3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

大阪府寝屋川市の中学1年の痛ましい事件

2015-08-25 16:00:34 | 現代社会論

大阪府寝屋川市の中学1年の子どもが殺されてしまうという痛ましい事件。

夜の街を徘徊する中学生。こういう子どもたちは決して少なくないのだろう。
ずいぶん昔のことになるが、夏休みは夜の街に中学生や高校生が浮かれて遊んでいるので、補導というシステムがあり、学校の先生やPTAのおじさんおばさんが街を巡回していた。もう、そういうことはやらなくなったのだろうか。人手が足りずやりきれないのかもしれない。のどかな時代だった。学校がまだ地域で役割を果たしていた時代。
余談だが、昔、小学校のプールに夜、大人が入りに来るというので、監視するために先生とPTAが見張っていたことがあった。今となっては懐かしい。

だいたい、夏休みなどなくてもいいのではないかと思ってしまう。毎日学校に行く生活が崩れる。いじめられている子はいやかもしれないけど。

小学生中学生そして高校生、親は働いているし、日中、家にはだれもいないのである。
夜勤のお母さんだと夜もいない。朝もいないこともある。
そんな家にいてもつまらないから夜の街を徘徊することになる。

コンビニの前でたむろする。
大人はそんな彼ら彼女たちをとがめることもせずに、スルーしていく。
うちの子はそこにはいないから、別に気にとめることはない。

そうして事件に巻き込まれる。
事件にならなくても、危ないおじさんなどに絡まれたりして、いやなこともあるだろう。

放置されている子どもたちに支援の手はさしのべられないのだろうか。

夜のクラブ活動、スポーツ、音楽活動など、思い切り楽しめる場を作ってやる必要があると思う。
そういう輪に入れない子どもたちはいつもいて、そういう子どもたちが今回のような事件に巻き込まれるのかもしれない。
とにかく場をつくり大人も子供もみなそこで交流を深めることができるようにする。そういう場は必要で、それを作ってやるのは大人の責任だろう。
シャッターを下ろした商店街、空き店舗に徘徊中学生の寄場みたいなものをとりあえず作って見るのも手である。

それにしても、この容疑者というのは、かつて罪を犯したことがあるという。
更生の道は険しい。この容疑者のような人もたくさんいるのではないかと思うとこういう人もまた放っておかれてはいけないのではと思う。

大人だって行く場を失い、拠り所を失っているのは子どもと同じだ。
社会の輪から切り離され、犯罪に手を染めていく。切り離されることがないようにあれこれ考える必要がある。






コメント
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