Nonsection Radical

撮影と本の空間

在庫消費

2019年03月15日 | Weblog
本を積んでおくだけでは”死ぬ”までに読みきれないので、できるだけ読んでしまおうと思っている。
花粉症なのか疲労なのか病気なのかとにかく体が重いので横になっていることが多いんだけど、そういう時に本を手にするようにしている。

おかしな男 渥美清 小林信彦著 新潮文庫

小林信彦という人の本を今まで読んだことがないし、どのような人か知らないんだけど、評伝とか人物伝が好きなので手に入れた本。
渥美清という人もよく知らない。
”寅さん”は一本も見たことがない。
見たことがあるのはテレビで「泣いてたまるか」ぐらい。
ただ永六輔がラジオで渥美清こと田所康雄のことをチラッと時々話したりするのを気に留めていた。
どんな人なんだろうなと。

書いてある事は基本的に「ふ〜ん、そうなんだァ」としか反応しようがないんだけど、例えば映画のシーンでのとらえ方などは、世の中便利になったもので、有中部などで確認することもできて、自分にはそうは感じられないなぁとか確認できる。
若い頃に同時代的に”生臭く”生きていた時の印象と後年関係性のない人間が感じる印象とはやはり異なっているのだろう。
例えば長山藍子がテレビ版寅さんにさくら役で出ているのだが、著者はさくらと寅との兄妹性に近親相姦的な匂いを感じる表記をしているが、2019年の今になって見てみると確かにベタベタした振る舞いはあるが、それが1969年当時に振る舞いとしてどうなのよとかわからないにしても、うがった見方じゃないのとか思ってしまう。
そもそもドラマとしてそういうシチュエーションだったのかよと思ってしまうのは、不自然なことなのか。ドラマって何から何まですべて作り込んであるんでしょとシロートは思ってるんだけど。
ま、当時25歳の長山藍子はかなりお色気を発していたのは確かだけれどね。
当時はそんなお色気には気づかず、むしろ色気の感じない人だなぁと思っていたんだけど、印象って受ける側で変わるもんですね。
著者はかなり長山藍子に”感じて”いたと思う。だからそういう方面に敏感になったんじゃないのかな。


大不況には本を読む 橋本治著 河出文庫
先が見えない時には自分の頭で考えろという話
コメント
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