Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

翻訳劇を観る

2014-05-31 | Weblog
留学経験も豊富で翻訳の仕事も多くこなしている若き国際派・谷賢一君は三十二歳という。私は初めての海外が三十一歳、アメリカに行ったのが三十五歳だ。
その谷君が自分の劇団(DULL-COLORED POP)で翻訳・演出する『プルーフ/証明』を観にいった。もう三演めなのだという。
次女キャサリンを演ずる百花亜希さんが田窪桜子さんの応援を得て自己プロデュースした劇団番外公演という。9年前に『セパレート・テーブルズ』でお世話になった青年座の大家仁志さんが父親役で客演。
私は十三~四年くらい前になるアメリカの初演を観ている。
鵜山仁演出、寺島しのぶ出演の日本版の初演も観ている。
シカゴを舞台にした天才数学者父娘の話である。
1幕の最後の決めぜりふがいかにも英米演劇の王道。ネタばれになるから言わないけどね。
ただ、数学とか、定理とか、証明とか、そういったことの具体性は劇の中ではまったく言及されない。
それが不満というか、この戯曲の、限界というか、選択だと理解している。
「数学とか、定理とか、証明とか」が、「ある種の宗教的な奥義」であっても成り立つような仕組みになっている。
つまり、「天才にはわかる」「天才ならできる」という理屈に回収されてしまう部分がある。
これは本当に戯曲の問題であるから、仕方がない。
この戯曲については最近も書いたので、もうこれ以上は言わない。
しかし、この劇が「愛」の話であるとしたら、「愛」というものを結果的に「特別扱い」し、同時に「普遍」であるとしていることになる。これはなかなか厳しい矛盾なのだ。つまり、それはとことん数学的ではない、そこの矛盾をこそ描きたいのであろう。
そしてこんな戯曲についての感想があらためて湧いてくるのも、この上演がとても誠実に作られているからである。
ただ、「数学とか、定理とか、証明とか」の「具体」を、どのように俳優の中に内在化させうるか。そうした課題はどの現場もが抱えるものだ。ここはなかなか「嘘」をつきにくい領域なのだ。
うちの『ブーツ・オン・ジ・アンダーグラウンド』もそうだけど、劇団の柔軟さのよい部分がでている。劇団プロデュースだけあって、舞台監督の大原研二、美術の中村梨那も、劇団員。家族的でとてもいい。田窪さん、谷君含めてみんな劇作家大会に来てくれる。

最近は翻訳物の劇を他にも観た。
映画化もされた『マグノリアの花たち』。これは正直、翻訳が古くさい感じがした。コンセプト的にも、リアルな現代アメリカを描くのでなく、日本の「三丁目の夕日」のような庶民生活を描こうとしたもののように見えてしまう。
プロダクションは好感が持てるし、俳優たちは真剣だし、実在感のある俳優もいる。真剣に演じようとしているのだが、「アメリカ」が感じられないのである。
アメリカというのは「でっかい田舎」である。そこにある地方都市のたたずまいというのは、狭い日本列島からは計り知れないものではある。

リチャード・ビーン作『ビッグ・フェラー』の舞台は地方都市ではなくニューヨークだ。1972年から2001年までの約30年間にわたる、在ニュヨークのIRAメンバーたちの姿を描く。
内野聖陽演ずるそのリーダー格の中に「報復は新たな報復しか生み出さない」という、テロに対する批判精神が芽生えてくるという物語だが、面白いデイティールは散見されるものの、彼の家庭が崩壊したこと以上に、彼の主義が変わっていく説得力のある理由が、見えてこない。
最終場、浦井健治演ずる消防士が最後に「9.11」の犠牲になることをほのめかして終わるのだが、私の理屈ではそれをIRAも含めた「テロの連鎖」のように受け取るわけにはいかないし、劇の構造として、無理がある。
かつて「原爆投下の1日前」を描いた井上光晴氏の『Tomorrow/明日』の時にも論争になったのだが、劇の中で明瞭に出来事としてして示されない「歴史的事件」を観客に想像させる物語の運びというか手口は、確かに、それを「物語」としてまとめることに異論がある観客にとっては、違和感を呼ぶ。
少なくとも、アメリカや西欧キリスト教社会が「9.11」をどう考えているか、ということに考えが及んで、そこへの評価が入ってくると、その認識が芝居の中身へのものとずれてしまうのは確かだ。
内野聖陽演ずる青年を主人公にした『みみず』を文学座に書き下ろしてからもう十六年くらい経っている。内野君は当時まだぎりぎり二十代だったはずであるが、『ビッグ・フェラー』では六十代までを演じている。そりゃそれなりに時間が経つわけだから不思議ではないのだが。
力作といえる上演だし、俳優たちは皆、堂々と「俳優」らしく演じていて、集中して稽古したことが偲ばれる。そのことの是非はともかく、外国人を演ずることの新劇の歴史の連鎖も感じる。成河が儲け役で弾けている。

翻訳劇を観ていて思うことは、ああ、たまには外国に行きたい、ということだ。できれば自分の芝居のツアーでなく、個人的に、である。
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日本は「他国を攻撃する意志がないことを証明できるチャンス」を自ら失おうとしている

2014-05-29 | Weblog
共同通信によれば、内閣府が、日本、韓国、米国、英国、ドイツ、フランス、スウェーデン、世界7カ国の13~29歳の男女各国それぞれ千人程度を対象に実施した意識調査結果で、「自分自身に満足している」と答えたのは、1位の米国が86.0%、6位の韓国でも71.5%だったが、日本は45.8%と最下位で、著しく低かったという。
内閣府は何が目的でこんな調査をしたのか知らないが、悲惨な結果が続く。
「自分には長所がある」と答えた割合も日本は68.9%で最下位。他国は93.1%(米国)~73.5%(スウェーデン)だった。「自分の将来に希望を持っているか」と尋ねると、日本で肯定したのは61.6%。40歳になったときに「幸せになっている」と思っている人は66.2%で、これまた最下位だったという。
とても自信がなくネガティヴということだ。
一方、「自国のために役立つことをしたい」若者は、日本が54.5%で1位。……え? 特に10代後半から20代前半が多かったという。
ところが「自分の参加で社会現象が少し変えられるかもしれない」と前向きに考える日本の若者は30.2%と他国より低かったようだ。
「自分自身」はあきらめて「国」のことを考えている? でも自分自身に何ができるかの確信はない。これは依存心というものだろう。自民党体制に洗脳された若者たちがぞくぞくと出てきているということか。
決して多くないらしい「日本の長所」に若者たちが最も多く挙げたのが、治安の良さ(57.2%)だそうだ。歴史や文化遺産(52.6%)、文化や芸術(41.2%)が続いたという。

NHKの百田尚樹経営委員が、自民党岐阜県連の定期大会で講演し「軍隊を家に例えると防犯用の鍵」とした上で、軍隊を持たない南太平洋の島国バヌアツやナウルを名指しで「家に例えると、くそ貧乏長屋で泥棒も入らない」と軽蔑するような発言をしていたと報道されている。「しっかりした自衛権、交戦権を持つことが戦争抑止力につながる」という持論に繋げたかったらしいが、わざと勘違いしているのではないか。今でさえ「治安の良い」らしい日本だが、昔はもっともっと平和であり、鍵をかける家など、ほとんどなかったはずだ。
「しっかりした自衛権、交戦権」どころか他国を挑発する安倍首相の発言のおかげで、戦争抑止とは真逆に、日本が危険国家と名指しされ、まさに「自衛のための攻撃」の対象とされてもおかしくない危機にあるのが、世界から見たこの国の現状だ。
ところが、「ちゃんと鍵をかけ、防衛しよう」と言うだけならまだしも、「いつか自分の家を攻めるかもしれないから」「自分のお友達の邪魔をするから」と言って出かけていって人を攻撃し始めたら、そりゃ、そうさせないための策を相手から講じられるかもしれないし、人によっては「手を出したのはそちらだ」として、脅しにも仕返しにも来るだろう。
安倍晋三首相は28日の衆院予算委員会で、「他国を武力で守る集団的自衛権の行使が認められた場合、自衛隊を中東・ペルシャ湾のホルムズ海峡へ派遣することを想定している」と、具体名まで挙げて言ってしまった。前代未聞だ。
日本からはるばる無関係ですんだはずの離れた相手の所へも自衛隊を派遣する可能性を示したわけだし、米国以外の「友達の友達」の国を守る考えにも踏み込んだわけだ。
要は「武力行使」を正当化できることなら「なんでもあり」というつもりなのである。
安倍首相の15日の集団的自衛権の行使に向けた記者会見については、ただただ嫌悪感が強すぎてまだ文句を言っていないが、集団的自衛権を行使する具体的な地名は挙げなかった前回に対して、この日の国会答弁では、「ホルムズ海峡」について「例」として言及した。「この海峡の機雷を何カ国かで除去しようというときに、日本がやらなくていいのか」「(海峡を通る商船が)日本国籍でなくても全く守らなくてもいいのか」とまで言った。先週「家族たちのイラスト」つきで「異国にいる日本人を守る」と言っていた人間がである。
誰にも頼まれていないのに「武力行使の正当性を立証するためにお宅を守ってもいいよ」と押し売りをし始めているのである。
「機雷除去」じたいは「武力行使」ではない。ここにも混同がある。

そして安倍首相はイラク戦争について「大量破壊兵器がないということをですね、証明できるチャンスがあるにも関わらず、証明しなかったのはイラクであったということは申し上げておきたい」と言ってのけた。
大量破壊兵器が無いということをどうイラクが証明できたというのか。疑われ、否定していた側が、どう自らの潔白を「証明」させうる? 狂気の沙汰である。いろいろ誤魔化しているが本音は、「イラク戦争で米国と一緒に戦争したかった」と告白しているのである。
翻って今の日本は、「他国を攻撃する意志がないということを証明できるチャンス(=もともとの状態)」を、自ら失おうとしている。

日本の若い世代は、数少ない「自分の国の長所」をなくさないためには、今、憲法を守ることこそが大切なのだということに、気づいてほしい。
「自国のために役立つことをしたい」なら、「戦争への道」を止めるしかない。
そのためには、あなたの意識していない「長所」を伸ばして、それを象徴するものであり、おおもとの力であり、対抗勢力を抑止する力の根源であった憲法を守り、「将来への希望」と「未来の幸福」を、諦めないでほしい。
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「原発」と入力しようとすると、ミスタッチで「厳罰」と出た

2014-05-21 | Weblog
なんだかんだの6月20日。
東京電力は福島第1原発で汚染水から放射性物質を吸着して大幅に減らす多核種除去装置「ALPS」(アルプス)で処理水が白濁するトラブルが見つかり、全3系統で処理を停止したと発表。
東電によると、アルプスは3系統あるが、1系統は不具合で3月18日から停止中。今月17日には別の1系統のポンプから白濁した水が見つかって処理を停止し、残る1系統で処理を続けていた。
20日午前の定例サンプリングでトラブルが確認されたのは、その唯一処理を継続していた系統で、白濁した水が見つかり、カルシウム濃度が通常より上昇していることが判明したため、汚染水処理ができない状態となった。同9時に運転を停止。
カルシウムは汚染水の処理工程で発生するが、濃度上昇の原因は調査中で、東電は「処理再開は6月以降とみられる」と話している。
全系統の停止は今年3月18日以来という。東電は、フィルターに不具合がある可能性があるとみているという。
どうするのだ。
汚染水処理は止まってしまったのだ。
こんな状態でどうして他の原発の再稼働の話などできるのだろう。

福島第一原発事故でフランチャイズ契約していた浪江町、富岡町、南相馬市原町区にあるマクドナルド3店舗が閉店を余儀なくされ、ロイヤルティー(権利使用料)などが得られなくなった。とくに浪江町の店舗では設備や備品が放射能に汚染され、すべて使えなくなったという。そのような理由で、日本マクドナルドが、東京電力に約7千万円の損害賠償を求めて、福島地裁に提訴したという。

2011年3月、東日本大震災が起こった直後、被災地での災害救助・救援・および復興支援を目的とした援助活動を開始した米軍の「トモダチ作戦」では、2万人を超える将兵に200機近い航空機、また24隻の艦艇が送り込まれた。
3年後、作戦に参加して果敢に活動した海軍兵士や海兵隊員が、救援活動中の被ばくを理由に、東京電力を相手取って訴訟を起こした。
米軍が救助を開始した時点で原発のメルトダウンはすでに始まっており、米海軍が空母などを被災地に派遣することを東電が認識していたにも関わらず、大量の放射性物質の放出や、その時点での測定放射線量などの正しい情報を、東電が意図的に提供しなかった罪を問うものだという。
東電は、アメリカからの問い合わせ対して、「危険性はない」「すべては制御下におかれている」などとしか答えていなかった。
原告である兵士たちは、トモダチ作戦参加後に、白血病、脳腫瘍、失明、不妊、出生異常など、多岐にわたる深刻な病状を発症したと主張している。
米海軍の航空母艦「ロナルド・レーガン」の乗組員8名が、東電に対して総額1億1000万ドル(約94億円)の損害賠償などを求める訴訟を米連邦地裁に起こしたのは2012年12月。2013年3月には、他の26名も訴訟に参加し、さらに多くが加わっているのだ。

漫画「美味しんぼ」の「福島の真実」篇、福島第一原発事故を巡る描写が「鼻血と被曝を関連づけられるのか」など、議論を呼んでいるが、日本政府は米兵たちに対しても「風評被害を助長するもの」として強硬な態度を取るしかないということになる。
「美味しんぼ」騒動についてはあまり感想がない。影響としても想定通りのことばかりが起きている。こうして警鐘を鳴らし続けることは重大だという気持ちで「美味しんぼ」の提起を支援するが、漫画としては少しも面白くないのが残念であるというのも、正直なところだ。

私はあまりテレビを観ないのでわからないが、外資系保険会社を中心に、最近ガン保険のCMが少なくなったという。確かにそんな気がする。アフラックなんかもイメージ戦略になってきている。
原発事故後のガンの発症率が上がり始めたことからガン保険に売り止めがかかってるというのだ。

東京電力福島第1原発事故による放射線の影響を調べている福島県の「県民健康調査」検討委員会が開かれ、実施主体の福島県立医大が、甲状腺がんと診断が「確定」した子どもは前回(2月)の33人から17人増え50人に、「がんの疑い」は39人(前回は41人)になったと報告されている。甲状腺検査は、震災発生当時18歳以下の約37万人を対象としている。
検討委の星北斗座長は、チェルノブイリ原発事故では、事故から4~5年後に子どもの甲状腺がんが増加したというデータを基に「現時点では放射線の影響は考えにくい」と、これまでの見解を繰り返したという。
……ということは、早期に反応の出てしまった子供たちの数が多いということは、それだけ深刻な事態であるという可能性もあるわけで、4~5年後にもっともっと福島の子どもの甲状腺がんが増えると予想されるということではないのか。素人考えではそうも受けとれる。

「原発」と打とうとすると、ミスタッチで「厳罰」と出た。
何の疑問もなく、厳しい罰を受けなければならないのは、政府であり原発で儲けようとし続けている輩たちである。
そして、このような世の中を許容しているこの国の国民である。
福島の子供たちのはずはない。

補償問題、健康問題という大波は、確実に来る。
本当に深刻になる前に、どれだけ鈍感にならずにいられるかだ。
私はミスタッチで出た「厳罰」という文字を、私自身に対する警鐘のようなものとして受け取った。

鈍感になりたくない。なってはならない。
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重要な情報は、迅速に、無制限に、公開されなければならない

2014-05-20 | Weblog
朝日新聞の報道によれば、東京電力福島第一原発事故当時、当事者中の当事者というべき「所長」で、実質的な事故対応の責任者だった吉田昌郎氏が、政府事故調査・検証委員会の調べに答えた「聴取結果書」(吉田調書)というものが存在するのだという。聴取時間は正味28時間に及ぶ。事故当時の現場責任者であった「吉田所長」の調書は、事故の事実関係を知るうえで、テレビ会議の記録と並ぶ、もっとも重要な資料となるだろう。
それによると、東日本大震災4日後の11年3月15日朝、第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた。具体的には事故発生4日目の3月15日午前6時ごろ2号機から衝撃音があり、吉田所長は「第一原発構内での待機」をテレビ会議で命じたが、「誰かの指示で」大半の職員は福島第二原発まで避難していたというのだ。
「事故当初英雄的に語られた「フクシマ50」って、69人以外が命令に反して逃げちゃったっていう話だったのか」という想田和弘さんの感想は、ちょっと笑えないブラックなものだが、本当にそういうことだろう。
その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある。東電はこの場面を「録音していなかった」として、吉田所長の命令内容を隠し、報告書にも記さなかったという。東電はこの命令違反による現場離脱を3年以上伏せてきたのだ。
「吉田所長」は2013年死去しているので、この資料はなお貴重だ。
原子力規制委員会の田中俊一委員長は朝日新聞の取材に「読んでいない」と答えたという。
現場の詳細な証言を記した資料が規制組織のトップに届いていないのでは、正確な事故の反省もできず、対応策にも生かされないではないか。
政府事故調解散後に調書を引き継いだ菅義偉官房長官は閣議後の記者会見で「吉田元所長を含めヒアリングは公開しない」と語り、調書を今後も非公開とする考えを示した。調書を非公開とする理由について菅氏は「事故を二度と起こさないように施策を政府をあげて行っている。それ以上でもない」と明言を避け、政府に保管されているとされる調書は「読んでいない」としている。
「吉田所長」自身は政府事故調の聴取に対し、聞き取り内容の公開を了承している。おそらく本人が公開を望んでいたであろうものを、なぜ隠すのか。
菅直人元首相は公式ブログで、「吉田所長」が「清水社長が撤退させてくれと菅さんに言ったという話も聞いている」と証言している事に触れ、「実際海江田経産大臣から「清水社長が撤退したいと言ってきている」と連絡があったのが3月15日午前3時ごろ。清水社長を呼んで撤退はありませんよと止めたのが4時過ぎ。東電本店に乗り込んだのが5時半ごろ。そこで会長、社長を含む東電幹部を前に撤退せずに頑張ってほしいと強く発言し、同時に政府東電統合対策本部を東電本店に立ち上げることを宣言した。2号機の衝撃音は私が東電本店にいた午前6時ごろ。今考えると一番厳しい時だった」としている。
事実こそが証明できるものがある。
未解明要素を解決するためにも、テレビ会議の記録と吉田所長の調書を公開すべきである。
「逃げた人を責める権利はない」ともいえるのかもしれないが、撤退させなかったという一点では当時の菅首相を評価しなければフェアではない。
日本原電は19日、東海第2原発(茨城県東海村)の安全審査(再稼働)申請を20日に行うと発表したが、18メートル以上の防潮堤建設やフィルター付きベント設備などの「過酷事故対策」を自慢されたところで、避難計画が策定されてないこと以前に、福一の事故の決着もつかず、「将来の事故の対策」など、どの口が言うのだ。想像を越える事態が起きたことを受け止めないで、再稼働など、あり得ない話だ。
そして「聴取結果書」(吉田調書)の存在そのものが隠蔽される可能性があるという一点でも、「特定秘密保護法」など、あってはならないのだ。
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〈日本劇作家大会2014豊岡大会〉開催迫る!

2014-05-19 | Weblog
この間、私が慌ただしくしている理由のメインは、6/12~15に兵庫県豊岡・城崎アートセンターをメイン会場に行われる〈日本劇作家大会2014豊岡大会〉の準備のためである。この間、何度も豊岡に行っている。記者会見や打ち合わせで、関西にも行っている。立ち上がった大会向けの事務所の動きも気にしつつ、番組を決め、出演者やスタッフワークを調整、パンフ作りの原稿や広告取りや台割りにも関わっている。
オーストラリアとの合作とツアーがその直後に控えている。
来年演出するオペラの打ち合わせというかワークショップもある。
清水弥生の新作『ブーツ・オン・ジ・アンダーグラウンド』のアトリエ公演の稽古や打ち合わせにも顔を出す。5/23に幕が開く。
今週はその翌日の5/24に劇作家協会の総会もある。
それでついついすっぽかしてしまう要件もある。
忙しいなんて言わない。平田オリザに比べればまだまだ余裕のスケジュールを生きている。はずである。
写真は、〈日本劇作家大会2014豊岡大会〉の関西の記者会見の様子。左から、関西支部長の土田英生、私、内藤裕敬、城崎国際アートセンター館長の岩崎孔二氏、長田育恵、わかぎゑふ、の皆さん。写真を見る限り、「笑いの絶えない会見」であったのは本当なのだろう。

「劇作家大会」とは、劇作家のみならず、俳優・演出家・美術家・制作者など、幅広い立場の演劇人や、映画・テレビなどの異なるジャンルからもゲストを迎え、上演やドラマリーディング、ワークショップやシンポジウム、講演など、総企画数は50に及ぶ【市民参加型】のイベント。
コウノトリと温泉の街・豊岡にちなみ、大会のテーマは「再生」。この春オープンの城崎国際アートセンターに加え、豊岡市民プラザや、近畿最古の芝居小屋・出石永楽館、巨岩切り立つ玄武洞公園、城崎温泉街の七つの外湯なども会場とした、総企画数は54に及ぶイベントです。とにかく盛りだくさんである。
大会の参加費は千円で、一部別途有料企画を除いた企画に入場できます。
チラシに間に合わなかったが、宇梶剛士さんも「スペシャルリーディング」に出演してくれることが数日前にやっと決まった。演目は鈴木聡の鶴屋南北賞受賞作『をんな善哉』。演出は中津留章仁。このリーディングだけでも出演者は竹下景子、辰巳琢郎、渡辺哲、宇梶剛士、中山 仁、柳下 大、岡本 玲、阿知波悟美、円城寺あや、綱島郷太郎の豪華すぎる各氏、そして声優として活躍されている田中真弓さん(『ONE PIECE』のルフィ!)……。じっさいの映画や劇でもこんなキャスティングはなかなか観られないだろうが、この番組も参加費のみで観られるのである。
あと、上演で話題は、演劇ユニットてがみ座『乱歩の恋文 -芝居小屋バージョン-』、出石永楽館で上演される。永楽館は明治34年に開館、平成20年に大改修を終えてよみがえった。明治期に残る芝居小屋としては近畿地方に現存する唯一のものである。(提携企画・別途有料2,500円・要予約)。で、出石の名物と言えば出石皿そばです。
http://toyooka-geki.org/tegamiza
プログラムや申し込みなど詳細は、特設ホームページを御覧ください。既に定員に達しそうなワークショップもあります。お申し込みはお急ぎください。
大会ホームページ→
http://toyooka-geki.org/
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憲法9条の「大きさ」を見よ

2014-05-19 | Weblog
憲法9条を亡きものにしようとする暴挙が一気に進められようとしている。
考えようによっては、この間の動きは、憲法9条の想像力、スケール、歴史的意義の「大きさ」ゆえに、愚かな人間たちが自分には見えないほどの大きな相手を倒そうとしている、無意味で虚しい営為であるように思う。
しかし、ほんとうに、憲法9条の「大きさ」が、この暴挙に堪えられるかどうか、それは私たちの想像力に委ねられている。

憲法第9条第1項。
「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する」

15日、安倍総理に対して法制懇としての報告書を提出した安保法制懇は、この憲法規定について、
「わが国が当事国である国際紛争の解決のために武力による威嚇または武力の行使を行うことを禁止したものと解すべきで、自衛のための武力の行使は禁じられておらず、PKO等や集団安全保障措置への参加といった国際法上合法的な活動への憲法上の制約はないと解すべきである」
とし、また、
「PKO等における武器使用を、第9条第1項を理由に制限することは国連の活動への参加に制約を課している点と「武器の使用」を「武力の行使」と混同している点で二重に適切でない解釈である」
「憲法第9条第2項は、第1項において、武力による威嚇や武力の行使を『国際紛争を解決する手段』として放棄すると定めたことを受け、『前項の目的を達するため』に戦力を保持しないと定めたものであり、わが国が当事国である国際紛争を解決するための武力による威嚇や武力の行使に用いる戦力の保持は禁止されているが、それ以外の、個別的または集団的を問わず自衛のための実力の保持やいわゆる国際貢献のための実力の保持は禁止されていないと解すべきである」
とした。
自衛については「個別的、集団的を問わず」とし、集団的自衛について当然のごとく「自衛の手段として禁止されていないと解すべき」だという。

つまり、集団的自衛権の行使を禁止してきた従来の政府解釈を捨て去り、集団的自衛権行使は「解釈変更により可能」としようとしている
集団的自衛権の行使を禁止してきた従来の政府解釈は適当ではないとして、その容認を公然と求めるものとなっている。

「政府は憲法上認められる必要最小限度の自衛権の中に個別的自衛権は入るが、集団的自衛権は入らないという解釈を打ち出し、今もってこれに縛られている」
「集団的自衛権の概念が固まっていなかった当初の国会論議の中で、その概念の中核とされた海外派兵の自制という文脈で打ち出された集団的自衛権不行使の議論は、やがて集団的自衛権一般の不行使の議論として固まっていくが、その際、どうしてわが国の国家および国民の安全を守るために必要最小限の自衛権の行使は個別的自衛権の行使に限られるのか、なぜ個別的自衛権だけでわが国の国家および国民の安全を確保できるのかという死活的に重要な論点についての論証はほとんどなされてこなかった。政府は『外国の武力攻撃によって国民の生命・自由および幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである』(72年10月に参院決算委員会に提出した政府の見解)として、集団的自衛権の不行使には何の不都合もないと断じ、集団的自衛権を行使できなくても独力でわが国の国家および国民の安全を本当に確保できるのか、ということについて詳細な論証を怠ってきた。
国家は他の信頼できる国家と連携し、助け合うことによって、よりよく安全を守り得るのである。集団的自衛権の行使を可能とすることは、他の信頼できる国家との関係を強固にし、抑止力を高めることによって紛争の可能性を未然に減らすものである。一国のみで自国を守ろうとすることは、国際社会の現実に鑑みればむしろ危険な孤立主義にほかならない」
「『必要最小限度』の中に個別的自衛権は含まれるが集団的自衛権は含まれないとしてきた政府の憲法解釈は、『必要最小限度』について抽象的な法理だけで形式的に線を引こうとした点で適当ではなく、『必要最小限度』の中に集団的自衛権の行使も含まれると解すべきである」
「集団的自衛権を実際に行使するには、事前または事後の国会承認を必要とすべきである。行使については、内閣総理大臣の主導の下、国家安全保障会議の議を経るべきであり、内閣として閣議決定により意思決定する必要があるが、集団的自衛権は権利であって義務ではないため、政策的判断の結果、行使しないことがあるのは当然」
「PKO等や在外自国民の保護・救出、国際的な治安協力については、憲法第9条の禁ずる『武力の行使』には当たらず、このような活動における駆け付け警護や妨害排除に際しての武器使用に憲法上の制約はないと解すべきである」
ということだ。
そして、
「憲法には個別的自衛権や集団的自衛権についての明文の規定はなく、個別的自衛権の行使についても、わが国政府は憲法改正ではなく憲法解釈を整理することによって、認められるとした経緯がある。こうした経緯に鑑みれば、必要最小限度の範囲の自衛権の行使には個別的自衛権に加えて集団的自衛権の行使が認められるという判断も、政府が適切な形で新しい解釈を明らかにすることによって可能であり、憲法改正が必要だという指摘は当たらない。国連の集団安全保障措置等へのわが国の参加についても同様に、政府が適切な形で新しい解釈を明らかにすることによって可能である」
と、「憲法改正の手続きを経なくても集団的自衛権の行使は可能」と言う詭弁を弄した。

つまり、この安保法制懇報告書は、集団的自衛権行使容認という概念上のことだけでなく、多国籍軍への参加も無制限に認める「実践」を視野に入れたものになった。
「侵略戦争以外の戦争は何でもできる」という理屈だが、日本に対する武力攻撃がなくても、他国のために武力を行使するということは、結果として「侵略」になっていないとも限らない。
海外での武力行使を禁ずる憲法に立っていれば、私たちはそのような惑いに直面することはないのだが、その歯止めを外そうというわけだ。

こうして今回の動きの立役者のように報道されているのが、第1次安倍政権でも作られていた、この、安倍晋三首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)。
安倍首相は施政方針演説でも、「集団的自衛権行使に関しては有識者会議"安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会"の報告後に、政府として"対応を検討する"」と述べていた。
その安保法制懇が集団的自衛権の行使容認を求める報告書を提出した。
安保法制懇の会議は、秘密保全を優先するあまり、委員は報告書の原案を読んで手書きでメモするしかなかったという。昨年9月に本格的な議論が始まり、今年2月までほぼ月1回のペースで5回の会議が開かれたというが、そんな状態で「熟議」などできるわけもない。じっさいには官僚が仕切っており、複数の委員が「単なるお飾りだった」「私たちは政権のための駒だった。信頼されていなかったと感じた」という。ある委員には報告書の完全版が届かず、「新聞で先に概要を知った」と語った者もいる。だが彼らも文句は言えない。
もともと「首相のお友達集団」と揶揄されてきた、容認派ばかりの14人、首相の私的諮問機関にすぎないからだ。法的根拠は何もない。

「安保法制懇」のメンバーは、以下の通り。
柳井俊二 元駐米大使(座長)
北岡伸一 国際大学長(座長代理)
岩間陽子 政策研究大学院大教授
岡崎久彦 元駐タイ大使
葛西敬之 JR東海名誉会長
坂元一哉 阪大大学院教授
佐瀬昌盛 防衛大名誉教授
佐藤謙  元防衛事務次官
田中明彦 国際協力機構理事長
中西寛  京大大学院教授
西修   駒沢大名誉教授
西元徹也 元防衛庁統合幕僚会議議長
細谷雄一 慶大教授
村瀬信也 上智大名誉教授

この中の岡崎久彦氏は安倍首相の「師匠」と言われているという。彼が自衛隊に「血を流せ」と本気で言っているインタビューを、テレビ東京が報じている。

日本は2001年に開始されたアフガニスタン報復戦争、2003年に開始されたイラク侵略戦争に自衛隊を派兵した。
これまでは、武力行使をしてはならないという憲法上の歯止めがかかっていた。集団的自衛権行使が容認されれば、こうした歯止めが外されて、日本の自衛隊が戦闘地域まで行って、米軍とともに戦闘行動に参加することになる。
「日本の防衛は米軍と一体が前提。目前で米軍が攻撃を受けているとき、何もしないでは通用しない」「『憲法上の制約で助けられない』という弁解より同盟国への攻撃を排除することが必要だ」という、イラク派遣経験のある自衛隊幹部の発言が紹介されている。だがこの自衛官は「復興支援」のために行っただけだという。報道の仕方が恣意的ではないか。

2001年9月、米同時多発テロが発生して10日後、横須賀基地を出航した米空母「キティホーク」に、海上自衛隊の護衛艦「あまぎり」などが寄り添うように並んで航行した。事実上の米艦防護だったが、政府は「防衛庁設置法の「調査・研究」に基づく「警戒監視」」と言い訳した。
「中国の海洋進出の本格化」を理由に、あたかも日本近郊に「危機」があるかのように言ってきた。
だが、本当に、わざわざ危機のあるところに飛び込んで、自衛官が命を落とせば、「もう引き返せない」ということになる。
戦争に巻き込まれると多くの死者が出る。自分たちが標的になる。
自衛隊に入る人がいなくなって徴兵制を敷かなければならなくなるのではないかと危惧する声もある。
血を流すのは誰か。それを考えなければならない。

こんなにいろいろなことが起きているのに最近ブログを書いていないのはけしからんと言われたので少しは書いていこうと思う。

安保法制懇の「提言」を受けた安倍首相の記者会見については、また、この次に。

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とんちんかんな国

2014-05-15 | Weblog
先日の朝日新聞の記事には驚いた。
見出しに「反「反基地」、沖縄で表面化 街宣・大会「左傾化を戻している」」とある。
「米軍基地反対」への反発として、「米軍への感謝を記した横断幕を広げ、手を振る人たち」などをことさらに大きく取り上げている。
彼ら「反「反基地」派」は、基地建設への抗議で米軍キャンプ・シュワブの金網に取り付けられた抗議のリボンや旗を取り外した。
「自称平和運動家なる者たち。みんな労働組合、もしくは極左集団じゃないですか」という、とんでもない虚偽の決めつけ発言まで、記事で紹介している。
米軍基地による被害や、沖縄での反基地闘争の真摯な取り組みについては言及していない。
我らが沖国大・佐藤学教授の発言からも、学生への愚痴だけを取り上げている。
ずいぶん偏向した新聞になったものだ!

そして沖縄市長選は、自民、公明推薦、民主、維新支持の桑江朝千夫氏が、共産、生活、社民、沖縄社大が推薦の島袋芳敬氏を破り、初当選。
「選挙戦では、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設が取り上げられた。仲井真弘多知事による昨年12月の辺野古沿岸部の埋め立て承認を桑江氏は評価、島袋氏は批判した」とある。

これは事実の報道ではあるが、なんとも悔しい。
「沖縄の本土化」は、本当に進んでしまっているのだろうか。

安倍総理は米ヘーゲル国防長官と会談、東アジアの安定のため日米同盟を強化する方針を確認したという。集団的自衛権はじめ、安全保障に関する議論を進める考えだ。
普天間問題では、沖縄県側が求めている5年以内の運用停止について「理解を求めた」という。ヘーゲル長官は「今後も協議を加速させて前進させたい」と応じたというが、本気で「5年」について考えているわけなどない。
現に、在日米海兵隊トップのウィスラー司令官はワシントンで講演し、沖縄県が求めている米軍普天間飛行場の5年以内の運用停止について「新しい施設ができるまで動くことはできない」と否定し、名護市辺野古沖の代替施設が完成するまで普天間の使用を継続する方針を明らかにした。代替施設の完成前に普天間の常駐部隊を他の場所に移転することは可能かとの質問にも「答えはノーだ」と明言したという。
米国防総省高官も「(国防費削減で)海兵隊全体の兵力は減るが、アジア太平洋地域の海兵隊員数は1万9千人から2万2千人に増える」「既に日本政府と合意済みの『代替施設の完成まで普天間の使用を継続』との計画に変化はない」と同一の見解を示し、日米両政府が代替施設の建設を最短で約10年と見積もっている点を指摘したという。
「施設建設が普天間の確実な返還につながる」そうだ。

日本では大型連休時の国会議員140人以上の「外遊ラッシュ」も報道されている。ドイツなど6カ国を巡り、アンチョコを読み上げるだけのスピーチで無能ぶりをさらけ出した安倍首相を筆頭に、閣僚18人中15人が海外を訪問。渦中の中国やロシアを訪ねる者はおらず観光に明け暮れ、ただただ外交能力のなさを見せつけた。

先月来日していたオバマ米大統領が明治神宮を訪問した際、日本側が安倍首相の同行を打診したところ、米側が日程上の都合などを理由に難色を示していたという。オバマ訪韓前に、韓国を刺激しないよう配慮したとみられるという。
歌手ジャスティン・ビーバーが来日中に靖国神社を参拝し「Thank you for your blessings(神のご加護に感謝)」とツイートしたところ、中国と韓国のファンらから非難が殺到し、ツイッター上で謝罪する騒ぎもあった。彼は愚かだが、それでも安倍首相ほどには軽蔑されていないだろう。
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The earth is round , get over it.

2014-05-09 | Weblog
世評の高い『アクト・オブ・キリング』、ひでえ映画だった。こんなものに驚いたり感心したりしているほど暇に生きていないぞ。世の中おかしいのか。『ゆきゆきて、神軍』がいかに傑作だったか、よくわかる。
『アクト~』は、ただの「やらせ」でしかない。土井敏邦監督の感想が一番しっくり来る。
http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20131018.html
こんな映画に感心している人たちは先月に女生徒276人を拉致し今月になっても村を襲撃し少なくとも125人の住民を殺したというナイジェリアイのスラム過激派武装集団のことなどを結局は他国のこととして容認できる神経の持ち主である。

ドキュメンタリー映画は最近では『ある精肉店のはなし』が圧巻だと思う。纐纈あや監督は祝島を描いた前作より上手くなっているが、その巧みさが鼻につかないし、被写体との距離感が絶妙に感じられる。手前で兄が肉を捌き、奥で弟が太鼓を作っている、なんでもないワンショットが、最高。

映画といえば、今月は、『8月の家族たち』を見逃すわけにはいかないので、慌てて駆け込んだ。私が翻訳上演した『BUG』のトレイシー・レッツが、トニー賞・ピュリッツァー賞を得た、ユージン・オニールばり家族劇の映画化。私がここ数年よく着ている「The earth is round , get over it.」(地球は丸いのよ、認めなさい)という台詞の書かれているTシャツは、この劇のオリジナル商品。私が観る前にNY帰りの人からお土産にもらったものだ。クスリ中毒の母親の台詞で、映画ではメリル・ストリープが言っている。なんだかんだいっても、よくできている。オーソドックスと、皮肉な飛躍の混在。ジュリア・ロバーツがいい歳の取り方をしている。アメリカでの上演では「家」の存在感が圧巻なのだが、映画のリアリズムではそれがかえって浮かんでこないのは、『プルーフ』と同じ。『プルーフ』は日本での翻訳上演でもセットが抽象ではだめで、あの落ち葉に包まれた二階建てのセットと「数学」が同居しているところに意味があるのだ。
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国際シンポジウム「老いと踊り」

2014-05-08 | Weblog
国際シンポジウム「老いと踊り」(5月23、24日、東京ドイツ文化センター)が、二週間後に開催されます。
ベルリン自由大学のガブリエレ・ブラントシュテッターさんによるピナバウシュの「春の祭典」についてのキーノートレクチャー、渡辺保さんの鼎談、またピナバウシュのドラマトゥルクで振付家のライムント・ホーゲさんや、劇作家でもあるレノーラ・シャンペーンさんの発表など。
6月の兵庫・豊岡での劇作家大会に参加する中島那奈子さんも出演します。

たいへん興味深い企画だと思います。

http://agingbodyindance.tumblr.com/
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『あいときぼうのまち』

2014-05-06 | Weblog
先月半ばに試写を見せていただいたのになかなか感想を記していなかったので、そろそろ。
『あいときぼうのまち』は、2011年の震災を軸に描かれる家族史の交錯というべき映画。菅乃廣監督、脚本の井上淳一、撮影の鍋島淳裕、三氏揃って福島県出身という。確かにその思いは漲っている。
1945年、福島県石川町ではウラン採掘が行われ、1966年、福島県双葉町では原発建設反対運動が潰され、2011年、福島県南相馬市で暮らす家族に津波と原発事故が押し寄せた……、と解説にあるように、1945年、1966年、震災前の2011年、震災後の2011年が交差して描かれる。
戦時中のウラン採掘という着眼点がいい。こちらも岡山県北端・人形峠のウラン採掘の歴史について2011年『たったひとりの戦争』で描いたばかりで、親近感が湧いてくる。
架空の設定にした割に現実べったりだった園子温監督『希望の国』より遥かにフィクションとしての羽ばたき方がある。フィクションは現実を批評しうるという摂理は、ある。『戦争と一人の女』で監督再デビューした井上氏だが、これまで脚本家としてやってきた人である。
『あの日、欲望の大地で』(監督・脚本ギジェルモ・アリアガ)と類似点が多いのだが、インスパイアされたというよりは参考にした度合いが重すぎる気はする。それに気がついたら『あの日~』のシャーリーズ・セロン、キム・ベイシンガー、ジェニファー・ローレンスらの顔が脳裏にちらついてしまうからだ。けれど気持ちはわかる。突っ込みどころ多しとも思えるが、ラストのホルンの連鎖は私はいいと思う。
俳優たちに対してもいろいろなことを思うのだが、勝野洋、夏樹陽子の六十過ぎの恋愛が嫌みなく描かれている。六十過ぎてモーテルに入るのもいいじゃないか、などと思うのはこちらも歳を取ったからか。……私が高校生の頃、夏樹さんが中島貞夫監督と新作映画宣伝のため岡山東映に舞台挨拶に来たことを思い出した。関係者でどこかの店に入ったのだが判然としない。私は高校時代陸上部だったが映画部の部長も兼任していて、映画館の方々によく呼び出されていて、そういうことがあったのだ。……夏樹さんの歳の取り方は素敵だ。キム・ベイシンガーに負けていない。
この映画には3月に『現代能楽集 初めてなのに知っていた』でご一緒した大島葉子さんも出ており、前後数日はびっしり予定の詰まった日々の最中だったが、この日はそういう日と決め、試写後はまだ日のあるうちから葉子、井上、鍋島氏らと旧シネパトス前の食堂で明るいうちから呑んでしまった。そういう日はそれでいいのだ。
『あいときぼうのまち』というタイトルは、ちょっとしっくりこない。描かれるエリアが「まち」よりも広がりがある気がするからだ。

6月21日(土)より、テアトル新宿ほか全国順次公開。

http://www.u-picc.com/aitokibou/index.html
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