Nonsection Radical

撮影と本の空間

知ったからってどおって事ないが

2010年10月04日 | Weblog
しばらく続けてきましたな何か陰気くさい光の写真は、ご近所にある(と言っても数キロ離れているが)一遍上人ゆかりの当麻山無量光寺の写真でした。
歴女でないsatoboは詳しい事は知らないのですが、「気」を撮るという事で訪れた境内で「気」の成り立ちをしばし夢想したのでした。
13世紀から続く寺という事ですが、実際のタテモノは明治期に再建されたものがほとんどで、日本の歴史を知る上で、古いものがあまり残っていない事の残念さを噛み締めたのでした。

確かに先祖代々脈々と人間の血は受け継がれているのだけれど、タテモノと同様、実際ご先祖さんの事などは数代前の事さえも記憶には残っていない。
それは人間以外の動植物が何の生きた証しさえも残さないで死んでいったのと何も変わらないのです。
死んでしまえば、その人が持っていた記憶は、その人の死とともに消えてしまうのです。
記憶は受け継がれない。
その「絶対性」のなさが仏教の思考に合っているような気がしたお散歩でした。





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2 コメント

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水子地蔵? (振り子)
2010-10-05 11:30:59
人形が飾られているのは、水子地蔵なのでしょうか?
木偶や顔に見える物体には、人間は反応するようにできているのでしょうね。
目に見える景観に多層的な意味がある場合に、それを知らなくてもこちらを誘う風景というのがあって、それが面白い場合とイヤな場合があります。
それが何の違いによるのか知りたいのですが。
他者の視線が作ってきた見え方に反応している可能性があります。
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無縁地蔵 (satobo)
2010-10-05 21:15:14
赤いよだれかけ(?)が見えますが、全体の様子は10月1日の画像で、その一部にこんなお地蔵さんもどきも寄せ集められていました。
管理されなくなった石を集めて小山のようになっているのですが、そこに誰かがそれぞれの理由で人形などを置いているのです。
それが月日とともに汚れ、朽ち果てていく姿には魅かれるものがあります。
黄金比と同様に、人間の脳には共通した反応(良否)があるようで、それが自然の産物であったり、意図したものであったりしますが、宗教的なものにはそれを利用する傾向が多く見られますね。
まあ写真も同様に、意味付けを構図、色、光などを利用して行なっていますが。
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