道ファンの人達が熱心に撮影を続けていた。駅の待合室のベンチに腰掛けて壁を見ると、当時放送されていたNHK朝の連続ドラマ「私の青空」(主演・田畑智子)のポスターが貼られていた。ドラマは、この大畑に近い下北半島北部の港町大間が舞台だった。

 マグロ漁港の町大間にも惹かれたが、私は今夜の宿泊地を下北駅から一つ目の田名部(たなぶ)に決めた。青森県むつ市の中心地と言える町。
 田名部の駅前は細い道が駅前から延びているだけで、淋しい所だったが、しばらく歩くと右手に築間もない綺麗なビジネスホテルが現れたので、ここに泊まる事に決めた。
 ホテルの先をさらに歩くと、商店街と交差した。商店街と言っても、細い道の両側に商店が並ぶ道が数百メートル続くだけの小さな商店街。その先には、小さな川が流れていて、橋が西日のオレンジに染まって黄昏れた風景になっている。その橋をTVゲーム「ときメモ」に出て来るような水色の制服を着た女子高生が通り過ぎていく。

 夜、私は商店街の方へと出て、洋食屋で夕食したあと、夜の町を散歩した。時折、夜空に爆発音が聞こえる。ふと空を見上げると、夜空に花火が広がっているのが建物あるいは小山の陰から見えた。夕刻からこれまで静かに時が流れていた町に、活気が訪れたかのような力強い音。
 そんな花火の音の下、商店街の裏道に入ってみたら、夕方には気がつかなかった看板が建ち並んでいる。何れも「和風スナック」という看板を掲げていて、民家の玄関のような入口から入って、民家の部屋のような所で飲むスタイルであった。部屋は通りに面しているので、中の様子がよくわかる。座敷テーブルにあぐらをかいて、飲んだり、歌ったりで盛り上がっている姿が見える。

 そんな造りの店が建ち並んでいるのだが、どの店もそれなりに客が入っている。定員十人はどうかという狭さだが、それ故に一見客が気軽に入れる雰囲気である筈もなく、私は「どんな料理が出て来るのだろう?店の雰囲気からすると、家庭料理?」と気にしながらも、結局は普通の造りの綺麗な割烹に入って酒と魚を少し味わった。

 店を出ると花火は終わって、町は静まりかえっていた。ホテルに戻りテレビを点けると、芸能人がカラオケをする番組から、タンポポの新曲「乙女、パスタに感動」が流れてきた。

  今回のBGM  SEASONS / 浜崎あゆみ


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 魂の物語は おわった | トップ | 桃子の同級生スレ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

町と旅」カテゴリの最新記事