Nonsection Radical

撮影と本の空間

亀の甲より

2018年09月10日 | Weblog
家人が出かけようとしているのだが、玄関へ行っては「あれを忘れた」と再び部屋へ戻り、また玄関へ行っては「そうそう」と戻るの繰り返しを見ていて、自分と同じだと”安心”したのだけれど、歳をとるというのはそういうものだ。
しかし悪いことだけでもなさそうだと自己満足した話も。

女子テニス全米オープンで大坂なおみが”日本人”として初めて優勝したという話を仕事場でしていて、「あれぇオカシイなぁ沢松和子が・・・」と言ったところ、おばちゃんジョシから「カズコ〜?」と言われて「えっ?」となった。
「だからぁ沢松和子」というと「ナオコじゃないのさぁ」と言うのである。
ボケた頭を整理して見たがやはり沢松和子である。
そこで検索してみたが結果は和子であった。ただしウインブルドンのダブルスで優勝。ちなみに沢松奈生子は和子の姪。
その結果を伝えたのだが、そんな人知らないと言われたので、「歳をとっていると、色々昔のことを知っているからよかったぁ」と”勝ち誇り”を言ったのである。

確かに一面では歳をとっていることで実際に経験したことが多くなるのだが(ボケて忘れていなければだが)、逆に後から生まれた人は以前のことを記憶としてではなく記録として知ることができるので羨ましくもある。
明治時代の人が知らないことを現在の人は数多く知っているのだ。
どっちが良いかと言われたら自分にとっては現在人の方である。
だって活かそうと思えば調べることができるんだもの。
そこでオールドマンも現在人に遅れをとらないようにしなくてはならないと感じている。
できるだけ現在のことも知って、過去の経験と合わせて(ボケて忘れていなければだが)現在人にはわからないようなことにも嫌味で発言できる老後を暮らしたいのだ。

モノを知らなさすぎるぞ現在の若者よ。
コメント
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