Nonsection Radical

撮影と本の空間

表現行為に説明は必要なのか

2013年01月28日 | Weblog
個人的には、何も知らないシロートに高い買い物を納得させるために”コンセプト”などと言葉で創作理由を話すようになったのだと思っている。
その作品が金額に見合ったものなのか、他での評価はどうなのかとシロートは“参考”が欲しいぐらいシロートなのだ。
だからピカソやマチスなどすでに評価の定まったものは、わからなくても安心してお金を出せるのだ。
かといって無名のピカソやマチスなどが”コンセプト”を説明したなどとの話は聞いた事がない。
作品がすべてなのだ。
例えば、映画や小説で”コンセプト”を聞かされて「さあ、お楽しみください」などと言われたらシラケるだろう。
それをどのようにとらえるかは受け手にかかってくる。
だから様々な受け取り方がある。
だが、自分の受け取り方だけが正しいという事はないのに、つい自分の基準だけで判断してしまう。
そういうものだ。

ちょっと小耳にはさんだ某トラブルに関して、それをどのように受け取るかは各自にまかされているので、それをどうこういう事もないのだけど、どうか創作者に「どういうつもりでこんなもの作ったんだよ」と説明を求める事だけはヤメて欲しい。
それは受け手が考えるべきものだ。
その考えによって抗議も文句も言ってイイと思うが、創作意志を問いただす事はダメだ。
そういうものだ。

だからsatoboにも訊かないでね。(訊く人などおらんだろうが)




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