3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

眠りにつこうとして(R.シュトラウス)

2011-12-20 16:21:42 | 音楽ノート
先週から胃痛で仕事をセーブしている。神経性の胃炎なので、基本的に気分転換が必要でしょうということになり、
だからというわけではないが、歌の練習に勤しんでいる。
胃痛なのに歌うので体に力が入らず困る。


R.シュトラウスの「眠りにつこうとして」、この歌は、シュトラウス最晩年の歌曲である。
ヘルマン・ヘッセの詩である。ヘッセが中年に差し掛かった頃に作った詩に晩年のシュトラウスはどのような思いを込めてこの歌を作ったのか。

この場合の眠りにつこうとして、は、シュトラウスにとっては、永遠の眠りをイメージしていると思う。
永遠の眠りにつく日が間近にせまっている。


わたしは疲れ果てた。
わたしの願いは
星のきらめく夜に子どものように抱かれることだ


手よ、すべての仕事を止めるがよい
そして、すべての思考を止めよ

今わたしの五感は眠りに沈むことを欲している


魂は翼を広げて飛ぼうとしている
魂は、夜の世界で
深く、永遠に生きる


最後のフレーズ、永遠に生きる、を歌うときは、やはり、生きるを強調して歌うべきなのではないかと思う。

この歌は、ソプラノ用に作曲されていて、かなりの高音が要求され、また、相当の、いや、驚異的な肺活量を必要とする。
肺活量が多い高音が楽にだせる若い歌手のほうが歌いやすいだろう。しかし、歌詞を理解するためには、それなりの人生経験を必要とする。

というわけで、歌詞を理解し、なおかつ技術を習得し、体力をもっているものだけが歌う権利を有するということになる。
歌詞の本当の意味を理解できるようになっても、すでにその時は高音がでなくなっているということもある。

まことに悩ましい歌なのである。

お手本としては、やはりシュワルツコップであろう。彼女は3回録音しているが、三回目のものが一番美しいといわれている。
オケ伴はやはりスケールが大きくてすばらしい。



コメント
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