Nonsection Radical

撮影と本の空間

9月12日 なかば

2021年09月12日 | Weblog
腰の具合はまだ良くならず、同じ姿勢を10分していると固まってしまい、痛みが出るし次の動作の時に定番「どっこいしょ」が欠かせない。
連絡の行き違いからアマゾンで注文したネコカリカリが受け取れずに数日。こういう時だけ置き逃げしてくれない体制。
連休が取り消され、しばらく休みがないので、撮影に行けるようにそれまではリハビリの日々としよう、そしてダイエット。
ダイエットが大好きなので何度でも繰り返せる(笑)。

仕事帰りに昼前にターミナル駅の安売りスーパーに入ると激混み。
休日の昼前にワゴンいっぱいの買い物をして長い列を作る時間の使い方は間違っていると思うのだが知らぬ顔の。
下層階級の人の休日の過ごし方は明らかに劣化していて、ショッピングセンターをぶらつく、食品を買って1日終わりというかつて地方都市のイオンで行われていた行動が都心周辺部においても行なわれていて、購入品、価格帯とも大量生産低価格品に偏っている。こんな状態では社会が豊かになっていくこともないだろう。
成長産業を持った国での経済格差はトップがまだ引っ張っていく力を持っているのだろうが、そうでない国では単に富の集中が次のステップを生む力にならない貧困移行でしかない。
金はあるけどなにもできない一部の人と多くの貧者の国であるのとみんなそこそこに貧乏でマッタリ暮らす国とが実はたいして変わらないのなら後者の方が幸せな人が多くなると思う。
責めるべきは攻めない金を持っている人たちだ。なんか生み出せよな。貧乏人の小銭ばかりかき集めてないでよ。

野菜の高騰は言われていたのだが、久しぶりに買い物すると50%増しの値段はザラで、しばらくはもやし生活だなと。
本来なら日持ちのする人参じゃがいも玉ねぎでやり過ごすのだが今はそれも在庫なし。
そういえばSNSなどでは若者の”日常”が実は巧妙に隠されて良いとこだけ発信しているのが気になる。
そんなにいつも外飯ばかりしていたら暮らしが苦しいだろうにと思うが、日々の”貧困”は言いたくないのだろう。
ならば年寄りの貧困日記を書く意義もあるというものだ。
永井荷風だって自炊は”簡素”な食い物だったし。
手元の流動資金は1000円札1枚と小銭。

コメント
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