Nonsection Radical

撮影と本の空間

7月31日 安売りスーパー

2021年07月31日 | Weblog
夜勤明けでの帰りにターミナル駅のスーパーに寄った。
安売りのスーパーなのだが、感覚として最近はそんなに安くもないと感じてきたが、帰りにはそこしかないので利用している。
昼前ということでレジに並ぶ人が多くて(どうして昼前に食料品を買って並ぶのかは理解できないが)10分以上待ちの表示がある。
並ぶのはイヤだなと思いつつ、電車が来るまでにローカル線ゆえに時間があり、時間潰しに並ぶことに。
自然と他の人のカゴの中が気になり、山盛りになった商品を見るのだが、山盛りで、かつ金額もそれなりになるのだが、どう考えても数日持つような買い物ではない。
どういうわけだか最近は、連れもってくる人が多いのだが(密にならないようにと注意されているにもかかわらずだ)、料理の手抜き、出来合いのものの購入が目につき、みんな不景気で忙しいんだろうなぁ貧困な食事だもんなと思いつつ、相手もこれを買うことに不満はないんだなと判断した。
そういう風に見ると、安売りスーパーであっても人が群がるのは惣菜類のコーナーで、原材料となる野菜や魚、肉などは意外と値段が高くなっている。
もっとも日本の野菜が高いかといわれると、育成するコストからすると疑問なのだが、料理を作る側すると一食にかける金額は限られているので、出来ているものがいくらの方がお金の計算はしやすいとも言える。
そうやって自然と出来合いの食品を買って帰る人が多くなるのだが、それが美味しいのかというとそういう事は気にかからないようだ。
気にしない人はそれでいいと思う。

ブックオフの”出土品”もほぼなくなり、時々出てくる単品に合わせてまとめ買いをするぐらいで済むようになった。
ただ110円などというのはすでになく、機会があったら買おうと思う本なので安くて500円、高いものだと1000円を超える。
そういう買い待ち本が後50冊ほど、出土待ちが350冊となった。
買った本を本棚にまとめれば流れがわかって理解が進むのだが、事情が許さないので非常に効率の悪い読み方になっている。
30年経ってようやく当時のことが振り返る時期になったと思うのだが、読書レビューなどを読んでいると、当時のことを知らない人が読む時期になったということが驚きであり、とらえ方が”現代的”であることに当然でありつつも苦笑してしまう場面が多い。
今ちょんまげを結う心境がわからないのと同じだ。
それぐらい30年は長いスパンなのであるな実は。

多くの人の考え方や行動を本によって知る事は大切だが、それによって新たな視点を手に入れるのではなく、既存の考えを補強するために使っては停滞が明らかになっている現在では意味がない。
進歩が善かと言われれば、停滞が生む問題が非常に害を及ぼしているので改善のための進歩は善なのである。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Non-section Radical 0729 | トップ | 8月1日 ワクチン2回目 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事