3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

初恋の人の写真

2019-09-15 19:27:44 | 日記
偶然、初恋の人の写真をネット上で発見してしまった。
18歳のころ、私はその人のことをすごく好きだった。
随分年をとったけれど、今でもその人はやはり素敵だった。高校生のころのその人はかみそりみたいに研ぎ澄まされた感性の持ち主でものすごくカッカ良かった。
今も良い仕事をしているようだった。角がとれてだいぶ穏やかな感じになったようだ。

その人の写真を見ていたら涙がこぼれてしまった。
それは、18歳のころの自分を思い出したからなのだろう。
あのころの自分を思い出し、胸の苦しさに思わず涙がこぼれてしまった。
恋の思い出に涙するだなんて、珍しいことである。
強気で走り続けてきた私も年を重ね、昔の恋の思い出に涙するようになったのかあ。

大学生のころの恋はそれはそれで良い思い出だが、やはり高校生のころの恋は思い出深いもので私の人生にとって特別な存在である。

教室の窓に寄りかかるその姿、校舎に入るところにあった手すりに書いた落書きと秋の沈む夕日の風景。
何ひとつ忘れていない。

必死で勉強していた。だから恋は厳禁だった。合格祝賀会のあと、駅まで一緒に歩いた。駅の噴水のところまでいったらなんて言おうと思っていたがいざ駅につくと言葉が出なかった。

お互いなんて初々しかったのだろう。

今、偶然、街であったら、すぐにあのころに戻ってしまうだろう。そして、思い出を語るうちに再び恋をしてしまいそうである。
だから、二度と会わないほうが良いと思うのだ。

思い出を辿ってあの噴水にいってみたいものである。
あなたと私が確かに恋していたあのときの駅の噴水は今はもうないのだろう。
あのときの秋の風はもう吹かないけれど、それでもあの時に戻りたいから、あの街をまた訪れてみたいのである。

で、今日はユーミンの「雪月花」を聴いている。


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従属ではなく抵抗が必要である

2019-09-15 19:15:51 | 現代社会論
香港の学生デモを見ていて感じる。
日本の学生は飼いならされている。
日本の学生も従属ではなく抵抗が必要である。

上司の言いなりになる職員ではなく、いつでも抵抗の精神をもっていることが重要である。

霞ヶ関の職員も上司の言いなりではなく。抵抗の精神を持ってほしい。
抵抗しなくても精神を持っているだけで違う。
違うといえなくても違うという目を持っていることが大切なのではないだろうか。

出世のために上司の言葉を鵜呑みにするのではなく、違うと心の中で叫ぼう。
そこから変革は始まるのではないか。

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1830年9月15日イギリスで世界初の鉄道が走った日

2019-09-15 15:47:19 | 現代社会論
9月15日はイギリスで始めて鉄道が走った日とのことである。
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1830年1月の最初の試運転を経て同年の9月15日、マンチェスターのリヴァプール・ロード駅(Liverpool Road railway station)(現在のマンチェスター科学・工業博物館(Museum of Science and Industry in Manchester)の一部にあたる)とリヴァプールのエッジ・ヒル駅間で営業を開始した。

しかし開業式典当日にリヴァプール選出の議員であるウィリアム・ハスキソンが列車に轢かれて死亡するという最悪の事態に見舞われた。列車がニュートン・ル・ウィローズ(Newton-le-Willows)そばのパークサイドで一時停車した際、客車から下車し当時の首相であった初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーに客車の窓から挨拶しようとした矢先の事故であった。 線路上に立っていたハスキソンは、対向の線路を接近してくるロケット号の速度を見誤った結果轢かれてしまい、世界初の鉄道人身障害事故を発生させてしまった。なおハスキソンは即死したわけではなく、首相の乗っていた列車から切り離されたノーザンブリアン号(Northumbrian)によってエックルス(Eccles)へと救急搬送されたが、そこの牧師館で亡くなった。
事故による暗い雰囲気の中一行はマンチェスターへと進んだが、現地は労働者階級による首相への反発が根強い地域であり、煉瓦を投げつけられるといった騒ぎの中リヴァプールへと戻った。

このように幸先の悪い開業日であったが、その後の経営は極めて好調であった。開業後数週間にして最初の臨時列車が運行され、世界で最初の鉄道郵便の営業が行われ、ピックフォーズ社(Pickfords、イギリスの引っ越し会社)向けのコンテナを搭載していた。1831年の夏までに、ニュートン・レースへ向かう何万もの列車が運行されるようになった。

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マンチェスターはイギリス産業革命発祥の地、リヴァプールからマンチェスター間を鉄道が走ったのは当然といえば当然だろう。
マンチェスターは産業革命の結果、多くの労働者層を生み、彼らの貧困問題も深刻になって、労働運動も盛んな地である。
189年前1830年の今日、イギリスでは鉄道が走り、わが国では天保元年、伊勢御蔭参りが大流行であった。

イギリスでは1830年から1850年代末までおよそ30年にわたってチャーチスト運動が全国的に展開された。
チャーティスト運動、あるいは、チャーティズム(英: Chartism)とは、一九世紀イギリスで起こった選挙法改正と社会の変革を要求する、急進派知識人とおもに下層の労働者たちの運動。

1844年イギリスで「工場法」が成立、しかし、労働者階級の状態は改善されることはなかった。

1845年F.エンゲルス『イギリスにおける労働者階級の状態』Die Lage der arbeitenden Klasse in England,1845)

1842年11月下旬、エンゲルスの父はマンチェスター西部ソルフォードに立地する「エルメン&エンゲルス商会」の紡績工場「ヴィクトリア工場」で経営に従事させるため、エンゲルスをマンチェスターに送った。マンチェスターはイングランド北部を代表する当時人口40万人の工業都市であり、多数の世界的な紡績工場と市場、証券取引所を抱え、「コットンポリス」と称された。

エンゲルスは以降20カ月、紡績工場で400名の労働者と共に働き、産業革命をいち早く遂げたブリテン資本主義による搾取の最前線で共産主義的理想との矛盾した立場に置かれる。しかし、エンゲルスは持ち前の行動的な姿勢を通じてこの問題と向き合おうと努める。すなわち、労働者との交流と彼らの貧困に関するフィールドワークをおこなった。エンゲルスは『イギリスにおける労働者階級の状態(英語版、ドイツ語版)』 序文、このときの調査を「圧制者の社会的・政治的権力に対する労働者の闘争をこの目で見たい」という考えのもと、「中間階級の会合や宴会、ポートワイン、シャンパンを断念して、自由な時間をほとんどすべて普通の労働者との交際に費やして」、労働者を「諸君の住宅にたずね、日常生活を観察し、生活条件や苦悩について語りあい」、「本当の生活を知り」、「抑圧され中傷されている階級を公平に扱う機会を得る」とともに「中間階級の残忍さを知った」と書いている。

1948年 共産党宣言がカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスによって書かれる。宣言の最後は「万国のプロレタリア団結せよ」
1848年革命、1848年からヨーロッパ各地で起こり、ウィーン体制の崩壊を招いた革命。1848年から1849年にかけて起こった革命を総称して「諸国民の春」と呼ばれる

1867年にマルクス「資本論」第1部が刊行、1885年に第2部、1894年に第3部が刊行されている。
 第1部は、マルクス自身によって発行されたが、第2部と第3部は、マルクスの死後、マルクスの遺稿をもとに、フリードリヒ・エンゲルスの献身的な尽力によって編集・刊行された。

ということでイギリス資本主義の進展は労働者階級の悲惨な状態を常態化させ、産業革命は労働者による社会革命の道を歩みそうになるが、社会改良主義の台頭によって、革命ではなく改良の道を歩み、それが福祉国家への道を拓いたということも言われているようだ。
このあたりは定かではないが、確かに、革命か改良かというぎりぎりの選択はあったのではないかと思うのである。

マンチェスターの労働運動のリアルやロバートオーエンなんかも探究したくなる。

補足 イギリス工場法の変遷

1833年制定時…9歳未満の児童の労働を禁止。9歳~18歳未満の労働時間を週69時間以内に制限。その監督をする工場監督官の配置を義務化(任命)
  1834年の改正で新救貧法が成立。

1844年改正…女性労働者の労働時間を18歳未満の労働者(若年労働者)なみに制限。
1847年改正…若年労働者と女性労働者の労働時間を1日あたり最高10時間に制限。
  1867年改正…繊維産業のみならず、50人以上の工場全般が対象となる。
1874年改正…週56時間労働制の実施(平日=月曜から金曜まで1日10時間まで、土曜は6時間まで)。

日本の工場法

明治44年3月29日法律第46号

工場法(こうじょうほう、明治44年3月29日法律46号)は、工場労働者の保護を目的とした日本の法律。
1911年(明治44年)に公布、1916年(大正5年)に施行された。1947年(昭和22年)に労働基準法が施行されたことによって廃止。




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マラソングランドチャンピオンシップ 水道橋あたり

2019-09-15 11:35:41 | TVノート
東京オリンピック2020のマラソン出場枠決定のレース、近いので朝、水道橋あたりにくりだした。
男子も女性も間近にみて、子どものころ、運動会で応援していたときと同じような興奮を覚えた。
やはりテレビでみるのとは異なる臨場感。当たり前だが、この臨場感はすごいものである。
帰路も見ることは可能であるが、たまった仕事もあるので、家に帰ってテレビをみることにした。

NHKは女子の中継、嵐やら歌舞伎俳優やら増田明美やらが解説して、女性のアナもくわわって、どうでもよい話に盛り上がり、真剣に走っているランナーへの侮辱としかいいようのない解説。

こういうのりはぜったいにやめてほしいと思う。
楽しくお茶の間にいる感覚を取り入れようとしているのだろうが、マラソンや周りの景色を楽しもうというものにとっては邪魔である。
結局音消にしていた有様である。ホントイヤだった。

NHKへの批判がある。
受信料払いたくなくなる気持ちはわかる。

この低俗な大衆迎合主義の番組作りはやめてほしいものである。


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