S.C.相模原サポーターブログ

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山陰の北風に耐えJ2昇格した「SC鳥取」に学ぶ

2010-11-30 21:46:08 | 勝利への叡智
鳥取県は、2009年の推計人口が59万人。60万人から徐々に減り続け2010年には59万人を割ったのではないか、と言われています。そんな鳥取県に「ガイナ―レ鳥取」というJ2チームが誕生しました。苦労に苦労を重ねてきただけに本当にガイナ―レ鳥取のチーム関係者の皆さんや選手・サポーター・スポンサーの喜びはひとしお大きなものだったことだろうと思います。

ガイナーレ鳥取、前名「SC鳥取」を生み出した原点は、1995年に建設されたサッカー専用球場「鳥取市営サッカー場」(現在のとりぎんバードスタジアム)です。アルウィンが出来て松本山雅が成長した、麻溝公園競技場ができてSC相模原ができたのと同じ、「すばらしいスタジアムができ、そこにサッカーチームとサッカー文化が育った」チームです。しかし、SC鳥取の2000年~2006年は苦難の連続。2000年、新JFLのチーム数拡大政策により、地域リーグ決勝大会でJFL昇格基準を満たせなかったにもかかわらず「SC鳥取」は、「推薦」という形で半ば強引にJFLに昇格させらます。ここから苦難の歴史がスタート。同じ時期JFLに昇格していった愛媛FC、プロフェソール宮崎やアルエット熊本、静岡産業大学などとともに、JFLの下位をさまよう年が続きました。その後、プロフェソール宮崎は九州リーグに降格し消滅、アルエット熊本もその地位こそロッソ熊本(現:ロアッソ熊本)に引き継ぎましたが、クラブ運営団体は消滅、SC鳥取は我慢に我慢を重ねて下位に低迷しながらも生き残ります。選手は、全員働きながらのJFLリーガー生活でしたので仕事の都合でレギュラーが遠征に来れない、全国規模で戦うJFLにあって大きなスポンサー企業がない、などクラブは生き残るのがやっと。そんなSC鳥取も2007年、ようやくプロ化の道を歩み始めます。Jリーグ準加盟申請が承認されて3年間、実力・組織・人気と年々力をつけ、遂に2010年J2昇格を果たしました。

J2昇格に当たっても大東チェアマンから「累損の解消」を要請されるなど財政面では、苦しいやりくりが続きます。しかしJ2でも辛抱強くチームを強化していくでしょう。この「SC鳥取」の艱難辛苦を思えば「SC相模原」の今回の「苦難」など苦難に当たらないかも知れません。鳥取の小さなサッカーの灯を山陰の強い北風に消されてしまいそうになりながら、「鳥取市営サッカー場」の保護と県民の熱意に守られ育った「SC鳥取」=ガイナ―レ鳥取の魂をSC相模原も見習いたいものです。

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