まったくハズカシい話なんだけど、原発事故の詳細をハッキリとは理解してないんだよね。
最近朝日新聞が当時の発電所所長の調査記録を入手して、それに基づいて報道をしているんだけど、その流れを理解する基本的知識がないので、記事の内容がもうひとつ理解出来ないでいるんだね。
事故に関してはいくつかの本も読んではいるけど、ドキュメント的なものはどうしても人の動きが中心に書かれているのは、執筆時点でハッキリとした事故の推移がわからなかった事もあるけど、それが興味を引く対象である事も関係するのかもしれない。
そして朝日の記事も所長の証言が事故の推移ではなく、事故による人間の行動の推移である点で、一連の書籍と変わらないものに写るんだけど。
もっともsatoboとは違って、事故の推移をすでに理解している人にとっては、その裏にあった「人間ドキュメント」という面で有用な情報である事には変わらないんだけど。
事故当時、東電の発表する敷地内のモニタリングポストの値を追い続けて、変化があるたびに政府の発表と照らし合わせて、「この変化がどういう事なのか」と考えたのを覚えているのだけれど、結局当時はなんの因果関係の発表もなされずに、安全であるとしか言われなかった。
それが違っていた事は、あとになって知ったのだが、では実際はどうだったのかという事はわからなかった。
そういう報道があったのかもしれないが、それには触れていなかったんだよ私は。
で、朝日の記事に触発されて、もう一度調べてみようと思ったら、ネットで数々の調査委員会の報告書があることがわかった。
いや、あることは以前からわかっていたのだけど、当時ワッチしていたモニタリングポストの値と、事故の推移との関連性に触れたものではないなぁと早合点して、すべてを読んでいなかったんだね。
そういう報告書をキチンと読んでいるのだから、他の人は今回の朝日の報道も理解出来るんだなとわかったんだけど、遅まきながらもと関連する資料に目を通してみたのだ。
特にわかりやすかったのが、政府事故調、内閣事故調による
最終報告にある「報告書資料編」の「
資料-1-1関連」で、知りたい関連性に関して考察してあった。
読み進めるうちに、なるほどねぇと腑に落ちる説明がある。
数値から読み解く原子炉の状況だな。
数値からみて、地震があって、津波があって、電源が喪失して、その時に原子炉はどうなっていったかを推測していく。
こういうのが頭に入っていなかったから、記事の流れがわからなかったんだな。
また、”あの時”モニタリングポストの値を追いかけながら、すでに原子炉が壊れて放射能が漏れているんじゃないの?と思ったカンジは間違いでなかったなと確認した次第だ。
そこでやっと、シロートでもそう思った当時の状況で、”関係者”はどう思い、どう言い、どう行動したかの報道が役立つ番になったのだな。
興味を持って記事を読んでいこうと思うけど、所詮記事は情報の抜粋でしかない。
できればすべての情報を公開してもらいたいものだ。
大浦町の街並み
長崎県長崎市大浦町
撮影 2014年3月23日 日曜日 14時35分