Nonsection Radical

撮影と本の空間

5月12日 お茶の水

2022年05月12日 | Weblog
田中長徳さんの写真展「ウィーンとライカの日々」gallery bauhaus が今週末までなので夜勤明け一番に見に行く。
街を自由に撮っても良かった時代のスナップ。
今だって自由に撮ったって良いんだけどさ。
やっぱり田中長徳はすごいなと認識。
新写真集は次回購入ということで。
いくつかギャラリーのポストカードを購入。
御茶ノ水駅前の丸善で「MAGNUM ATLAS」購入。
帰宅後ニューバランスの靴の宅配手配。
試着したはずがどうにもサイズが合わない。
2サイズあげても幅がキツい。
ネットでも同様の声。
上のサイズは欠品なのでこのまま履くが。

死蔵中のレンズを活かすアイデアを思案中。
だいたい煮詰まってきたが、とりあえず来週のCT検査の結果次第。
何かをやろうとすると必ず邪魔が入って頓挫する人生。
もう慣れっこだが人生には限りがある。
もう一件、ウクライナ支援を兼ねた計画も進行中。
ただしこちらもウクライナの状況次第。
その状況も、状況として得るには海外メディアに頼るしかないのが現在の日本。
どこの国からも頼まれていないのに、日本国内でしか通じない発信でよその国の事を知ったようにああだこうだと言ってるが、なんの影響力もないし、そもそもそんな”分析”がロシア侵攻を予測もできなかったテイタラクで信用に足りるものなのか。それよりも余計な事をはさまない情報を流す事が大切なのでは。そこから何を考えるかでは。

その情報さえも各国の思惑をはさんだ”プロパガンダ”だと揶揄する声もあるが、そんな事は承知で、情報にいちいち振り回される事なく事実関係を積み上げていくしか理解は得られないと思う。
それには基本をブラさない事が重要だ。
基本は、ロシアの侵攻であり無条件の撤退。
そのあとで、諸々の「ロシアも悪いが、そういう状況を生んだウクライナの云々・・・」の話を進めていけば良いのであって、現在のように”ロシアも悪いが”を後回しにした”そういう状況を・・・”の話に夢中になっているのは順序が逆だと思う(そういう話しかできない事情なんでしょうけどね=だったら黙ってれば良いのに)。
それでもようやくロシアの帝国主義がいまだ”健在”な事を再確認した周辺諸国が守りに入っている”リアル感”が、ウクライナが抵抗をやめてロシアと「話し合い」するべきだとのお花畑の声を小さくしている。
武力による国際紛争を放棄した国としては、民主主義的手続きで平和を維持していく必要があるのだが、そのための努力を怠ると武力紛争を招き、国際社会と協調しても解決には時間がかかる事の理解が実感できていなかったと反省する事案である。
だからその”面倒な”日々の努力を”安易な”武力装備でやり過ごせるかといえば結局同じ以上の時間と被害を生むのはかれこれ100年近くも隣国と揉めている事からもわかっている”はず”だ。
しかし21世紀になれば古い考えなどなくなってしまうと期待したのに、相変わらずの前世紀の価値観で揉め続けるバカさ加減にはガッカリするだけである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする