『神々の国の首都』『漱石とヘルン』を収録した戯曲集が、彩流社さんから出版されます。小泉八雲=ラフカディオ・ハーンを描いた、私には珍しい、文学をもとにしたシリーズ。
「坂手洋二戯曲集」の第三回配本となります。
http://www.sairyusha.co.jp/oshirase/【お知らせ】坂手洋二戯曲集%E3%80%80刊行開始!.html
いま、そのための解説と作品ノートを仕上げる段階に入っている。
過去の作品なので、当時の資料を探していると、自分で見つけたもの、事務所にあったもの、友人が預かってくれていたもの、等々、多くのものが「証拠品」よろしく続々と出てきた。
自分の仕事だから何をしたのかはわかっているはずなのだが、戯曲そのものでなく、その前段にあった、ダンボール何箱もの資料、書籍、ノート、メモの数々を、驚きを持って見つめることもあった。
膨大だ。そして、全て手書きである。構成表、項目別資料、人物ノート、その他の準備資料をここまでてんこ盛りに作っていたのだと、目を見張る。
台本そのものはワープロで書いているが、この時期はまだ、ノートは手書きなのだ。
レポート用紙にシャープペンシル、である。やはり、手で書くということの、何かがある。
それが、紙も、書かれた字も、そんなに痛んだ状態ではないので、不意に、自分がついさっき書いたもののようにも錯覚されてしまう。自分で書いたのだし、自分の字だ。レポート用紙に当たって擦れる手の感触だって、身体的記憶として消えてはいない。いま、自分という本人が、そこに書き加えることだって出来るのだ。……それにしても、過去が、現在の底を抜いた形のように存在しているというまざまざとした証拠を突きつけられているような気がしてくる。実在する「過去」に、なんだかぐらぐらする。
『神々の国の首都』(1993)は映画として構想され、三年近くかけて書いているから、分量が多いのは当たり前なのだが。
映画版はサミュエル・フラー監督の企画だった。映画自体は頓挫したが、この機会にフラーからのメッセージを再見、当時の高揚を思い出す。
演劇版は、三度海外ツアーにも出て、1998年には新国立劇場のオープニング企画にも招聘されている。六年越しで上演したのだ。
『漱石とヘルン』(1997)は、構成表はワープロで書き、そこにシャープペンと色つきのボールペンで細かくあれこれ書き込んでいる。処理がすんだ部分、自分で却下した箇所は、斜線かバッテンが引いてある。その構成表も何度も書き直しているが、執筆に入ってからもリニューアルしていたので、中途からだけのもの、バージョンの違うものが出てきたりする。(写真 ……出版される本への掲載時は、ボカシなしで読めるようにします!)
佐野史郎夫妻が、夏目漱石夫妻を演じた。この芝居も長い全国ツアーをした。福島と宮崎に行ったのは、この劇だけだ。あれからもう21年なのか。まいったな、と思う。
「坂手洋二戯曲集」の第三回配本となります。
http://www.sairyusha.co.jp/oshirase/【お知らせ】坂手洋二戯曲集%E3%80%80刊行開始!.html
いま、そのための解説と作品ノートを仕上げる段階に入っている。
過去の作品なので、当時の資料を探していると、自分で見つけたもの、事務所にあったもの、友人が預かってくれていたもの、等々、多くのものが「証拠品」よろしく続々と出てきた。
自分の仕事だから何をしたのかはわかっているはずなのだが、戯曲そのものでなく、その前段にあった、ダンボール何箱もの資料、書籍、ノート、メモの数々を、驚きを持って見つめることもあった。
膨大だ。そして、全て手書きである。構成表、項目別資料、人物ノート、その他の準備資料をここまでてんこ盛りに作っていたのだと、目を見張る。
台本そのものはワープロで書いているが、この時期はまだ、ノートは手書きなのだ。
レポート用紙にシャープペンシル、である。やはり、手で書くということの、何かがある。
それが、紙も、書かれた字も、そんなに痛んだ状態ではないので、不意に、自分がついさっき書いたもののようにも錯覚されてしまう。自分で書いたのだし、自分の字だ。レポート用紙に当たって擦れる手の感触だって、身体的記憶として消えてはいない。いま、自分という本人が、そこに書き加えることだって出来るのだ。……それにしても、過去が、現在の底を抜いた形のように存在しているというまざまざとした証拠を突きつけられているような気がしてくる。実在する「過去」に、なんだかぐらぐらする。
『神々の国の首都』(1993)は映画として構想され、三年近くかけて書いているから、分量が多いのは当たり前なのだが。
映画版はサミュエル・フラー監督の企画だった。映画自体は頓挫したが、この機会にフラーからのメッセージを再見、当時の高揚を思い出す。
演劇版は、三度海外ツアーにも出て、1998年には新国立劇場のオープニング企画にも招聘されている。六年越しで上演したのだ。
『漱石とヘルン』(1997)は、構成表はワープロで書き、そこにシャープペンと色つきのボールペンで細かくあれこれ書き込んでいる。処理がすんだ部分、自分で却下した箇所は、斜線かバッテンが引いてある。その構成表も何度も書き直しているが、執筆に入ってからもリニューアルしていたので、中途からだけのもの、バージョンの違うものが出てきたりする。(写真 ……出版される本への掲載時は、ボカシなしで読めるようにします!)
佐野史郎夫妻が、夏目漱石夫妻を演じた。この芝居も長い全国ツアーをした。福島と宮崎に行ったのは、この劇だけだ。あれからもう21年なのか。まいったな、と思う。