Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

「特定秘密保護法案」についての抗議声明

2013-11-30 | Weblog
一般社団法人日本劇作家協会は、「特定秘密保護法案」に対する、 一般社団法人日本ペンクラブと日本弁護士連合会の11月26日付声明に 賛同を表明いたします。

一般社団法人日本ペンクラブ「特定秘密保護法案の衆議院特別委員会強行採決に抗議する声明」
(2013年11月26日付)
 http://www.japanpen.or.jp/statement/2013/post_449.html

日本弁護士連合会「特定秘密保護法案の衆議院での採決強行に対する会長声明」
(2013年11月26日付)
 http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement/year/2013/131126.html

2013年11月29日  
一般社団法人 日本劇作家協会 


以下、声明本文



「特定秘密保護法案の衆議院特別委員会強行採決に抗議する声明」
 
 
 本日、政府与党と一部野党は衆議院特別委員会において特定秘密保護法案を強引に採決した。
 私たち日本ペンクラブはこれに対し、深い失望を覚えるとともに、大いなる怒りを込めて抗議する。
 政府行政の恣意によって広範な「特定秘密」を指定することを可能にするこの法案が、市民の知る権利を侵害し、行政情報の透明化の流れに逆行することを、私たちはくり返し指摘してきた。為政者にとって不都合な情報を隠蔽し、ジャーナリズムや作家、研究者、表現者と市民による秘密への接近を厳罰をもって規制することは、この社会の内部にも、近隣諸国とのあいだにも疑心暗鬼と敵対感情を生じさせ、不穏な未来をもたらすだろう。
 私たちはこの間、衆議院の審議を注意深く見守ってきたが、この法案の成立をめざす政府与党と一部野党議員らのつたなく、杜撰な対応に唖然とするしかなかった。かつてこのような秘密保護法制を持ったこの国の悲惨な歴史と、いまも同種の法制を持つ国々の現状に関する無知は目を覆うばかりであった。
 今後、衆議院本会議の進行次第では、この特定秘密保護法案は参議院の審議に付されることになるが、私たち日本ペンクラブは、「良識の府」たる参議院の議員諸氏によって本法案の不当性が明らかにされ、廃案とされることを強く求めるものである。
 
 2013年11月26日

一般社団法人日本ペンクラブ 会長 浅田次郎



特定秘密保護法案の衆議院での採決強行に対する会長声明


本日、特定秘密保護法案の採決が強行され、衆議院を通過した。
 
同法案が国民の知る権利を侵害する危険性を有しており、廃案にされるべきことは当連合会及び国民各層から意見表明がなされてきたところである。さらに、11月21日には、国連人権理事会のフランク・ラ・ルー特別報告者からも、ジャーナリストや内部告発者を脅かす危険性があるとして、同法案への懸念が表明された。4党による修正案においてもその危険性は何ら減じられていない。
 
また、4党による修正案については提出されたばかりであり、ほとんど実質的な審議らしきものはまだなされていない。
 
11月25日に福島県で開かれた公聴会では、出席者全員が法案の内容に反対ないし懸念を示したのであるから、政府としてはそれらの懸念を払拭するためにも慎重審議を行うべきであった。
 
しかし、衆議院では、法案の骨格ともいうべき重罰主義及びプライバシー侵害性の高い適性評価制度について、根本的見直しに向けた議論がなされていない。「国家安全保障と情報への権利に関する国際原則」(ツワネ原則)との整合性についても検討されておらず、十分な審議が行われないまま、採決が強行された。極めて拙速と言わなくてはならず、法案のもたらしかねない重大な影響に鑑みると到底是認できない。
 
国民主権を形骸化しかねない法案について、民意を軽視した形で採決を強行したことは、二重の意味で国民主権の基本原則に反すると言わなくてはならない。
 
当連合会は、同法案の拙速な採決について強く抗議するとともに、良識の府である参議院において十分な審議を尽くすよう要請するものである。

   
 
2013年(平成25年)11月26日  日本弁護士連合会
  会長 山岸 憲司
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いつ取締りの対象にされるかわからない

2013-11-29 | Weblog
報道によれば、森雅子・秘密保護法案担当相は28日の参院国家安全保障特別委員会で、「食品の中に、テロ(リスト)が、何か毒物を入れる恐れのある情報がもし入手された時、取り扱うこともあるかもしれない」と、「食品の安全」の情報も特定秘密に指定する可能性があるとの見解を示した。
放射能値も添加物も隠されるということだ。日本に於ける「食の安全」神話は、完全に崩壊したことになる。
そして、国民の安全を守るために「正しい情報」を示せば、その情報を「特定秘密」に指定された場合、その情報提供・開示者が逮捕されることになる。

政府は、自衛隊法で定める「防衛秘密」について、2007~12年の6年間で約4万2100件が指定解除前に廃棄されたとする答弁書を閣議決定。主な廃棄理由については「保存期間の満了、破棄条件に該当、廃棄時期の到来」と説明。防衛省の内規では、防衛秘密の保存期間は1年未満~30年だが、延長可能。公文書管理法が適用されないため、保存期間を過ぎれば同省の判断で廃棄できるという。
自衛隊は文民統制を外し、制服組の独断で判断ができる仕組みになりつつある。
破棄される寸前に彼らの内部情報を持ち出し、国民に知らしめようとした者は、逮捕されることになる。制服組が軍事クーデターの計画を謀議していたとしてもだ。

特定秘密保護法案のテロリズムに関する定義もあいまいだ。法案は12条でテロを定義。
「政治上その他の主義主張に基づき、国家若(も)しくは他人にこれを強要し、又(また)は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動をいう」。
こんな恣意的な判断を、しかも「秘密」でやられたら、国家批判をする個人と団体はひとたまりもない。片っ端から逮捕される。
「主義主張を強要する目的で物を破壊するための活動」は、準備段階も対象になるという解釈もある。原発・基地に反対する市民の「直接行動」や「計画・相談」のすべてが対象となりかねない。
こんな文でさえ、「絶対に認めてはならない」と書こうものなら、読む者に「強要」の意を勝手に読み取られ、「あらゆる手段を用いて断固阻止する」と書けば、「不安若しくは恐怖」を与えたと勝手に判断され、取締の対象にされかねない。
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三権分立 文民優越の原則

2013-11-28 | Weblog
広島高裁岡山支部は28日、「1票の格差」が最大4・77倍だった7月の参院選の定数配分は違憲と判断、岡山選挙区の選挙を無効とする判決を言い渡した。参院選の無効判決は初めてという。訴訟じたいは弁護士グループが全国各地で選挙無効を求めた14高裁・高裁支部に起こされた一連のものの一つ。片野悟好裁判長は「国会が選挙制度の改革に真剣に取り組んでいたかは疑問だ。投票価値の不平等を是正しなかったことは国会の裁量の限界を超えていた」。
既に最高裁判決で「違憲状態」とされていた参院選、選挙制度の抜本改正が実施されなかったことが原因であるわけだから、最高裁で確定すれば、制度をあらため、直ちに解散・総選挙をするのが筋であろう。でなければ、「三権分立」という民主主義の原則が遵守されないことになる。
被告の岡山県選挙管理委員会は上告するだろう。最高裁で確定すれば同区選出の石井正弘参院議員は失職することになる。石井議員は県知事時代に何度かお目にかかったが、これはご本人ではなく制度そのものの問題だ。そのさいには、いさぎよく退き、あらためて有権者の信を問うていただきたい。

報道によれば、陸上自衛隊の秘密情報部隊「陸上幕僚監部運用支援・情報部別班」(別班)が、冷戦時代から首相や防衛相(防衛庁長官)に知らせず、独断でロシア、中国、韓国、東欧などに拠点を設け、身分を偽装した自衛官に情報活動をさせてきたことがわかったという。陸上幕僚長経験者、防衛省情報本部長経験者ら複数の関係者が共同通信の取材に証言したのだからデマではないだろう。文民統制(シビリアンコントロール)を逸脱する出来事で、これで誰かが罰されることがなければ、この国は軍事クーデターでさえも「仕方がない」「ありうること」として容認する体制になっているということになる。

セゾン文化財団理事長の堤清二氏が死去されていた。たいへんお世話になった。まだ二〇世紀の頃、ACCとセゾン財団の援助で滞在中だったニューヨークでお話ししたことを思いだす。「文化」が社会の中にどのように存在するべきか、この国で、企業の立場から真剣にアプローチされた、第一人者である。ご冥福をお祈りする。
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暗澹

2013-11-28 | Weblog
勝手に定めた「機密」を「漏らした」と決めつけられた国民に対し、国家が勝手に厳罰を科すことができるという「特定秘密保護法案」。26日、衆院本会議で自民党が質疑を打ち切る緊急動議を提出し、採決を強行。自民、公明、みんなの党の賛成多数で可決。衆院での審議入りからわずか20日足らず、十分な議論もなく、今国会の成立を目指し強引に衆院通過を強行。
民主党海江田代表は参議院で通過させないと言うが、そうできるという根拠は?
反対の立場を貫くという参院川田龍平議員は離党しないなら「みんなの党」全体を反対に転化させるべきだし、できないなら離党して筋を通してほしい。

沖縄で自民党県議連までが辺野古移設容認。公約違反を誰も怒らないなら選挙も無意味だ。

暗澹たる思いのみが募る。多くの人がそうだろう。しかし諦めてはいけない。

東京公演を終え翌日。午前から劇作家協会で会議。合間、鯖味噌定食に癒やされる。
最も家に近い銭湯が、年内で閉鎖が決まる。久しぶりに一風呂浴びる。初めてここに入ったのは二七年前だ。……確かに、人が少ない。でも、この人たちは困るだろうに。昔ながらの映画館だけじゃないな。普通の銭湯もなくなっていくのだな。
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『ここには映画館があった』本日、東京千秋楽

2013-11-26 | Weblog
『ここには映画館があった』本日、東京千秋楽。昼二時開演。座高円寺1。
十二日間の東京公演はあっという間に過ぎ、あっという間に終わる。座高円寺1の空間に向けて作った劇であるので、見届けていただければ幸いである。(ツアーはツアー用に新たな視点で再構築する)

連日映画関係者の皆さまも来てくださる。昨夜は劇中に言及される『嗚呼! 花の応援団』の製作者である成田尚哉さんも現れた。成田さんとのおつきあいもなんだかんだ三十年近く前からだ。彼は廣木隆一監督の新作を手掛けておられる。面白そうな企画だ。

公演情報は→http://rinkogun.com/
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「優秀新人戯曲集 2014」出ました!

2013-11-26 | Weblog
まもなく書店に並びます。劇作家協会新人戯曲賞の最終候補作の載った「優秀新人戯曲集 2014」、出ました!
皆さんも、この戯曲集を読んでから公開審査に臨めば、審査員たちと一緒に、最終候補作の一つ一つについて、考え、問い、味わうことができます。最終候補者と一緒に、はらはら、ドキドキできます。
「ひらかれた公開審査」「最終候補作を事前出版、誰でも読めるようにする」「審査員は応募者による選出」というシステムを打ち立てた、劇作家協会ならではのコンクール形式。1994年の北九州劇作家大会のさいのコンクールから一貫している。自慢じゃないがこのシステムの考案・創始者は私である。そして自慢したいのは、この最終候補作を載せた「優秀新人戯曲集 」を確実に編集し、間に合わせて出版してきた、小松幹生さんという素晴らしいプロフェッショナルの存在である。小松さんは劇作家のプロであり、編集者・出版者のプロであり、コンクール運営のザ・マスターである。劇作家協会に小松さんが居なければこのシステムは維持できなかった。今年もこうして公開審査会の三週間前に私たちはこの最終候補の戯曲集を手にすることができている。素晴らしいことだ。
私たちは毎年この時期、この小松さんの、しっかり、ずっしりとした仕事を、大切に受け止めている。

ブロンズ新社刊・1600円+税

掲載されている最終候補作 (応募戯曲到着順)
『獏、降る』      服部 紘二 (東京都)
『ト音』        春陽 漁介 (東京都)
『クラッシュ・ワルツ』 刈馬 カオス (愛知県)
『東京アレルギー』   山田 百次 (神奈川県)
『血の家』       森 馨由 (長崎県)

公開審査会は
12月15日(日)18:30~
座・高円寺で開催

[審査員] 川村毅、鴻上尚史、坂手洋二、鈴江俊郎、佃典彦、マキノノゾミ、渡辺えり

http://www.jpwa.org/main/drama-award/prize
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沖縄の五人の「嘘つき」たち

2013-11-26 | Weblog
自民党の石破幹事長と沖縄の同党国会議員5人が、党本部で米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題について会談後の記者会見。「県外移設」を訴えて当選した自民党の沖縄国会議員たちが皆「移設先について同県名護市辺野古沖を含むあらゆる可能性を排除しないことで一致した」ことを明らかにした。事実上の辺野古移設容認。この五人の「嘘つき」たちの名前は、比嘉奈津美、宮崎政久、国場幸之助、島尻安伊子、西銘恒三郎。
来年1月の名護市長選へ向けてのパフォーマンスであろうが、情けない。愚かしい。

それにしても情けないのはこうしたニュースがスルーされてしまうということだ。
彼らの投票者に対する「裏切り」は、同時に、「普天間固定化よりは辺野古移設」というデマを補完することになる。許されない。五人とも辞職すべきだ。というか、沖縄の有権者は許すのか、ほんとに、こいつらを。
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ゴジ監督と高江からの来訪と

2013-11-25 | Weblog
岡山から東京に戻る。
「ここには映画館があった」アフタートークのゲストは長谷川和彦監督。劇中に久しく映画を撮らないでいる映画監督が出てくるので、なんだか喋りにくい。とは言いつつ楽しく話す。
終えて、ゴジさんのペースに巻き込まれ(?)、ずいぶん飲んでしまう。
私は参加できなかった前日のSLAPP裁判のシンポジウムへの出席で高江から東京に来ていた伊佐さんが、芝居を観てくれる。
遅れてゲンさんも来てくださって、『標的の村』の中心のお二人が来てくださったことになる。ありがたい。
なんだか久しぶりに飲み過ぎてしまった。二日酔いはないが、気をつけよう。
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岡山・元映画館街での公開対談

2013-11-24 | Weblog
「ここには映画館があった」岡山公演(12月9日19時~ 岡山市民文化ホール)の宣伝のため、テレビ、ラジオへの出演、市との打ち合わせ、等々。
メインイベントは「ここには映画館があった」の舞台のモデルともなっている元映画館街・岡山千日前のライブハウス「ブルーブルース」での、能勢伊勢雄氏と公開対談。能勢氏は岡山きっての論客であり写真家、四十年にわたって経営してきたライブハウス「ペパーランド」のオーナー、そして元映写技師でもある。日切りのお地蔵さんとよばれる縁日の賑わいの中、席がちゃんと埋まってくれて、ありがたい。
いきなり能勢さんからエイゼンシュテイン、メイエルホリドの話題が。なるべくがんばって哲学的考察についていく。まあそんなにがんばらなくて良かったのだ。じつは二人とももう少し平易に話すことはできたのである。映画黄金期を知る映写技師の皆さん方も大挙来てくださり、感激。
夜も場所を変えて能勢さんとお話。とても刺激を受ける。映画館・ライブハウスの話と「劇団」が、繋がった。
今回、いつになく多くの人たちに支えられている。ありがたいことだ。

写真は、今はなくなり、更地になって駐車場として使われている映画館「テアトル岡山」跡地の、商店街アーケードに残された、頭上の宣伝街灯。
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『ここには映画館があった』東京公演は26日火曜まで

2013-11-23 | Weblog
たまっていた原稿、至急のものは何とか終える。しかし朝から劇作家大会のための会議。ラジオ出演やら何やら。本番前には部分稽古もする。蒲団で寝られるのは半数の日々はいつまで続くのだろう。

『ここには映画館があった』上演中です。東京公演は26日火曜までです。
昨日は観にきてくれた瀬々敬久監督に「三箇所泣けた」と言われる。自主上映をしようと皆が盛り上がるところ。女優とシナリオを書いた映写技師の去り際。もう一箇所は秘密。
今年の『普天間』ツアー、後は関東近郊を残すのみになった青年劇場メンバーたちも来てくれる。充実したツアーだったようだ。

猪瀬都知事はやめるべきだろう。今やめたら楽になれるよ。これから本当にオリンピックの栄光に包まれる日々が来ると信じているのだろうか。
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アメリカ大使という「逆風」

2013-11-22 | Weblog
赴任したばかりのケネディ駐日米大使は小野寺防衛相と防衛省で会談、「米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設を着実に進めることで一致した」と報道された。ケネディ大使は「米軍再編や普天間移設にコミットしている。良い時を選んで沖縄を訪れたい」との意向を表明したという。
自民党沖縄県連のブレや自民党系名護市長候補擁立のゴタゴタに比べ、この「アメリカからの追い風」は移設推進派の背中を押すことになるのだろう。
オリバー・ストーンが来沖し、反対派の側への理解があったことに対して、さすがに国家としてのアメリカの代弁者はスキを見せない。
「米軍再編」というが、結局日本政府の要望を汲んで、最大限に自分に都合のいい条件を選んでいるだけだ。
「良い時を選んで沖縄を訪れたい」というが、とっとと来ればいい。普天間、辺野古、高江の様子を見て、人たちと対話し、いかにいびつなことが行われているか見るがいい。移設先である大浦湾の自然が破壊されることがどういうことか、その自然に触れて考えればいい。
それを拒否するなら、あるいは日本政府が拒否させるなら、その事実を明確に伝えたい。
問題は名護市長選の行方である。最悪の結果が出た時、「民主主義による決定」を覆すことがおかしい、という論理がでてくる。この理屈はアメリカ側も容易に頷くことができる。ほんとうに、来年1月の名護市長選は、焦点である。

写真は『ここには映画館があった』より。
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『ここには映画館があった』と普天間基地跡地再利用

2013-11-21 | Weblog
これから数日『ここには映画館があった』の舞台写真を少しずつ紹介していきます。
今回は、円城寺あや・重田千穂子・岡本舞の三女優が大車輪の活躍を見せるのだが、もうネタバレは承知で言いますと、この三人、女子中学生として登場するシーンもあるのです。まあ、楽しい場面も多い芝居なのです。未見の方は、ぜひぜひご来場ください。
http://rinkogun.com/

『ここには映画館があった』は、映画館について中心的に描いた劇だが、しかし、なんと、沖縄の米軍普天間基地返還の問題が出てくる。(どうしてその話題が出てくるかは劇場でお確かめください)
主には返還地をどのように使うかという話である。これは本当に皆の頭を悩ませる問題だ。海兵隊が出て行った後、その土地を使って何をするか。
まずは、使える土地にしなくてはいけない。地質調査だけで何年もかかる。遺骨も収集、埋葬しなければならい。
米軍が捨てるつもりで埋蔵した化学兵器が出てくる可能性もあるし、タンクから何度も大量にオイルが漏れているから、その処理も必要だろう。
それがすんでやっと、戦前からの住民に返還する。もともとあった祖先のお墓も還ってくる。
そうした整備に二十年くらいはかかるという人もいる。個人的には十二、三年で使えるようになればいいがと思う。
その跡地で何をするか。
返還地の先例では美浜のアメリカ村が観光地化で成功したと言われているが、修学旅行のバスが定期的に来てくれる状態はいつまで続くのだろう。
ビジネス拠点、新たなオフィス街という意味では、やはり返還地の「おもろ町」が既にある。
物流拠点も考えられるだろうが、倉庫が建ち並ぶ広い牧港補給基地も返還される。その続きに第二那覇港も建設されるかもしれないという。
以上二点の場合は、現那覇空港・那覇港からより遠い宜野湾・普天間に拠点を置くのは、合理的でないだろう。
観光についての案はもう出尽くしているのかもしれないが、やはり観光案が多いようだ。
私は劇の中で、ある提案をしている。

自民党は、カジノを中心とした複合型リゾート施設の整備を政府に促す推進法案を決定。党内に強い慎重意見がある民主、公明などを説得できるように、党内手続きを進め、今国会中の法案提出と来年の通常国会での成立を目指すという。もちろん東京オリンピック開催までの間に整備しておくことを考えているのだろう。
橋下大阪市長もカジノ大歓迎と言うことだったはずだ。

そして沖縄にもカジノ・リゾート・エリアを、という勢力がある。

私の提案は、少なくともカジノよりは健全で明るい。
「これはあなたのオリジナルアイデアなのか」と尋ねてくるお客様もいるので、それなりに興味深い提案とは受け取られているのだろう。
内容については、劇場でお確かめください。
コメント (1)
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「くまモン」に手紙を渡したら

2013-11-18 | Weblog
熊本県のPRキャラクター、いわゆる「ゆるキャラ」である「くまモン」は、大人気のようで、CMにも多く登場、グッズもいっぱい作られているし、「くまモン体操」などというのもあるらしい。「くまモン」は蒲島知事とともに米国を訪問したり、ハーバード大学で特別講義をする予定だというから英語もできるのだろう。大分市の高崎山自然動物園では「くまモン」が、一時失踪してC群のボスに戻った人気ザル「ベンツ」の復帰のお祝いに駆けつけたという。くまモンはリヤカーに乗って登場。木に隠れながら、恐る恐るベンツの後ろから歩み寄ったが、さすがのボスも姿に気付くと驚いて逃げ去ったという。くまモンは「ベンツに会ってドキドキした。伝説のボスザルと言われるベンツみたいになりたい。僕の憧れでもあるんだモン」と語ったという。立派に熊本県のマスコット=「象徴」の役割を果たしているのである。
そういえば「くまモン」は先日、天皇の訪問を受けたとも聞いている。
で、なんとなくその直後の「山本太郎の園遊会での天皇への手紙渡し事件」がいろいろと問題になった頃、これが「くまモン」相手だったらどうだったのだろうと考えた。
たとえば、熊本県の議員が、何らかの公式の場で(例えば、イベント「くまモンと熊本の魅力について語ろう」)、登場した着ぐるみのゆるキャラ「くまモン」に手紙を渡したとする。彼が「くまモン、球磨川の自然を守るためには、瀬戸石ダムはいらないよね。一緒に考えてほしいんだ。詳しい説明はここに書いてある!」「県民の皆さんにも読んでもらおうね」と、手紙を渡すことは、「くまモン」の着ぐるみに入っている人には迷惑だろうし、周囲から「ださい」と思われたりするだろうが、その手紙を公開して人々にアピールすることが主旨ならば、あくまでも県民に向かった表現行為である。
くまモンはマスコット=象徴であるに過ぎない。議員はとくにくまモンの意見を聞こうとはしないはずである。(着ぐるみの中の人と事前に相談しておいて仲良くパフォーマンスにつきあってもらえれば別だが)
そして、「くまモンの政治利用禁止」が県の条例に記してあれば、もちろんその議員はそれに違反したことになる。
その議員が本気で「くまモンに現実をわかってもらって、くまモンの気持ちを動かせば、県民も、熊本県も、変わる!」と思っていたら、その人は、「マスコット=象徴」がどういうものであるかがわかっていないということだ。あるいは、「くまモン」が着ぐるみで中に人が入っていることを信じられないでいるたいへんおめでたい人だということだ。
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『ここには映画館があった』 劇中に言及される映画群

2013-11-17 | Weblog
当日パンフの中で配布しているものをここで公開してしまおう。
要は「1976年は映画豊作の年だった」ということが、この劇の中心にあるのである。

……………………

『ここには映画館があった』 劇中に言及される映画群

○1976年に公開、あるいは上映された映画(東京とは違いがあるものも含みます)
『ハリーとトント』
『JAWS』
『追想』
『カッコーの巣の上で』
『バルスーズ』
『ゴールデンボーイ・危機一髪』
『スカイハイ』
『ペーパータイガー 太陽にかける橋』
『華麗なるヒコーキ野郎』
『狼たちの午後』
『セルピコ』
『新・動く標的』
『さらば愛しき女よ』
『ディープ・スロート』+『ミス・ジョーンズの背徳』
『七人の侍』
『はだしのゲン』
『クリーン・センター訪問記』
『ウチナー イミ ムヌガタイ』
『暗くなるまで待てない!』
『沖縄やくざ戦争』
『バリー・リンドン』
『アウトロー』
『ミズーリ・ブレイク』
『ファミリー・プロット』
『さらば冬のかもめ』
『さすらいの二人』
『サンチャゴに雨が降る』
『レニー・ブルース』
『ヤングフランケンシュタイン』
『砂のミラージュ』
『ロッキーホラーショー』
『ナッシュビル』
『ナイトムーブス』
『ミッドウェイ』
『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』
『狂った野獣』
『ベンジー』
『グリズリー』
『グレートハンティング』
『うず潮』
『リップスティック』
『青春の殺人者』
『タクシードライバー』
『O嬢の物語』
『グリーンドア』
『暴行切り裂きジャック』
『嗚呼、花の応援団』
『愛のコリーダ』
『ソドムの市』
『スナッフ』
『白夜』
『ゴールキーパーの不安』

○1976年の直前に上映された映画
『フェリーニのアマルコルド』
『タワーリング・インフェルノ』
『続・激突! カージャック』
『スティング』
『ポセイドン・アドベンチャー』
『略称・連続射殺魔』
『アメリカングラフィティ』
『ロンゲストヤード』
『ウエスタン』
『明日に向かって撃て!』
『悪魔のいけにえ』
『ゴッドファーザーPART』
『オリエント急行殺人事件』
『カンバセーション…盗聴…』
『ルシアンの青春』
『ファントム・オブ・パラダイス』
『イナゴの日』
『竜馬暗殺』
『祭りの準備』
『田園に死す』
『大地震』
『アデルの恋の物語』
『映画に愛を込めて アメリカの夜』
『ガルシアの首』
『マシンガンパニック』
『アリスの恋』
『エマニエル夫人』
『愛の嵐』
『四畳半襖の裏貼り』
『実録阿部定』
『エクソシスト』
『チャイナタウン』

○1976年以前に上映された映画
『禁じられた遊び』
『激突!』
『戦場にかける橋』
『舞踏会の手帖』
『沈黙』
『処女の泉』
『夏の妹』
『三里塚』
『極私的エロス 恋歌1974』
『いちご白書』
『夕陽のガンマン』
『ラストタンゴ・イン・パリ』
『黒い罠』
『仁義なき戦い』
『トラ・トラ・トラ!』
『太平洋の嵐』
『山本五十六』
『㊙色情めす市場』
『2001年未来の旅』
『気狂いピエロ』
『コレクター』
『戦艦ポチョムキン』
『太陽がいっぱい』
『大阪城物語』
『俺たちに明日はない』
『マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺(マラー/サド)』

○1976年より後に上映された映画
『ストレートストーリー』
『ニューシネマパラダイス』
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』
『1941』
『抱きしめたい』
『ユーズド・カー』
『フォレスト・ガンプ』
『ロマンシング・ストーン』
『ロジャー・ラビット』
『未知との遭遇』
『ベティ・ブルー』
『タイタニック』
『ディア・ハンター』
『プラトーン』
『地獄の黙示録』
『ハートに火をつけて』

○日本未公開の映画(1980年代にビデオリリース)
『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』
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『ここには映画館があった』初日

2013-11-15 | Weblog
パンフレットに記した文を転載します。

 一九七〇年代の映画についての私の記憶は、時に「ウィキペディア」よりも正確だ。「ウィキペディア」の『JAWS』欄の日本公開日が間違っていること(2013年11月12日現在の記載)を、見ただけでわかるのだ。
 架空の場所に設定してあるが、この劇の舞台のモデルというより発想の根源になっているのは、岡山での映画にまつわる体験である。
 私は厳密には「町の子」とはいえないので映画を見に「街」へ行くためにはちょっとした山を越えなければならなかった。もちろん「丘みたいな山」の多い岡山だからたいした山ではないが。
 高校は辺鄙な場所にあったが他に交通機関がないので学校を出てから自転車で「街」へ出て、映画を観たり、休日には「街」までランニングをして映画を観たりした。
 邦画洋画封切館が各四館、後は二番館とポルノの映画館だった。中学一年の時に洋画二番館「カブキ座」が閉館した。邦画二番館の「第二ニシキ館」は今は居酒屋になっている。岡南地区にできたシネコンに押され、「千日前」と呼ばれる商店街の映画地区はほぼ閉館、閑散としている。
 岡山では公開されない映画もあり、次第に隣町の倉敷に電車で観に行ったりした。「三友館」「倉映」が懐かしい。市民の自主上映団体がオールナイトで五本立て上映をしたのが倉敷の「千秋座」だった。その企画で『マル・キ・ド・サド演出のもとシャラントン精神病院の患者たちによって演じられるジャン・ポール・マラーの迫害と暗殺』を観たが、監督がピーター・ブルックという演劇人だということを知るのは上京後であった。
 長谷川和彦監督の『青春の殺人者』が初めて岡山県内で上映されたのは水島工業地帯の入口にある「水島プラザ」だった。いつも三本立ての映画館だった。
 運動部活動は別にしていたが、高校では映画部の部長も兼任、映画部の予算を十倍に上げさせ、自主映画を作った。
 岡山には「残像舎」という自主上映の組織があって、その御陰でずいぶん自主映画に触れることもできた。岡山で映写技師をしていた人が倉敷で「えいがかん」という自主上映できるスナックを始め、そこで黒沢清監督のできたてほやほやの8ミリ『SCHOOL DAYS』を観たことを憶えている。
 映画を通していろいろなことを学び、いろいろな人に出会った。大学映研や社会人の方々と背伸びして話した。『太陽を盗んだ男』公開のさい宣伝活動に来岡したゴジ監督を、岡山東宝の人に頼まれ、学校をサボって新聞社や放送局にアテンドしたのは、坊主頭の私であった。
 雑誌「ロードショー」の懸賞作文に入選して賞金五万円を得たのは中学一年の時であった。中学三年の時には「キネマ旬報」に投稿が載った。まったく呆れた話だ。
 そんなわけでこの劇は私の体験が「情報」としてはバックボーンになっているが、もちろん自分自身をモデルとした人間が登場するわけではない。現実と創作の関係は、そういうものである。
 岡山以外でいえば、沖縄取材で「キャンプ・ハンセン」に入り、「アメリカの町そのもの」の基地内生活エリアで、大きな映画館を見つけた時の驚きも、鮮やかな記憶だ。
 考えてみれば十代の頃、そんなにたくさんの本数の映画を観られたわけではない。観ていない映画の方が多い。当たり前のことだ。あの頃からの歳月、巷には数多くの映画がある。あの頃、現存するめぼしい映画はいずれ全部見ることができるのではないかと思ったが、到底無理な話だ。
 知っているけどちゃんと話したことはないという人間も多くいるわけで、私たちはいろいろのことを知っているつもりで、実は知らぬままに終わるのだ。
 人間はいずれいなくなるが、「映画」は、「そのまま」を保ち、残っている。昔はそれを映画の美点の一つだと考えたが、今はそのことがひどく残酷なことのようにも思える。疎外であり、虚しさでもある。
 執筆のために昔のキネ旬などひっくり返して眺めていると、ほんとうに、紋切り型の言い方になるが、「昨日のこと」のようである。成長していないのであろう。

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コメント
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