Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

実在する「過去」に、ぐらぐらする

2018-05-31 | Weblog
『神々の国の首都』『漱石とヘルン』を収録した戯曲集が、彩流社さんから出版されます。小泉八雲=ラフカディオ・ハーンを描いた、私には珍しい、文学をもとにしたシリーズ。
「坂手洋二戯曲集」の第三回配本となります。
http://www.sairyusha.co.jp/oshirase/【お知らせ】坂手洋二戯曲集%E3%80%80刊行開始!.html

いま、そのための解説と作品ノートを仕上げる段階に入っている。
過去の作品なので、当時の資料を探していると、自分で見つけたもの、事務所にあったもの、友人が預かってくれていたもの、等々、多くのものが「証拠品」よろしく続々と出てきた。
自分の仕事だから何をしたのかはわかっているはずなのだが、戯曲そのものでなく、その前段にあった、ダンボール何箱もの資料、書籍、ノート、メモの数々を、驚きを持って見つめることもあった。
膨大だ。そして、全て手書きである。構成表、項目別資料、人物ノート、その他の準備資料をここまでてんこ盛りに作っていたのだと、目を見張る。
台本そのものはワープロで書いているが、この時期はまだ、ノートは手書きなのだ。
レポート用紙にシャープペンシル、である。やはり、手で書くということの、何かがある。
それが、紙も、書かれた字も、そんなに痛んだ状態ではないので、不意に、自分がついさっき書いたもののようにも錯覚されてしまう。自分で書いたのだし、自分の字だ。レポート用紙に当たって擦れる手の感触だって、身体的記憶として消えてはいない。いま、自分という本人が、そこに書き加えることだって出来るのだ。……それにしても、過去が、現在の底を抜いた形のように存在しているというまざまざとした証拠を突きつけられているような気がしてくる。実在する「過去」に、なんだかぐらぐらする。

『神々の国の首都』(1993)は映画として構想され、三年近くかけて書いているから、分量が多いのは当たり前なのだが。
映画版はサミュエル・フラー監督の企画だった。映画自体は頓挫したが、この機会にフラーからのメッセージを再見、当時の高揚を思い出す。
演劇版は、三度海外ツアーにも出て、1998年には新国立劇場のオープニング企画にも招聘されている。六年越しで上演したのだ。

『漱石とヘルン』(1997)は、構成表はワープロで書き、そこにシャープペンと色つきのボールペンで細かくあれこれ書き込んでいる。処理がすんだ部分、自分で却下した箇所は、斜線かバッテンが引いてある。その構成表も何度も書き直しているが、執筆に入ってからもリニューアルしていたので、中途からだけのもの、バージョンの違うものが出てきたりする。(写真 ……出版される本への掲載時は、ボカシなしで読めるようにします!)
佐野史郎夫妻が、夏目漱石夫妻を演じた。この芝居も長い全国ツアーをした。福島と宮崎に行ったのは、この劇だけだ。あれからもう21年なのか。まいったな、と思う。
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是正不能の国

2018-05-30 | Weblog
共産党の調査で、「森友学園」との国有地取引について会計検査院や国会をごまかすため財務省理財局と国土交通省航空局が昨年9月に“口裏合わせ”をしていたことを示す政府の内部文書が見つかった。
内閣から独立した機関と憲法で定められているはずの会計検査院が、適正な検査報告をせず、財務省理財局と国土交通省航空局を介入させ相談していたのだとしたら、この国の仕組みは完全に壊れてしまっていることになる。
その対象が「首相の犯罪」にからむとなれば、これはもう政権転覆は必須である。
そして、誰かの首が飛ぶどころか、逮捕者が出なければ収まらない問題のはずだ。
なぜ、28日にこのことが表沙汰になった後、毎日このことをフォローする報道がないのかが、理解できない。報道機関も機能していないのではないか。
日大アメフト部の監督・コーチ除名でガス抜きしている場合じゃないんだよ。
呆れてばかりいないで、もう、怒るしかない。
我々は、何があってもチェックできない、露見しても放置が許される、是正不能の国にいるのだ。
一応は民主主義の顔をしているのに、国民が主体性を持たない国だからこそ、このような不条理が横行している。
野党もまた、政権交代に耐えられるだけの存在になれていない。それが現政権の延命を後押ししていることに、いい加減、気がつくべきである。いや、たんに能力がないのだろう。

二十代半ばの頃、虎ノ門の酒屋で配達のバイトをしていて、官公庁商社を回ったものだが、会計検査院にもよく届けた。
このセクションは特別な場所なのだ、と思いながら、酒を運んでいた。(彼らがよく飲むかどうかはどうでもいいことである)
考えてみれば、もはや、そこで中心にいる人たちは、私と年齢が近い。
私たちの世代の歳の重ね方の問題のような気がしてきて、情けなくなったりもする。

検査、調査する機関があることも大事だが、私たちがそれぞれの現場で「自浄作用」を確実に機能させなければならないのではないか、とも思う。
子供のような言い方になってしまうが、「正義」が信じられないなんて、ひどすぎる世の中ではないか。
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マレーシア、消費税廃止したってよ。

2018-05-29 | Weblog
マレーシアが消費税を廃止したというニュースに感心していたら、日本政府は、6月中旬に閣議決定する経済財政運営の方針(骨太の方針)原案で、2019年10月に予定する消費税率10%への引き上げ実施を、明記するという。一部に噂された前倒しの検討は、なさそうだが。
19年度と20年度の当初予算で景気対策を組む方針を示したというが、新たな財政健全化計画では踏み込んだ歳出抑制策は示しておらず、どうせまたカネをばら撒くだけなのか。

消費税が初めて導入されたのが1989年、税率は3%だった。消費税がなかった時代を、平成世代は知らないのだ。
1997年に5%、2014年に8%に引き上げられた。みんななぜ受け入れたのだろう。おそらく日本国民の依存体質と事なかれ主義に加え、搾取されているという現実に対する感覚が麻痺しているのだろう。

消費税は「特定の者に負担が集中しない」「高齢者を含めて国民全体で広く負担する」税なので、「高齢化社会における社会保障の財源にふさわしい」と、財務省は説明してきた。年金を切り下げ、受給年齢を引き上げておいて、そんなことを言うのである。

そして、「まんべんなく負担させることができる」に加えて、「税収が景気動向に左右されにくい安定した税」だからいいのだそうだ。
それは、例えば、深刻な貧困の問題を抱える沖縄も、「国民全体で広く負担する」から同率でいいという理屈だ。沖縄の景気がさらに傾いても「左右されにくい安定した税」だから搾取できていい、ということになる。
沖縄県の1人あたり年間県民所得は213万円で全国最下位、全国平均の306万円を大きく下回る。沖縄県の最低賃金は時給737円と聞く。沖縄県の貧困率は全国平均の倍近い。子どもの貧困はより深刻だ。言うまでもないが、消費税は子供も均等に払わされるものなのだ。
沖縄県の生活保護率は貧困率から見ると不自然なほど少なく、人口ベースで2.5%だという。近隣の助け合いによるフォローが、逆に受給を減らしている。皆で負担を分かち合っている。消費税アップは、その生活のギリギリの限界を、さらに抑えつけるものだ。

マレーシア政府は、消費税を事実上廃止、税率を現行の6%から6月1日付でゼロ%にすると発表した。政権交代を実現させたマハティール首相は、100日以内の消費税廃止を公約に掲げていた。

消費税制度は2015年にナジブ前政権が導入し、国民の不満の対象となっていたという。消費税をなくしたい勢力は、まだくすぶっていたのだ。
日本では消費税は定着し、「あって当然のもの」とされていて、もはや多くの国民は、なくすことができるなどとは考えもしないのだろう。

消費税のことだけではない。
あらゆる面で、見直し能力がなく、だらしない。弱い立場の人のことを考えない。
この国は、よりいっそう、そういう社会になっていく。



写真は、何年前だったか、クリミア半島がまだウクライナだった頃のヤルタで。〈チェーホフ演劇祭〉に参加したときの宿舎のベランダにいた、ネコたち。
本文とは一切関係ありません。
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安倍首相に「まさに」禁止令を出したい

2018-05-28 | Weblog
場所を移動しながら原稿と校正の仕事を続けている。
聞こえてくるのが、参議院予算委員会の答弁だ。
安倍首相の無内容無責任な発言についてはもうあらためて言う必要はないだろうが、私が気になるのは、
安倍首相が話の間に挟む、「まさに」、という言葉だ。
どの場合も、まったく適切ではない使い方だ。
「まさに」と挟めば、間違ったことも、適当な受け流しも、あたかも正しいことに聞こえる、と思っているのだろう。
ただの勢い任せ。
間投詞のようなもので、自分が喋ることに弾みを持たせているだけが目的で、内容はない。
本来の「まさに」は英語で言えばまず「exactly」だと思うが、安倍首相の言葉を英文化して、同じ部分に「exactly」を入れれば、それがどれだけ不適切かが、わかりやすいだろう。まあしかし英語の問題ではない。
このまま安倍首相に「まさに」をテキトーに使わせ続けると、「まさに」という日本語が、滅んでしまう気がする。
「まさに」が、まさに絶滅の危機だ。
安倍首相に「まさに」禁止令を出したい。
不適切な「まさに」を発したら一回十万円の罰金、では、痛くも痒くもないか?
あるいは、国会を中継するときは、安倍首相が「まさに」と言うたびに、「ブー音」を鳴らしてほしい。
「コッカイオンドク」で文字起こしなさっている小原美由紀さんには、手間がかかって申し訳ないのだが、「まさに」はそのまま記さずに、ブタさんマークとかで代用してほしい。安倍首相が時々使う「これはまさに」は、明らかに調子に乗っていて醜悪なので、毒ガスマークにしてほしい。
とにかく、私の言語感覚が破壊されていくので、「まさに」はやめてほしい。
それが、まさに、私の言いたいことである。まさに。

写真は、私の通勤路で、まさに交通障害となっている低い桜の枝。
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梅ヶ丘で『楽屋』祭り、ふたたび。本日より。

2018-05-28 | Weblog
二年前、梅ヶ丘BOXで〈「楽屋」フェスティバル〉を開催したが、今回はまた違う新たなシステムで、『楽屋』競演のイベントが開催されることになった。

南谷朝子、浅井星光の2人が主宰する「ZOROMEHA企画」が中心らしい。
「木冬社にて清水邦夫氏の演出を経験し、その演出を熟知している南谷と、常識にとらわれない浅井が仕掛ける芝居。」だそうだ。
加えて、燐光群の樋尾麻衣子も出演する。
そのチームは、演出が井上思さん。

私は井上+南谷コンビの〈岸田國生を読む〉に出演したことがあるのだった。

https://blog.goo.ne.jp/sakate2008/e/18b89b2968cd25cf52f7f6bd68a19a2f


『楽屋』競演イベントの詳細は以下を御覧ください。本日から六月三日まで。今回は他に「Stars」「ぐるっぽ・ちょいす」「グループ動芝朗」「劇団ほじなし」「テアトルⅡ」の6チームが集結。

https://twitter.com/zoromeha
https://stage.corich.jp/stage/90812
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「シナリオ」誌にインタビューが載りました

2018-05-27 | Weblog
月刊「シナリオ」6月号に、私のロングインタビューが載っています。
よほど私に興味のある方は、お読み下さい。

ロング、です。17ページ。
「国文学」誌に別役実さんと「ベケット特集」で対談をしたときの23ページに迫る勢い。
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「星野文昭さんを自由に」全面広告

2018-05-26 | Weblog
「星野文昭さんを自由に」意見広告が、5月10日付の「四国新聞」「朝日新聞」大阪本社版に載った。
ほんとうに、全面広告なのでびっくりした。
支える人たちの努力と熱意の成果である。

あらためて、冤罪で43年獄中にある星野さんの解放を願ってやまない。

星野文昭さんの事件は、拙作『ブラインドタッチ』の背景にさせていただいている。

意見広告に載っている私の「意見」は、以下の通り。



星野文昭さん・暁子さんご夫妻に、背景となる設定をお借りした劇『ブラインド・タッチ』を16年ぶりに上演し感じたことは、27年の獄中生活が43年になってしまった現実の厳しさと、この間に証明された、当時から続く米軍基地撤去・沖縄闘争の、圧倒的な正しさである。獄中で文昭さんが描く沖縄の海の姿は、普天間基地辺野古移設工事、南西諸島自衛隊配備という暴挙に晒されても、決して失ってはならない「理想」を示している。

6月3日には、徳島刑務所で獄中にある星野さんの解放を願って、高松で、大集会とパレードを行うことになっている。

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『九月、東京の路上で』

2018-05-25 | Weblog
『九月、東京の路上で』。

上演情報第一弾を、お伝えいたします。


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燐光群 創立35周年記念公演 第三弾

『九月、東京の路上で』

7月21日(土)〜8月5日(日)

下北沢ザ・スズナリ


原作 ◯ 加藤直樹「九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響」(ころから刊)

作・演出 ◯ 坂手洋二

出演 ◯ 中山マリ 鴨川てんし 川中健次郎 猪熊恒和 大西孝洋 さとうこうじ 円城寺あや 咲田とばこ 杉山英之 武山尚史 樋尾麻衣子 田中結佳 山村秀勝 山本由奈 荻野貴継


原作は、1923年9月・関東大震災直後の出来事を、時系列を追って検証する同名ブログを元に刊行された、加藤直樹のノンフィクション。
95年前のあの日々、どのような「虐殺」が行われたか。
殺害や暴行があった各地を取材、刻一刻と広がるデマ・殺害行動など、95年前の東京を「追体験」し、検証する、ドキュメンタリー・ドラマの新境地。

平野共余子の衝撃的論考(草思社・スミソニアン研究出版刊)に着想を得て上演し読売演劇大賞三賞に輝いた『天皇と接吻』(1999)以来の、燐光群+坂手洋二がルポルタージュを劇化する、圧倒的試みの最新作。



前売開始 6月17日(日)11:00

http://rinkogun.com/Kugatsu_Tokyo.html


写真は、既に配られている速報チラシです。


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震災の記憶を辿って、利根川に

2018-05-24 | Weblog
ここしばらく、「関東大震災」にまつわる虐殺の記憶を辿って、歩いている。
原稿に追われていて、頻繁には行けないのだが。
今日は都外に寄った。

利根川、三ッ堀の渡し。(跡地)

ここで九人が殺された。うち一人は妊婦だった。
香川県出身の行商をしていた人達だ。

「福田村事件」と呼ばれている。


七月に上演する新作は、

『九月、東京の路上で』。

7月21日(土)~ 8月5日(日) 下北沢ザ・スズナリ

原作◯加藤直樹「九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響」(ころから刊)

作・演出○坂手洋二

これからじょじょに情報をアップしていきます。
http://rinkogun.com/Kugatsu_Tokyo.html
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東日本大震災 津波浸水区間 ここから

2018-05-23 | Weblog
東日本大震災
津波浸水区間
ここから

知り合いのFさんが撮影した、街道での表示写真。福島県 相馬郡。海抜十メートル。

相双建設事務所の表示によると、津波浸水表示板は、多くの人の目に触れるように、あえて表示してあるのだ。
「浸水被害の風化防止と防災意識の向上が目的」だそうだ。

確かに、はっとするだろう。
忘れてはいけないし、忘れられない。
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食べたくなくなったはずだが

2018-05-22 | Weblog
ハンバーガーというものを、食べたくなくなって久しい。

いや、それでも、うまそうなものを目の前に差し出されたら食べるはずだ。

なんだかなあ。

いわゆる「ハンバーガー屋」に行かなくなった。

一昨日も、バーガーキングで、わりと長い時間、打ち合わせをしたが、コーヒーしか頼まなかった。

マクドナルドが「夜間パティ百円で倍増」を始めて、試みてみたが、なんだか虚しかった。

写真は、先月、フィリピンの某港町で頼んだ、オープンタイプの。ダブルなんとかバーガー。

フィリピンのハンバーガー。ふつうなら「ジョリビー」だが、ちょっと奮発してみた。

肝腎のハンバーグがいまいちだった。

まあ、そういうものだ。
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カラマンシーの傍らでの犬猫対決

2018-05-21 | Weblog
カラマンシーの傍らでの子犬・子猫対決。

ちっちゃなカラマンシーの果実との対比で、どのくらいの大きさか想像できるはず。

フィリピンでなごんだチビの犬猫達の思い出の一つだが、とにかく彼らはよく喧嘩するのだ。

争い方は、多種多様。

実は敏捷なネコが優勢になりがち。同サイズなら、の話かもしれないが。

見ていると、喧嘩しながら学ぶ、ということがよくわかってくる。
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南口がなくても下北沢なのか

2018-05-20 | Weblog
南口がなくても下北沢なのか。
やはり、何かヘンだ。
かつての南口についつい向かってしまったら、遠回りして北口から入るしかない。

新設の南西口は、ラブホテルの横だ。
出入りはかなり目につくはずだ。
かつては線路沿いの、ひっそりした、町の「ウラ」の場所だった。
今は人通りがあるので、こっそり入るわけにはいかない。かのホテルの経営は苦しくなっていないのか。
存在がアピールされて、かえって集客が良くなっているのか。
いずれなのかは、私にはわからない。

38年、通っている町である。
なんだか違和感が拭えないのである。
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劇作家協会の会員証が届いた

2018-05-19 | Weblog
今年の劇作家協会の会員証が届いた。
毎年、色が変わることになっている。
今年は、さわやかな青色である。

協会員にはいろいろな優待がある。
いろいろな公演を安く観られたりする。

隠すことでもないだろうから記すと、座高円寺二階のカフェ・アンリ・ファーブルでも、会員優待がある。
ありがたいことである。
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なごみたいけど、暇がない

2018-05-18 | Weblog
ホームステイしていたレイテ島の農家には、ありとあらゆる生きものがいたわけだが、子犬五匹と子猫一匹が、ほぼ同じサイズで、すぐに集まってくるのだった。ほんとうに、こいつらの御陰で、なごんだ。

今月、帰国して、あっという間にもとの暮らしのリズムに戻り、夢のようだったなあと思う。外に出ると、いつもこの六匹が寄ってきたのだもの。(じっとしていないからなかなか揃った写真が撮りにくかった)
写真だと大きいけど、小さいのだ、こいつら。

なごみの夢は捨てて、原稿と諸々の課題に取り組む。


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