3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

大学の研究指導力 大学の先生を暇にしなければならない

2014-04-09 15:50:23 | 現代社会論
小保方会見を見ていて思うのは、稚拙な研究手法などをしきりに反省していたが、昨今の大学の研究指導力の低下である。

大学の教員は、院生を十分に指導するような時間を取っていないのが現実のようだ。
昔は、先生はまるでいい加減な授業だったし、それでよかった。誰も攻めなかった。その代り、研究手法や倫理については、同じ釜の飯を食べて徹底的に叩き込んだ。そういう時間があった。
実験のやり方、報告書の書き方や調査の手法、協力者へのあいさつのやり方など見よう見まねで体得するというやり方、そうやって研究者の卵は一人前になっていった。
しかし、今はシラバスをかけだとか追試をしろとか、学生指導をしろとか、文科省をはじめとしてほんとうるさいそうだ。
友人は学生指導と文科省に提出する資料で時間をとられ研究する時間がないし、休講にすれば補講もしなければならず、やりきれないとこぼしている。
学生を本当の意味で育てる体制にはなっていない。
事務や報告ばかりが必要とされ、授業評価など冷たいものが介在するようになった結果、教員と学生の間の暖かい厳しいやり取りが難しくなってしまった。

大学を研究大学にのみに特化し少なくして、限られた人のみ大学で学ぶチャンスを得る、というようなほうがよいのではないかと思ってしまう。
通信の大学などいっぱいあるのだから、そういうのは残して、いつでもそういうところで学びたければ学べるようにしておく。
みながみな、18歳で大学に行く必要はない。

学生を少数にして、大学も少なくし、教員の研究の足しになるような授業をやるように転換しなければ日本は沈む。

大学の先生が学生の遊び相手をしているような日本。
終わっているよね。

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