今日、8月31日(土)は天皇杯全日本サッカー選手権大会の開幕日でした。SC相模原と同じJFLに所属するクラブも続々と登場し、FC琉球・福島ユナイテッド・長野パルセイロ・カマタマ―レ讃岐・栃木ウーヴァ・佐川印刷が初戦勝利し、9月8日(日)2回戦のJ1&J2チームとの試合に駒を進めました。こうして見ると、やっぱりJFLクラブなんだから天皇杯に出場しなきゃ駄目、と県予選敗退の無念が再びこみ上げてきます。しかもSC相模原はなぜかこの天皇杯であまりいい成績を上げる事ができていません。今までの4回の天皇杯神奈川県予選を簡単に振り返ってみると以下の通りです。
初めて挑戦したのは2009年の天皇杯神奈川県予選でした。この時は1回戦桐蔭横浜大学と対戦し敗退してしまいました。この天皇杯神奈川県予選の敗戦の前の週に、全社関東予選のブロック決勝戦でYSCCに敗北し2009年の大きな目標を2つ失い、ちょっとショックの大きい敗戦だったと記憶しています。
2010年は、SC相模原が今まで一番全国大会に近づいた大会です。齋藤将基・古賀・健太・坂井・工藤・鷲田・金澤 らというスタメンに途中出場で秋葉・森谷と元Jリーガーによるオールスター選手で戦いましたが、決勝戦YSCCの辻のカウンターの前に敗北。初の全国大会出場はなりませんでした。しかし天皇杯県予選に敗れたものの、この大会の直後の全国社会人サッカー選手権大会(全社)で3位という成績を修めます。天皇杯は全社期間直前まで2回戦&3回戦が続くので、天皇杯神奈川県代表になっていたらこの全社3位という成績は難しかったと思います。
2011年は、産業能率大学に1回戦でPK負けしてしまいます。東日本大震災によるシーズン開始の遅延により関東リーグの試合日程と天皇杯神奈川県予選の試合日程が重なってしまい、結果炎天下の中土曜&日曜連戦となったためコンディションの持って行き方が難しい大会でした。ただ、結果は当時、関東リーグ1部のYSCCが神奈川県代表になり、炎天下の連戦が敗北の言い訳にはならない事を思い知らされます。
2012年は、皆さんもご記憶に新しいかと思いますが準決勝で横浜猛蹴に敗れてしまいました。相模川の河川敷にある馬入ふれあい公園天然芝での試合でしたが、本当に残念な結果に終わってしまいました。しかしこの2012年天皇杯予選では、試合毎に曽我部・菅野・淳・将也らこの入団した若手選手が成長、この時のパワーアップで地域リーグ決勝大会に優勝しJFL入りを決めています。
過去4回の挑戦の時には「天皇杯全国大会出場」は、「地域リーグ決勝大会出場&JFL昇格」という目標に比べると、明らかに優先順位は下でした。しかし、JFLに昇格した今年からは、そのモードを「最低でも神奈川県代表は必ず勝ちとる」強い気持ちに切り替える事が必要です。振り返るに大会前クラブとしてこの大会で「何を目指すのか」「何を勝ち取るのか」を、チームも選手もサポーターも目標を強く明言できていなかったように思います。やはり勝負事は「有言実行」でないと戦えません。目標をはっきりと宣言しその目標に向けてのアクションを200%実行することが大事です。来年の天皇杯は「6度目となる神奈川県予選に勝利し全国大会に進出する」ことを必達目標にしてクラブの全勢力をそこに傾けていきましょう。そう、今日からです。
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初めて挑戦したのは2009年の天皇杯神奈川県予選でした。この時は1回戦桐蔭横浜大学と対戦し敗退してしまいました。この天皇杯神奈川県予選の敗戦の前の週に、全社関東予選のブロック決勝戦でYSCCに敗北し2009年の大きな目標を2つ失い、ちょっとショックの大きい敗戦だったと記憶しています。
2010年は、SC相模原が今まで一番全国大会に近づいた大会です。齋藤将基・古賀・健太・坂井・工藤・鷲田・金澤 らというスタメンに途中出場で秋葉・森谷と元Jリーガーによるオールスター選手で戦いましたが、決勝戦YSCCの辻のカウンターの前に敗北。初の全国大会出場はなりませんでした。しかし天皇杯県予選に敗れたものの、この大会の直後の全国社会人サッカー選手権大会(全社)で3位という成績を修めます。天皇杯は全社期間直前まで2回戦&3回戦が続くので、天皇杯神奈川県代表になっていたらこの全社3位という成績は難しかったと思います。
2011年は、産業能率大学に1回戦でPK負けしてしまいます。東日本大震災によるシーズン開始の遅延により関東リーグの試合日程と天皇杯神奈川県予選の試合日程が重なってしまい、結果炎天下の中土曜&日曜連戦となったためコンディションの持って行き方が難しい大会でした。ただ、結果は当時、関東リーグ1部のYSCCが神奈川県代表になり、炎天下の連戦が敗北の言い訳にはならない事を思い知らされます。
2012年は、皆さんもご記憶に新しいかと思いますが準決勝で横浜猛蹴に敗れてしまいました。相模川の河川敷にある馬入ふれあい公園天然芝での試合でしたが、本当に残念な結果に終わってしまいました。しかしこの2012年天皇杯予選では、試合毎に曽我部・菅野・淳・将也らこの入団した若手選手が成長、この時のパワーアップで地域リーグ決勝大会に優勝しJFL入りを決めています。
過去4回の挑戦の時には「天皇杯全国大会出場」は、「地域リーグ決勝大会出場&JFL昇格」という目標に比べると、明らかに優先順位は下でした。しかし、JFLに昇格した今年からは、そのモードを「最低でも神奈川県代表は必ず勝ちとる」強い気持ちに切り替える事が必要です。振り返るに大会前クラブとしてこの大会で「何を目指すのか」「何を勝ち取るのか」を、チームも選手もサポーターも目標を強く明言できていなかったように思います。やはり勝負事は「有言実行」でないと戦えません。目標をはっきりと宣言しその目標に向けてのアクションを200%実行することが大事です。来年の天皇杯は「6度目となる神奈川県予選に勝利し全国大会に進出する」ことを必達目標にしてクラブの全勢力をそこに傾けていきましょう。そう、今日からです。
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