闘う社長の再起編

大きな夢を持って、日々、いろいろな事と格闘しています。
このブログは、そんな私の毎日の成長記録です。

私はイヤな読者

2009年08月19日 21時54分37秒 | Weblog
私は仕事柄、多くの文章を読む事が多い。 紙面でもデジタルでも。
ニュース、コラム、社説、論説、小説、から果てはマニュフェストまで読みます。
そこで人間とは本当に凄いと思うのは、私のような下手文章しか書けない者でも
読む力が付いてきて、他人の書いた文章の上手下手がわかってくる。

数日前のあるマスメディアの社説や、今日のあるニュースサイトのコラムなど
よくまぁ普段から文章を書く記者が書く文章にしては、脈絡が無茶苦茶だ。
まずもって起承転結がなってない上、最も訴えたい点が今一見えない。

「そんなに偉そうな事を言うなら、自分で書いてみろ!」というご批判や
このブログを読んで「口ほど大した文章書いてないじゃないか!」と
思われるかもしれませんが、そこはできなくても評論家という職業が
成り立つ世の中ですから、私の勝手なご意見にもご容赦を。

某新聞社のサイトでは、時たま思いっきり下手な文章が掲載される時があり
そんな時等は、私、評論家・はんなり社長の出番がやってくるわけです
「何月何日の何時頃の記事『何々』の何行目、URLはXXXXXのところの
 表現が間違っています。一般的には『こうこう』という表現の方が正しい」
とか「こういう文章の時に、こういう『xxxx』という諺を引用するのは
ニュアンス的に間違っている」とか小うるさい事を指摘したメールを送る。
新聞社にしたら、全く嫌な読者だ、ちょっとの事で一々指摘してくる

特に、社説やコラムというのは、公明正大公平を必要とされる他の記事と異なり
その新聞社の意見や意思を表現できる部分です、それを限られた紙面の中で
書かなければならないので、説得力や表現力が豊かでなければなりません。
ここが下手な文章だと、その新聞社の記者の質が疑われるところです。
とはいえ、特にある新聞社では、記者1年生が書くような文章を
社説にしている場合もしばしば見受けられますけどね

あと、時々見受けられるのが、社説とコラムなどの整合性の問題です。
極端な話をすれば、社説ではある党の少子化対策に批判的にかいてあるのに
同日のコラムには、非常に評価するような内容のコラムが掲載されてるケース。
勿論、書いている記者が異なるので、そのように相反する内容が
同時に存在してもおかしくないのだが、その新聞社としてはどうなのか?
と考えると、そこに矛盾があるのは少々奇異ですね。

と、ご大層に書いていますが、私の書いている文章がどうかという批評は
皆さんにお任せいたします。
正直言って、私自身は上手な文章がかけているとは、全く思っておりません


今日目に付いた記事:
 ・釣ったブラックバスを車に=「彼女に見せたかった」、男逮捕-奈良県警
  えーーー、こういうので逮捕されるのですね!!驚いた!

今日の気持ちステータス:

今日の一言:
 言うは易し、行なうは難し

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