Nonsection Radical

撮影と本の空間

オトナの会社

2012年04月25日 | Weblog
今朝、JR尼崎の駅では改札周辺に駅員がそこかしこに立ち、通り行く人に頭を下げていた。
つまりアレだ。
JR西日本の態度表明なのだろう。
でもさぁ、若い駅員がそうやっているけれど、”エライさん”はどうしていたかは知らない。

腑に落ちないんだよねぇ。
こういう事をすることを誰が望んでいるのか。
ホントの心がけは、ああいう事故を起こした会社の体質を変えて、二度とああいう事故を起こさない体質に変える事で、それは社員個人の変革とともに会社の変革をする事でしか表せないのだと思うんだけど。
そういう点で、全然変わっていないと思うんだけど。
”上”が言い出した事を”下”に、単に「なんとかしろ」という体質がさ。
ハッキリ言って、あの辺りのダイヤの組み方なんか非合理的だし、単に机の上で線引きした計画を現場で無理矢理押し通させるような運営だし、その延長線上であの事故が起きたのだけど、今でも詰め込み過ぎだろと思う。
だから無理が出来なくなった現在は、常に遅延気味だし、ダイヤ復旧には長い長い長い時間がかかる。
乗務員もなんかどうしてかどうも”ヘン”で、オーバーランを異常に気にしてか、ホームに入ってきてからユックリユックリと停止線で確実に停まる事だけを重点に置いた操作をするし、車掌はどうでもイイ決まりきった事を長々と放送しながら、駅に着いても駅名の放送をしないので、乗客は窓の外をキョロキョロして駅名を確認しなければならないし、車内の電光掲示でCMなど流して、次の駅名が”いつでも”わかるようにはしていないし、やたらデカい音声で車内放送を平気でするし、電車内をどのように快適に効果的に動かしていこうかという意識が感じられない。
駅では、同じ内容を”同時”に駅構内放送とホームのバイトと電車車掌がデカい音声で流し、おまけに更にデカいホームメロディがそれをかき消し、どう考えても伝達するという事を何も考えていない振る舞いが横行している。
この何も考えていない積み重ねが、ああいう事故を生んだのだと個人的には思っているんだけど。
JR西日本の駅に行って、電車に乗ると、はたしてこの国に理性や知性、合理性など、つまりオトナ社会としてあるべきだと思われる仕組みが存在するのだろうかと考えてしまう。
個人が、組織がそれぞれそういうオトナ社会の仕組みの維持を心がけていなければ、起きるべくして起きる事故、事件、事案は減らないだろうと思う。
その一例として、いつもJR西日本を注視しているんだ。

ついでに言っておくと、どんなに長い列が出来ていようと、エスカレーターの片側を空けるという”不合理”を偏執的に守ろうとするくせに、階段では上下分離矢印を完全に無視していっぱいに広がって上り下りする”不合理”を何の遠慮もなく出来る”あの無神経”を合理的に説明して欲しいものだ。バカだから、という”合理的”説明以外にさぁ。



大阪浪速区 通天閣

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