初詣は、した。クリスマスと同じだ。ただの家族の季節行事だ。これは日本的なことだ。仕方がない。だが、私は、基本的に無宗教者である。
おみくじは、昨年同様、元旦に瀬戸内市長と会い、その後、市会議員で昔の同級生Fさんに紹介されて行った「てれやカフェ」という店で、オーナー夫婦のテレサさんが店内に作った「てれや神社」という 「作品」の一部で、引かせていただいた。
大吉だった。
テレサは岡山在住の美術家であり、私の紹介で岡山で二年連続、芝居を作ってきた関美能留君の作品で、美術と衣裳を担当している。いろいろご縁は面白い。
で、元旦、年末の安倍首相に続いて新藤義孝総務相が元旦に靖国神社を参拝。
中国韓国はじめアジア各国、米国、EUやロシアなど世界各国からの「失望」は深まるばかりであろう。
安倍首相は第1次安倍内閣のときに参拝しなかったことを「痛恨の極み」としていた。首相としての靖国参拝を強行した小泉純一郎への対抗意識もあるのだろう。
昨秋は靖国神社の秋季例大祭に合わせ、安倍首相の実弟・岸信夫外務副大臣や国会議員150人以上が参拝。安倍首相は参拝を見送り、神前への供え物のみを奉納した。それじたいも既に非難されていた。
どんな反響があるかわかっていなかったはずはない。
「日本は再び戦争を行ってはならない」「これは過去に対する厳しい後悔に基づいた私の確信」「中国・韓国の人々の感情を傷つけるのは私の意図ではない」と安倍首相は言う。
だが、いうまでもなく靖国神社は、諸外国から「日本の軍国主義の象徴」と見なされている。
参拝は、国内から見ても「戦犯への賛美」「アジアでの残虐行為の否定」につながると考えられて当然である。
靖国神社は「戦没者追悼の施設」ではない。靖国神社は 「国のために戦って命を落とした人たち」とそれ以外の人たちを分け、前者のみを祀っている。ほんとうの「犠牲者」にはなんら敬意が払われていない。望まぬ死を余儀なくされた者たちの中でも、軍国主義の宣伝に使える立場の者たちだけが、尊重されているのだ。
外国メディアに対して「誤解されている」「靖国は日本人が平和を願う場」「各国が戦没者をどのように追悼するかは固有の文化や伝統によって決めること」と言いつのってきたわけが、そろそろ周囲の国々も堪忍袋の緒が切れたということだ。
昨年十月に来日した、ケリー米国務長官、ヘーゲル国防長官は、靖国神社ではなく、国外での無名戦没者の遺骨が埋葬されている「千鳥ケ淵戦没者墓苑」を訪れ、献花した。「戦没者追悼」が目的なら、靖国参拝をやめ、純粋な「戦争の犠牲者」が祀られているこちらにせよと「アドバイス」をしたわけだが、安倍首相はそれを無視した。
前述の通り、彼にとっては、「戦争で命を落とした方々」の中でも、「国のために命をささげた方々」という考えに当て嵌まる者のほうが、プライオリティが高い。被害者よりも加害者のほうが、大切なのだそうだ。
つまり、「非道な戦争によって命を奪われた者」よりも「誤った命令を出した犯罪者」のほうを、「お国のために」尊重したいというわけだ。
それにしても、国内の報道が気になる。対象が「神社」であることが「逃げ道」となり、蒙昧に陥っているように思われる。
そもそも靖国神社という一宗教法人に首相・閣僚が参拝することじたいが、国家による宗教的活動を禁じた憲法の「政教分離」に反している。結果として公金も使われている。例え「私的参拝」と言いつのろうと、「宗教の政治利用」であることに疑いの余地はない。
彼らが「靖国神社で祀る対象からA級戦犯を外せばいいならそうする」という運動をする気配は、微塵もない。
ならば、私たちはこれから「靖国神社」という名前を使わないようにしてはどうか。
報道自体が「政教分離」すべきなのだ。
言い換えるならば、こうだ。
安倍首相も新藤総務相も、「日本の過去の他国への侵略・暴虐行為を発案・推進したA級戦犯を崇め祀る施設」=「人道に反する戦争犯罪者を称揚する施設」に対して、「尊崇の念を込めて拝んだ」のである。
そのような行為が「不戦」「平和」に繋がることなどあり得ない。
靖国参拝が「政教分離」原則に反することは、既に明確になっている。
戦没者遺族らが参拝で精神的苦痛を受けたとして国や首相に損害賠償などを求めた訴訟では、地裁や高裁で「違憲」判断が示されたケースもある。
中曽根康弘首相、小泉首相の参拝については、遺族らが提訴、福岡高裁、大阪高裁が「違憲の疑いがある」「違憲」と判断した。
「国のため犠牲となった「英霊」に対して、哀悼の誠を捧げるのは当然である。外国からとやかく言われる筋合いはない」という理屈は、以上の説明の通り、日本国内でさえ通用していないのだ。
そもそも安倍首相は「日本の過去の他国への侵略・暴虐行為を発案・推進した者たち」を「A級戦犯」とした「東京裁判」そのものを否定した発言をしている。
靖国神社には、東京裁判で責任を問われた東条英機元首相らA級戦犯14人が合祀されている。そして日本は、1952年に発効したサンフランシスコ平和条約で、極東国際軍事裁判(東京裁判)の結果を受け入れた。
それを知らぬはずはないのに、安倍首相はA級戦犯について「国内法的には戦争犯罪人ではない」と語っている。
2013年3月の衆院予算委員会では東京裁判について「勝者の判断によって断罪された」と答弁した。
日本がかつて、朝鮮半島、台湾を植民地化し、中国や東南アジアに侵略戦争を行ったという「歴史」を、実感として認識できていない若い人たちが増えているのは確かだ。
その「侵略戦争」を立案、指揮、 遂行していた責任者が「A級戦犯」である。
靖国神社は侵略の歴史を正当化し、「日本の戦争は正しかった」というメッセージを日本国民に宣伝する機関であり、宗教施設の領域を越えた特殊な政治組織である。国家神道という「国営の宗教」によって日本の軍国主義を支えてきた。海外には、「ヨーロッパでいえばネオ・ナチと同じ」「現代でいえばアルカイダ」という人もいる。
首相がこの神社を参拝することが、彼の言う「不戦の誓い」と両立するはずもない。
日本を孤立させようとしているのは、安倍首相自身だ。
面倒だが、この件について、他の人のまとめ方も参照しながら、現在の情報を一通り見通せるようにまとめておいた。
こちらは三ヶ日も終わらぬまま、東京の生活を再開することになりうんざりだが、今夜はよく眠りたい。
おみくじは、昨年同様、元旦に瀬戸内市長と会い、その後、市会議員で昔の同級生Fさんに紹介されて行った「てれやカフェ」という店で、オーナー夫婦のテレサさんが店内に作った「てれや神社」という 「作品」の一部で、引かせていただいた。
大吉だった。
テレサは岡山在住の美術家であり、私の紹介で岡山で二年連続、芝居を作ってきた関美能留君の作品で、美術と衣裳を担当している。いろいろご縁は面白い。
で、元旦、年末の安倍首相に続いて新藤義孝総務相が元旦に靖国神社を参拝。
中国韓国はじめアジア各国、米国、EUやロシアなど世界各国からの「失望」は深まるばかりであろう。
安倍首相は第1次安倍内閣のときに参拝しなかったことを「痛恨の極み」としていた。首相としての靖国参拝を強行した小泉純一郎への対抗意識もあるのだろう。
昨秋は靖国神社の秋季例大祭に合わせ、安倍首相の実弟・岸信夫外務副大臣や国会議員150人以上が参拝。安倍首相は参拝を見送り、神前への供え物のみを奉納した。それじたいも既に非難されていた。
どんな反響があるかわかっていなかったはずはない。
「日本は再び戦争を行ってはならない」「これは過去に対する厳しい後悔に基づいた私の確信」「中国・韓国の人々の感情を傷つけるのは私の意図ではない」と安倍首相は言う。
だが、いうまでもなく靖国神社は、諸外国から「日本の軍国主義の象徴」と見なされている。
参拝は、国内から見ても「戦犯への賛美」「アジアでの残虐行為の否定」につながると考えられて当然である。
靖国神社は「戦没者追悼の施設」ではない。靖国神社は 「国のために戦って命を落とした人たち」とそれ以外の人たちを分け、前者のみを祀っている。ほんとうの「犠牲者」にはなんら敬意が払われていない。望まぬ死を余儀なくされた者たちの中でも、軍国主義の宣伝に使える立場の者たちだけが、尊重されているのだ。
外国メディアに対して「誤解されている」「靖国は日本人が平和を願う場」「各国が戦没者をどのように追悼するかは固有の文化や伝統によって決めること」と言いつのってきたわけが、そろそろ周囲の国々も堪忍袋の緒が切れたということだ。
昨年十月に来日した、ケリー米国務長官、ヘーゲル国防長官は、靖国神社ではなく、国外での無名戦没者の遺骨が埋葬されている「千鳥ケ淵戦没者墓苑」を訪れ、献花した。「戦没者追悼」が目的なら、靖国参拝をやめ、純粋な「戦争の犠牲者」が祀られているこちらにせよと「アドバイス」をしたわけだが、安倍首相はそれを無視した。
前述の通り、彼にとっては、「戦争で命を落とした方々」の中でも、「国のために命をささげた方々」という考えに当て嵌まる者のほうが、プライオリティが高い。被害者よりも加害者のほうが、大切なのだそうだ。
つまり、「非道な戦争によって命を奪われた者」よりも「誤った命令を出した犯罪者」のほうを、「お国のために」尊重したいというわけだ。
それにしても、国内の報道が気になる。対象が「神社」であることが「逃げ道」となり、蒙昧に陥っているように思われる。
そもそも靖国神社という一宗教法人に首相・閣僚が参拝することじたいが、国家による宗教的活動を禁じた憲法の「政教分離」に反している。結果として公金も使われている。例え「私的参拝」と言いつのろうと、「宗教の政治利用」であることに疑いの余地はない。
彼らが「靖国神社で祀る対象からA級戦犯を外せばいいならそうする」という運動をする気配は、微塵もない。
ならば、私たちはこれから「靖国神社」という名前を使わないようにしてはどうか。
報道自体が「政教分離」すべきなのだ。
言い換えるならば、こうだ。
安倍首相も新藤総務相も、「日本の過去の他国への侵略・暴虐行為を発案・推進したA級戦犯を崇め祀る施設」=「人道に反する戦争犯罪者を称揚する施設」に対して、「尊崇の念を込めて拝んだ」のである。
そのような行為が「不戦」「平和」に繋がることなどあり得ない。
靖国参拝が「政教分離」原則に反することは、既に明確になっている。
戦没者遺族らが参拝で精神的苦痛を受けたとして国や首相に損害賠償などを求めた訴訟では、地裁や高裁で「違憲」判断が示されたケースもある。
中曽根康弘首相、小泉首相の参拝については、遺族らが提訴、福岡高裁、大阪高裁が「違憲の疑いがある」「違憲」と判断した。
「国のため犠牲となった「英霊」に対して、哀悼の誠を捧げるのは当然である。外国からとやかく言われる筋合いはない」という理屈は、以上の説明の通り、日本国内でさえ通用していないのだ。
そもそも安倍首相は「日本の過去の他国への侵略・暴虐行為を発案・推進した者たち」を「A級戦犯」とした「東京裁判」そのものを否定した発言をしている。
靖国神社には、東京裁判で責任を問われた東条英機元首相らA級戦犯14人が合祀されている。そして日本は、1952年に発効したサンフランシスコ平和条約で、極東国際軍事裁判(東京裁判)の結果を受け入れた。
それを知らぬはずはないのに、安倍首相はA級戦犯について「国内法的には戦争犯罪人ではない」と語っている。
2013年3月の衆院予算委員会では東京裁判について「勝者の判断によって断罪された」と答弁した。
日本がかつて、朝鮮半島、台湾を植民地化し、中国や東南アジアに侵略戦争を行ったという「歴史」を、実感として認識できていない若い人たちが増えているのは確かだ。
その「侵略戦争」を立案、指揮、 遂行していた責任者が「A級戦犯」である。
靖国神社は侵略の歴史を正当化し、「日本の戦争は正しかった」というメッセージを日本国民に宣伝する機関であり、宗教施設の領域を越えた特殊な政治組織である。国家神道という「国営の宗教」によって日本の軍国主義を支えてきた。海外には、「ヨーロッパでいえばネオ・ナチと同じ」「現代でいえばアルカイダ」という人もいる。
首相がこの神社を参拝することが、彼の言う「不戦の誓い」と両立するはずもない。
日本を孤立させようとしているのは、安倍首相自身だ。
面倒だが、この件について、他の人のまとめ方も参照しながら、現在の情報を一通り見通せるようにまとめておいた。
こちらは三ヶ日も終わらぬまま、東京の生活を再開することになりうんざりだが、今夜はよく眠りたい。