花子とアン、だんだん終わりが近づいてきた。
毎朝、BS7:30のものを見ていた。
最近は、その前にやっているカーネーションもみるようになって、夏木マリが老役に挑戦していて、病院でファッションショーなんていうのはとてもいいなあと思いながらみていた。こちらも最終回が迫っている。
さて、話題の花子とアンである。
レンコさんと荒木村重が結婚したのにはびっくりした。
いつの間に。
村岡印刷さんと花子、働く才能ある妻を支えるイクメンとしてのエイジさん。いつでも決して怒ったりせず安心な男の代表。
これからは、こういう男性像をどんどんテレビで流したほうがよい。女性の社会進出を後押しするためにうってつけの男性像である。
カヨさんは、薄幸である。関東大震災で恋人をなくした。今、孤児を引き取ることになり新しい人生が始まっていくようである。
一度、戦争への曲がり角をまがってしまったら、もう二度ともとの道には戻れないということを我々は知るべきである。
戦争への小さな曲がり角はいくつもあって、後戻りできる可能性もあったが、大きな曲がり角をまがってしまったら、私たちは、もう戻れないのである。
花子はラジオを通して、子どもたちを戦争に駆り立てたとレンコにせめられた。が、当時、多くの大人たちは戦時体制にはいっていくことになんの疑問をもたずに流されていったのである。
カヨさんだって、目を吊り上げて、ダンミツと一緒に国防婦人会の活動で、鬼畜米英、敵国の言葉として英語の本を燃やしていたし、戦争突入をさけようと日中工作をした龍一も、もうなすすべもなかった。
若者は、日本の勝利を信じ、出陣していった。学徒動員、純平君は8月11日?に戦死したことになっている。
この死は避けられたはずの死である。3月10日の大空襲で東京は焼け、5月にはドイツは無条件降伏していた。国内戦が困難であることはだれも気が付いていたし、沖縄戦を経てヒロシマナガサキ原爆投下で、もう負けはわかりすぎていた。最後の一人まで竹やりでという人たちもいただろうが、冷静に考えれば、そんなことはバカげたことだった。軍部は全員ヒステリー状態。末期的。
現実にはどうやって戦争を終わらせるか、これがこの時期の課題だったはずだ。
村岡 花子1893年(明治26年) - 1968年(昭和43年)の一生は日本の明治から高度経済成長期までの日本の歩みそのものである。
まさに日本が坂の上の雲をめざし、いくつもの戦争を経て敗戦し、高度経済成長を遂げるまでの日本の姿を女性の一生を通してみることができるように思える。
明治期の日本の農村のすがた、大正期の新しい男女、関東大震災、そして戦争と敗戦。
戦後の混乱期の農村と廃墟と化した東京とその後の復興。
兄の吉太郎を優しく受け止めたのは日本の農村に違いないのである。
その農村を否定するようにして経済成長を遂げていくその後の日本。
われわれは高度経済成長の成功体験に惑わされ、農村の疲弊に目をむけることができなかった。
そのつけが今来ている。
地方の衰退、地方の文化と産業の衰退は、成長の陰の部分である。
いつも優しく都市の労働者を受け止めてきた農村がなくなれば、どこに逃げ場を求めればよいのだ。
地方創生のためには地方の農業を新しい形で再生させ、豊かな文化と教育の充実をはかり、少子化を食い止める。
住宅を含めた生活環境の整備、公共交通機関の整備も必要だろう。
花子とアンをみていると、花子の人生に重ねて、過去の我が国の間違って曲がってしまった曲がり角を少しずつ修正をかけていくための処方箋がみえてくるのである。
毎朝、BS7:30のものを見ていた。
最近は、その前にやっているカーネーションもみるようになって、夏木マリが老役に挑戦していて、病院でファッションショーなんていうのはとてもいいなあと思いながらみていた。こちらも最終回が迫っている。
さて、話題の花子とアンである。
レンコさんと荒木村重が結婚したのにはびっくりした。
いつの間に。
村岡印刷さんと花子、働く才能ある妻を支えるイクメンとしてのエイジさん。いつでも決して怒ったりせず安心な男の代表。
これからは、こういう男性像をどんどんテレビで流したほうがよい。女性の社会進出を後押しするためにうってつけの男性像である。
カヨさんは、薄幸である。関東大震災で恋人をなくした。今、孤児を引き取ることになり新しい人生が始まっていくようである。
一度、戦争への曲がり角をまがってしまったら、もう二度ともとの道には戻れないということを我々は知るべきである。
戦争への小さな曲がり角はいくつもあって、後戻りできる可能性もあったが、大きな曲がり角をまがってしまったら、私たちは、もう戻れないのである。
花子はラジオを通して、子どもたちを戦争に駆り立てたとレンコにせめられた。が、当時、多くの大人たちは戦時体制にはいっていくことになんの疑問をもたずに流されていったのである。
カヨさんだって、目を吊り上げて、ダンミツと一緒に国防婦人会の活動で、鬼畜米英、敵国の言葉として英語の本を燃やしていたし、戦争突入をさけようと日中工作をした龍一も、もうなすすべもなかった。
若者は、日本の勝利を信じ、出陣していった。学徒動員、純平君は8月11日?に戦死したことになっている。
この死は避けられたはずの死である。3月10日の大空襲で東京は焼け、5月にはドイツは無条件降伏していた。国内戦が困難であることはだれも気が付いていたし、沖縄戦を経てヒロシマナガサキ原爆投下で、もう負けはわかりすぎていた。最後の一人まで竹やりでという人たちもいただろうが、冷静に考えれば、そんなことはバカげたことだった。軍部は全員ヒステリー状態。末期的。
現実にはどうやって戦争を終わらせるか、これがこの時期の課題だったはずだ。
村岡 花子1893年(明治26年) - 1968年(昭和43年)の一生は日本の明治から高度経済成長期までの日本の歩みそのものである。
まさに日本が坂の上の雲をめざし、いくつもの戦争を経て敗戦し、高度経済成長を遂げるまでの日本の姿を女性の一生を通してみることができるように思える。
明治期の日本の農村のすがた、大正期の新しい男女、関東大震災、そして戦争と敗戦。
戦後の混乱期の農村と廃墟と化した東京とその後の復興。
兄の吉太郎を優しく受け止めたのは日本の農村に違いないのである。
その農村を否定するようにして経済成長を遂げていくその後の日本。
われわれは高度経済成長の成功体験に惑わされ、農村の疲弊に目をむけることができなかった。
そのつけが今来ている。
地方の衰退、地方の文化と産業の衰退は、成長の陰の部分である。
いつも優しく都市の労働者を受け止めてきた農村がなくなれば、どこに逃げ場を求めればよいのだ。
地方創生のためには地方の農業を新しい形で再生させ、豊かな文化と教育の充実をはかり、少子化を食い止める。
住宅を含めた生活環境の整備、公共交通機関の整備も必要だろう。
花子とアンをみていると、花子の人生に重ねて、過去の我が国の間違って曲がってしまった曲がり角を少しずつ修正をかけていくための処方箋がみえてくるのである。