私は探偵をやっている。先日、高校三年の息子さんを持つ父親から息子を調査してほしいと依頼を受けた。
「息子が最近バイトを始めたいと言ってきた。学校でも禁止されていないし、有名ファーストフード店という事なので、社会勉強にでもなればと許可した。
何故バイトを始めたいのかを聞いたところ、欲しい服や本を買うのにお金が足りないのだと言う。だが、妻の話では部屋に大量にCDが詰まれていたりするらしい。何か変な遊びをしているのか?誰かに脅されているのか?
とにかく、交遊関係などが気になるので息子のプライベートを調査してほしい。大学受験に向けた大事な時期だけに心配をしている。」
ざっとこういう依頼だ。ある天気の良い休日、私は息子さんが自宅を出るところから尾行開始した。
息子さんがやってきたのは都内にあるCDショップ。店の中の階段に長い列が出来ている。並んでいるのは若い男の子が多い。息子さんも列に加わった。
私は並んでいる男性の一人に何に並んでいるのかを聞いた。どうやらアイドルのイベントらしい。CDを買うと握手が出来るそうで、買い方によっていくつかのパターンのサービスを受けられるそうだ。
そのアイドルが一体何者なのかもわからないまま、私は尾行を継続するために列に加わった。
イベントが行われる会場に入る。そのアイドルが誰かもよくわからないままに、私の手元にはCDが握りしめられている。握手会参加券というチケットも頂いた。アイドルの握手会なんぞに参加するのは初めてだ。アイドルを生で観るのも、中学生の時に地元にのりPが来たのを友人に連れられて観に行って以来になる。
中に入ると男の熱気でむせるほど。私は年齢的にも場違いだし、風貌的にもルバン三世に出てくる次元大介をブサイクにしたような風貌だから、おとなしく隅っこにいる事にする。勿論、息子さんからは目は離さない。
ステージに女の子達が現れた。凄い歓声だ。客は数百人だが、声のボリュームはその何倍にも思える。軽快なイントロに乗せて歌が始まった。
ぱすぽ☆ 『Let it Go!!』
男の子達は我を忘れたかのように叫ぶ。何を叫んでいるのかはわからないが、人の名前でもないようだ。ニックネームか何かなのだろうか?
歌が終わり各メンバーの挨拶が始まる。息子さんも名前を叫んでいる。その子のファンなのだろう。私からすると全員可愛く見えるし、全員おんなじようにも見える。それだけ私も年を取っているのだろう。
女の子達はデビュー曲を歌いますとか何か前振りをして、ノリのいい歌を歌い始めた。ずっと腕を組ながら観ていた私だが、いつしか自然に足でリズムを取っている事に気づいて、そんな自分に思わず苦笑した。
ステージが終わり、係員の説明のあと握手会が始まった。男の子達はみんな目が輝いている。しばらく様子を窺う。
息子さんの握手が終わった。その後ろに付いていた私も手短に握手を済まし再び尾行開始と思ったのだが、アイドルはなかなか終わらせてくれない。何やら話しかけてくるが私はあなたの名前を知らないし、今日初めてあなた達を知ったのだ。
強く握られた手に不思議な違和感を覚えながら、私は軽く片手を上げて立ち去るのだった。さて、尾行をしなくては。
そんな時、息子さんが再び握手の列に並んでいる事に気付いた。何回握手をする気だ。
不思議な気分で男の子達の様子を眺めていると、どうやらどの男の子も何回も握手をしている事がわかった。おとなしそうな少年を捕まえて聞いてみたが、それが当たり前らしい。
それにしても、どの男の子の顔も充実感に溢れている。握手の時はアイドルと親しげに会話をしている。手を握るという行為よりも会話をする事が目的なのだと私はようやく理解した。
しかし、この光景はどうなんだろう?アイドルの握手会というものはこういうものなのかもしれないが、お気に入りの女の子と親しげに会話をして、その会話をするためにCDを何枚も買う。しかも、同じCDを。このシステムはキャバクラを思わせる。
見たところ、息子さんのように未成年の男の子も多いが、そういう少年達にキャバクラの魅力を合法的に伝えているようにさえ思う。この男の子達がやがて社会人になった時、稼いだお金をキャバクラに費やすようになるかもしれない。女の子達に楽しく接してもらうためにお金を払う。握手会とキャバクラは根本的な部分で同じなんじゃないか?そんな事を思うのは私がアイドルというものに興味がないからだろうか。いや、その想像は的外れでもなく、実はアイドル事務所とキャバクラ経営者がつながっている可能性は? それはさすがにないかな(苦笑)。
結局、息子さんはアイドルと握手をするためにCDを何十枚と買っていて、それで小遣いではやりくり出来なくなったからバイトを始めたのだと結論づけた。悪い道にも、悪い人間関係とも無縁なようだから親御さんは安心してもいいだろう。ただ、あなたの息子さんはキャバクラみたいな場所で大量にCDを買っていますとは言いにくい。それをうまく説明するのも難しそうだ。親御さんには理解不能な世界だろう。その場を見てきた私でさえ、今ひとつ現実感がないのだ。
ただ、あの日から私の頭の仲では時々あのノリの良い歌が流れてくる。任務のためについ一枚買ってしまったCDに入っているのだろうか。実はまだ封を開けていないのだ。開けてしまうと私もその世界に入ってしまいそうで、多少のためらいを感じているのだ。
でも、せっかく買った物だし、一回くらいは聴いてみるか。あの日のキャバクラみたいな空間を思い出しながら私はそっとCDを開封してみた。
(この記事はフィクションです。実際のイベント内容とは相違がある事をお断りしておきます)
ぱすぽ☆ - 少女飛行