Nonsection Radical

撮影と本の空間

製造大企業の終わり

2012年06月11日 | Weblog
ちょっと製品の数が多すぎない?
念頭に置いてるのはクルマや家電やカメラ、パソコンなんかの事だけど、他のものだって同じ。
そういう会社の作りになっているんだと思う。
表向きは消費者のニーズに沿ってなんて事なんだろうけど、実はそうやってたくさんの種類を出していくしか成り立たないんじゃないのか?
そして大量生産しないとイケナイ製造現場になっているんじゃないのか。
大量に多品種作るから無駄が多いはずだ。
そのため適正在庫を決める努力が常に必要だし、売れない在庫の整理も手間がかかる。
昔からこのような状態であったわけではない。
昔はずっと種類が少なかった。
それで困る事はなかった。
製品サイクルも長かった。
長かったからと言って陳腐化したわけではない。
最初からよく練っていたし、もちろん途中変更もあったが、長く作り続ける、その製品に愛着がある商売の仕方だったと思う。
ところが会社がデカくなると、たくさんの種類を出し、その分それぞれが薄味になり、サイクルも短くなった。
それで性能が飛躍的に伸び続けたかと言うと、そうでもない。
あるところまで来ると、性能は人間の性能を超えてしまい、たいして変わらなくなる。
むしろ使い勝手を考えたり、ソフト的な部分を煮詰めていく方が使いやすくなる。
しかし、そういう熟成をさせる前に、次の新製品に変わり、また一から始まるのだ。
そして、製品が売れなくなると、とたんに業績悪化である。
売れないものを大量に作り続けなければならない。
市場にはどうでもいいものがあふれかえるだけだ。
そろそろ日本でも、規模の小さな会社で、品数は少ないけれど、極めて個性的で性能がいいというものを作る会社が現れてもいいじゃないのか。
まあ規制が足かせになって生まれにくいという社会状況もあるのだろうが、大きな会社を目指すのではなく、小さくても飛び抜けたものを作るという意識の持った起業家が欲しいね。
実際にそういう会社はいくつもあるのだろう。
それが目立たなくても、キチンとその世界で生きながらえているのなら、それはそれで喜ばしい事だ。
大衆化だけが金儲けの方法ではないのだから。



モトコー4
コメント (3)
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