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3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

マリア・カラスの真実:それほどまでにオナシスを愛していたのか。

2015-06-16 15:01:48 | DVDノート
DVDを観た。マリア・カラスの真実。
53歳で亡くなった20世紀最高の美貌のソプラノ歌手。
ギリシャ系アメリカ人。オナシスとの恋。
激しい気性。

どれをとっても伝説。

なぜか惹かれるのはなぜか。
実力があり美貌であり、努力家でもあった。

パリでオナシスを待ち続た。
オナシスが亡くなると後を追うように彼女も一生を終えたのだった。

世紀のオペラ歌手として生きるより、敗れたとはいえ、一つの恋に生き、一途な女としての人生を選択したように思える。
オペラ歌手としてすべてを手に入れたのちにもほしかったのは、たった一つオナシスの愛だったのだろうか。

オナシスの浮気男にはへどがでる。
ジャックリーンもまたその餌食になったのだろう。

成り上がりの男は、名声と家柄がほしかった。
カラスのようなおなじ成り上がりのギリシャ女ではなく、ケネディアメリカ大統領夫の人というステイタスを手に入れたかった。

オペラの楽譜の表紙にカラスの言葉が載せてある。
「歌に関して、私たちは死ぬまで学生である」
死ぬまで勉強し続けることの重要性を説いている。

たぐいまれな天性の才能も謙虚に学び続ける努力のたまものだったということを心に刻みたい。




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シューマンの女の愛と生涯 2

2014-07-16 18:42:37 | DVDノート
シューマンの「女の愛、そして人生」とでも訳したくなるのだが、
この歌曲の詩は、アデルベルト・フォン・シャミッソーだが、藤井宏行さんのサイトで詳しく書いてあるのを読むと、シューマンの歌曲は、最後の詩が省略されているとのこと。
クララとの結婚で有頂天になっているシューマンにとって、主人公の女性が年を取ったときの話など興味がなかったのだろうが、女の人生は少女から女へ変貌し、そして、老いてゆくのであり、そこをちゃんとシャミッソーは入れているのである。リアリズムである。年をとり、孫娘が恋をして嫁いでいく。その孫娘に向けたはなむけの言葉。女がその人生を静かにふりかえり、もっとも美しかった恋する日々を大切に思っているのがよくわかる。

シャミッソーは男なのである。男が女の立場になって女の愛と人生について語っているといわけであるから、だから、男目線の女の人生になるのである。女の愛と人生だから女が歌うのであるが、男が描く理想の女像、女からこんな風に見られたいとか、女が結婚してくれっていったときにすごく喜んでほしいとか、結婚指輪をあげたときにも、すごくうれしそうにしてくれる、なんていうのをイメージして書いているんだろう。だから、ジェンダーバイアスの歌詞になるのである。音楽が美しいのでとりあえず、許すけど。

シューマンが省略した最後の歌については
藤井さんのサイトからhttp://homepage2.nifty.com/182494/LiederhausUmegaoka/songs/L/Loewe/S2026.htm
引用させていただく。ちょっと修正しています。

祖母から花嫁になる孫への人生訓示。愛こそすべて、くじけそうになることもあるけれど、強く生きよと伝えている。今は老いて美しくないけれど、青春の日々があったのだよと。時はどんどん過ぎ去って老いはすぐやってくる。でも、愛の日々は大切にね。ということか。
女の愛、そして人生、最後の人生のステージまで描き歌わなければ。

シューマンは老いたクララをイメージできなかった。だからのこの歌詞には曲をつけなかった。
美しいクララ、年取ったクララではなく、いつまでも美しいクララをイメージし、老いたクララを知ることなく精神を病み早くなくなったシューマンの男の愛、そして人生についてあらためて考えると男の悲哀も感じる。歌の年1840年の作品だったか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

かけがえのない日々の夢も
今は遥か昔のこと
私の娘の娘
かわいい私の孫や

お受けなさい、この年取った私が
棺を布で包まれる前に
お受けなさい お前の若い人生に
私の祝福の言葉を

髪は白くなり
やつれて蒼白く見えるけれど
私にも、お前のように
若くて生き生きしていた頃があったのだよ
お前と同じように恋をして
お前と同じように花嫁となったのさ
そしてお前も同じように歳を取るのだよ
私が白髪になったように

時は過ぎ去るに任せなさい
どんどん過ぎ去って行くから
ただ 変わらない真実だけを
お前の胸の中に持っておきなさい
いつか言ったように
私は今も思っているよ
幸せは愛すること。
愛することこそが幸せなのさ

私が、愛する夫を
お墓に埋葬したあとも
私は愛する心を
ずっと私の中に秘めてきた
私の心が張り裂けても
私は勇気をしっかり持ち続けたのさ
そして年老いて灰になっても
この神聖な焔は燃え続けてるんだよ

お受けなさい、この年取った私が
棺を布で包まれる前に
お受けなさい お前の若い人生に
私の祝福の言葉を
もしお前の心が砕けそうになっても
勇気をしっかり持ち続けるんだよ
愛することの痛みは
その時お前の最高の宝物になるのだから


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引っ越しと身辺整理2: 三大テノールのDVD

2014-05-15 16:54:37 | DVDノート
引っ越しで相当数の本、CD、DVDを買い取り業者に出した。
気分もすっきりである。

しかし、まだまだ相当数の本、CD、DVDがある。
なかなか捨てられないものである。

三大テノールのパリ公演、リヴァイン指揮、1998。
すでにパヴァロッティはなく、リヴァインも病気療養中。
でも、すばらしい歌声。
みなまだ元気でカレーラスも大病する前の映像。
久しぶりに堪能。

パバロッティ、あんなに元気だったのになあ。

人生、先はわからないものである。

METが来日した時にドミンゴを見に行った。
合間のコンサート、フレミングのコンサートに行った時、ドミンゴが会場にきていて、すぐ近くの席だった。
なつかしい。本物というのはやはりすごい。近くにいるとオーラを感じる。
世界の一流というのはすばらしい。


三大テノールのDVDに作成中の話が載っている。
それが大変面白い。
プロデューサーによれば、3人とも個性が強いし、自分が世界で一番と思っているので、最初は御しがたかったらしい。

しかし、それぞれは世界で一番の人だから、ゆえにお互いの声、技術、表現力の素晴らしさも十分理解している。
とにかく、リヴァインの統治能力がすばらしかったらしい。
みなが、リヴァインを尊敬していて、だからあのイベントが成功したということである。

最後のほうででてくるYou never walk alone なんか聞くとしんみりしてしまう。
ドイツ語なまりの英語だが、心に響く。

なんといってもイタリアものが素晴らしい。パヴァロッティのカルーソなんかもすばらしい。

もう二度とこういうプログラムはやれないんだろうなあ。

カレーラスは大病から復帰して来日したときのコンサートに行ったが、上品、紳士的なおかつサービス精神にあふれていた。
忘れられないコンサートである。
DVDを繰り返し見て、彼らを懐かしむとするか。









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大雪の東京 そんな時は冬のソナタでも

2014-02-09 17:45:17 | DVDノート
韓流ドラマはまったく興味がないのだが、大雪で外出できないので、昨日は一日なんとなく冬のソナタを見ていました。
冬のソナタは傑作です。

おばさんに人気があるのはわかります。

高校の初恋の思い出はだれにでもあるでしょうし。

初恋の人が死んでしまったというのは衝撃的な出来事だから、10年間忘れられない女主人公の気持ちにはみな感情移入しますね。

初恋の人が死んでしまった。もし、記憶喪失で生きていたら、なんていうことを考えるとドラマになるのです。
本当に死んでしまったとしても、そういう事実はなかなか受け入れられないもの。
頭がおかしくなるくらい泣くっていうのはわかりますね。

もし、死んだのが間違いで、実は生きていて、10年後にあうなんて、それはとても素敵なこと。考えるだけで幸せな気分。
冬のソナタは、主人公が数学オリンピックで優勝したという設定。頭がよくて背が高くてハンサムだったらだれでも好きになってしまうと思うけど。

25歳で亡くなった友人のことを思い出します。
今でもあのころ一緒に歩いた道やコーヒーを飲んだ店や待ち合わせをした駅。
物語のすべてを色鮮やかに思い出すことができます。

あれからずいぶん時が経ってしまったけれど、色あせることはない。
お墓に持っていく思い出です。
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「時をかける少女」の「それから」がみたい

2013-09-29 14:13:37 | DVDノート
立て込んでいる仕事を後目にDVDをちょっと見てしまった。1983年の作品。
いいなあ、時をかける少女。
ここに出てくる高校生は地味な制服、丈の長いスカート、今となっては失われた真面目な高校生。
懐かしさでいっぱいになる。

それにしても深町君はなぞめいていて実によいのである。
みんなあんな風に高校生活を送り、今がある。

二人で竹林を歩いて帰るシーン。
その美しい夜のシーン。
青春の日々を思い返しジンとくる。
誰もが一度はあのような青春の一コマをもっている。
思い出すたびに涙がこぼれる。


1994年にヨシヤマ君は薬学部の院生になっている。
そこへ、また、深町君がやってくる。
94年の薬学部に携帯ではなく研究室に電話がかかってくるというのが80年代の雰囲気であるが、とにかく、また、深町君がやってくるんだから、面白い!
しかも、五郎ちゃんもまだ、吉山君の周りにいてデートの誘いの電話をかけてくるという設定。

愛のためいき、という挿入歌があり、美しい。
この映画は音楽が美しいのでポイントが高い。
原田知世が子どもで、初々しく、少女から女性にかわっていく一瞬を映画がとらえている。

筒井作品であるこの小説はすでに1972年 『タイムトラベラー』『続 タイムトラベラー』(NHK少年ドラマシリーズ) 主演:島田淳子
NHKの少年少女向けテレビドラマ枠『少年ドラマシリーズ』の第一弾として、初映像化されている。

この時は深町君はケンソゴルという名前で、やはり謎めいていた。

時を超えて、何度も映像化されてきた。
タイムトラベラー、このテーマも日本人は好きだよね。

時をかける少女の「それから」が見たい。
はじまりは、薬学部の実験室からだ。
それ以外はありえない。
深町君は自分の記憶は消していなかった。
で、吉山君を探して、ついに1994年の4月?にやってくるのである。


けばい高校生、大学生などは出てくる必要はない。
1980年代前半までに確かにあった日本の真面目な高校生像。
今はすっかり失われてしまったが。

英訳すれば売れるのになあ。





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